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【急募】リアリティ


なぜ私はここまでホラーに惹かれるんでちょ?


そんなことを考えてみると、やっぱり恐怖という感情にリアリティがあるからだと思う。


そもそも私が映画を見たり小説を読んだり、音楽を聞いたりするのは「自分が経験したことがない生のリアルを体験する」という目的がある。(ような気がする)

アクションものやロマンティックな映画もたまーに見るけれど、映画の登場人物に感情移入しようとする、そのステップが意外に面倒臭い。

ずっと思いを寄せていた人が、他の人と結婚してしまうとか、世界を救うために愛する人を犠牲にしなくてはいけないとか、そのシーンにいたら自分がどんな気持ちになるかをいちいち想像しなくてはならない。

そして想像はできるけど、自分が「想像をしよう」と思って感情移入した気持ちというのは、あくまで私の想像力を駆使して強制的に作り出した感情でしかない。

私の中から自然に沸いた「私自身」の感情ではなく「体験」というよりは「創造」に近い作業になってしまう。

ごく稀に、主人公と私が完全にリンクしてしまい胸が痛むこともあるけどね。


一方、ホラー映画が与えてくれる「恐怖」を自分のものとして体感するのはとっても簡単。いちいち想像力を駆使する必要もない。痛みや恐怖は、ダイレクトに私の感覚を掴んで離さなくなる。

主人公の恐怖は自然な形で私の恐怖になる。自分の制御とは関係がない所で、心が動いてしまうその作用は感動に近いかもしれない。


じゃあなぜ「恐怖」を体感したいのか。そう問われると、「生きている実感が欲しいから。」と答えるのが一番ふさわしい。(ような気がする)

生きている、という感覚が欠落しているわけではないけれど、このご時世、自分の生身の体を生きるということは退屈と向き合うことだ。痛みや恐怖だけが、生身の体の退屈を超え、命のリアルを教えてくれる。


中学生の時に、最年少で芥川賞を受賞した金原ひとみさんの「蛇にピアス」を読んだ時は、ちっともこの感覚が分からなかったなぁ。


リアルよりもリアルな生を求めているの、

なぁんていうと、少しかっちょいい。



といっても、私は自他ともに認めるスーパーチキンなので、自分の体を傷つけたり、ピアスを開けまくったり、人体改造をしてみたり、タトゥーを入れ散らかしたりすることはできない。


ホラー映画を見まくって、恐怖や痛みを疑似体験することが大好きなくせに、夜、近所の墓地を横切る時などはびくびくして何度も後ろを振り返るし、病院での注射・採血は怖い。外科手術なんて聞かされた日には、麻酔をする前に気を失うに違いない。


そう、自分の生身の生に危険が降りかかることだけは、何としても避けたいのだ。現代的で、矛盾している、贅沢な、地に足がつかない、25歳の私の命。(馬鹿げた感覚だと自分でも思うぞ)


そういえば、この間、私のスペシャルな友人に「いやぁー危ういよねぇ」と言われた。(話の前後は覚えていまてん)


移動のために駅構内をとことこと歩いた後、エスカレーターに乗っていた時だったと思う。

外に向きだしになったエスカレーターに乗っていると、風がさっぱりと冷たくて、目が冴える。太陽の光が当たっている部分だけやけに暖かかったなぁ。冷たい風と太陽の光が清らかで、素敵な日だった。


「どの辺が?」と後ろから私が訪ねると、「うーん、嬉々として破滅を待ち望んでいる感じ?」と笑顔で返された。

ドキリ。分かる人には分かるのねぇ、そしてセンテンスチョイスがとっても素敵よ、あなた。

ツナ缶に愛の手を🤚❤️