見出し画像

カバーするということ

カバーするということ

カバーとコピーは違う 
カバーには原曲への愛〜リスペクトが前提にあって、
本人の解釈や独自のアプローチの提示があるべきだと思う。
それがないのはコピーだと思う。

カバーの面白いところは、
原曲を聴いた時には感じられなかった
曲の持つ意味や世界観が理解、発見できることがあること

昨夜のオープンマイクイベントに参加した際に
共演者の方からこんな言葉をいただいた。

ツネキチさんのカバーを聞いて、原曲を聴いてみました。
けどツネキチさんのカバーの方が良かったです。

これは嬉しかった。
今までやってきたことがちゃんと届いていた。

ボサノバをやるようになって、発見したことのひとつは、
曲のコードは固定化されているものではなく、
自由に好きなように変えても良いのだとういうこと。

ジョアン・ジルベルトは、稀有なアーティストだ。その膨大なキャリアの中でオリジナルは2〜3曲で、それ以外は全てカバーだ。
ほとんどカバーしかやっていない。
だけど、そのカバーは秀逸で、曲のメロディに対して、コードの再構築(リハモ)が施されている。何百何千という組み合わせのコードを試し、そこから最適な解が示されているらしい。

ライブのステージで、一番と二番で違うコードを弾くのはザラで、時にアドリブでアクロバティックなコードを展開させたりするから、恐ろしい。

変にいじってしまって、メチャクチャになってしまう危険性もあるが、そこでイカしたコードを提示することが、センスの証となる。

そこまでの組み合わせを試せる力も時間もないが、せめて自分の好きなコードや引きやすい形でのポジションを試している。

そもそも、カバーでその曲選択することが、自分の意思であり感性だ。さらにそこでコードを再構築して、自分の独自の解釈や世界観が提示できたら、理想的なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?