マハーシ式「アーナーパーナ・サティ(呼吸への気づき)」

仏教の呼吸への気づきの瞑想であるアーナーパーナ・サティについて、「Vipassana Q&A マハーシサヤドーと現代のヴィパッサナー瞑想法」より抜粋を紹介しておこう。

質問:アーナーパーナ(出息、入息)はサマタ瞑想ですか?ヴィパッサナー瞑想ですか?

答え:禅定を得た人であれ、得ていない人であれ、出息、入息をイメージや形などを想像し瞑想すればサマタ瞑想になり、ヴィパッサナー瞑想にはなりません。

息の接触、動きを重視して瞑想するとヴィパッサナー瞑想になり、禅定への道サマタにはなりません。

サマタとヴィパッサナーについては、詳細として、以下の記事でも考察している。

質問:マハーシ瞑想法では、なぜアーナーパーナ(出息、入息)で指導しないのですか?

答え:私はアーナーパーナ(出息、入息)で瞑想することは風の要素、色とそれを念じている心、名によってヴィパッサナーの智慧が生じると理解しています。
しかし、清浄道論によると身随観の部十四種をサマタ瞑想法とヴィパッサナー瞑想法を分けて、アーナーパーナ(出息、入息)を以下の様にサマタ瞑想法として分類しています。
"威儀の部、四つの正知の部、要素観察の部は この三つの部をヴィパッサナー瞑想として説かれている。その他のアーナーパーナ(出息、入息)の部と不浄観察の部というこの二つの部のみがこの十四の身随観の部の中でサマタ瞑想としてと説かれている。"
今述べた清浄道論においてアーナーパーナ(出息、入息)をサマタ瞑想法とはっきりと分けています。
もし私たちがアーナーパーナ(出息、入息)を指導したら、それを好まない人たちが上記の清浄道論を基に私たちが指導しているのをサマタ瞑想だ、ヴィパッサナー瞑想ではないと非難するのは間違いありません。
私たちも清浄道論を否定しヴィパッサナー瞑想だということはできません。ですから私たちはアーナーパーナ(出息、入息)をヴィパッサナー瞑想として指導していません。しかし、アーナーパーナ(出息、入息)で瞑想したい場合は許可しています。禁止していません。

もう一つはアーナーパーナ(出息、入息)で瞑想するとき鼻の先など一ヶ所に集中しなければなりません。
内に入っていった息を追って瞑想してはいけないと無碍解道論と清浄道論にはっきりと述べられています。
それらは著者の意図として近行定、安止定を想定したものです。
ヴィパッサナーの智慧が生まれるようにするためには一つの場所だけを念じなければならないという制限はありません。
しかし、アーナーパーナ(出息、入息)をしているときに別のところに感覚などが生じてきたり、考えなどが生じたときにそれらを念じるよう指導したならば無碍解道論と清浄道論に反する、間違っていると非難されるのは確実です。
ですから私たちはアーナーパーナ(出息、入息)でヴィパッサナー瞑想を指導せずにいます。
これぐらいでなぜアーナーパーナ(出息、入息)を指導しないのかという質問の答えになったでしょう。

清浄道論は注釈書であるが、とくにスリランカ、ミャンマーの伝統では聖典ほどの権威を持つ。
もちろん私もそれらを否定するつもりはないが、伝統の持つ限界の一面が見られる回答である。

宗教を学ぶとき、聖典(原典)なのか、注釈(解釈)なのか、伝統的な慣習なのか、よく確認しておかなければいけない。

二つ目の点である、鼻の先の一ヶ所に固定するのは、観照においては必要になるため、このことがサマタ瞑想(禅定)を意図しているとは限らない。

経典(経蔵)の説明は、多くは結論であって、プロセスを解説はしていない(プロセスの解説が注釈)。そのため、初心者は鼻先の固定はできない。しかし、ヴィパッサナー瞑想を進めていくと、注意のポイントは自然と動かなくなっていく。アーナーパーナにおいては、それが鼻先である。

アーナーパーナ・サティ・スッタ(経典)では、「足を組んで座る」とある。これは伝統的には結跏趺坐(蓮華座)であるとされる。蓮華座の場合、リラックスすると自然と視線は鼻先になる。もし達人座の場合には、視線は眉間になるだろう。つまり、自然状態での視線(注意のポイント)は定まっている。
しかし、引用にあるように、呼吸を追いかけていってしまっては、一向に気づきは深まっていかない。
視線を固定しながら、対象を外すことがヴィパッサナー瞑想では求められる。

瞑想指導の現場では、実際にそうであるように経蔵を用いられることはあまりない。もし鼻先に意識を固定してヴィパッサナー瞑想をするように指導したら、ほとんど誰もできないだろう。なぜなら、それはほとんど完成された姿を示しているからだ。

ヴィパッサナー瞑想=「観照」については、以下の記事にてやり方など解説している。

以下では、アーナーパーナ・サティの瞑想を解説した。

また、ヒンドゥーにおいての(ジニャーナ)プラーナヤマは、アーナーパーナ・サティと同様のものであり、とても参考になる。


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