踊るつんは御殿

26歳会社員。日々感じたこと、めもっとこう。

踊るつんは御殿

26歳会社員。日々感じたこと、めもっとこう。

最近の記事

味がなくなるまで楽しかったことを思い出す癖

たまに過ごせた楽しい時間。会話。それを思い出して時間を溶かす。昔からそうで、中学生の時から嬉しくて忘れたくないと思ったことはノートに綴ってきた。楽しかったことを反芻する日記。昨日だって一日中好きな人と過ごした日のことを思ってたら時間が溶けた。 過去を反芻することに、どれだけ時間を使っただろう。現実逃避してるわけじゃない。楽しかったことは、味がなくなるまで噛み続けたいのだ。ちょっと時間が余れば、その世界に飛び込む。それが私にとって1人で生きるための戦略なのかもしれない。 だ

    • 隙間が空き、埋めずにいられない気持ち、即ち

      「もっと自分を愛して!」と他人から言われました。 (え、私自分のこと十分愛してるけど???ってなったのですが。) 事の発端は私の仕事の話。その方は資本主義が嫌いみたいで、とにかく消費者心理につけ込むものは愛がないとのことで。(この時点で私の仕事の否定ですね。) 初対面でよう知らん相手に対してなかなか言いますな〜と思いました。まぁ私もその方のことよう知らんのですけど、、。 なんで今そういう仕事をしているか説明してる時に「〜しないとダメと思って」って私が言ったんですね。そし

      • Cカールな連休最終日

        人生初のまつげパーマの帰り、ふとカレーの香りがした。今いるのは新宿、まだ夕飯には早い時間帯だった。ふらつこうにも私にとって新宿は深夜バスの出発口でしかなく、土地勘はなかった。それなら家により近い渋谷でカレーを食べようと、1番身近な山手線に乗った。東京って不思議で、有名な場所と有名な場所が近すぎる。カレー屋を調べるには短すぎる乗車時間だった。とりあえず前行ったことがある店をあてにしたが、こんな道だったっけ。と完全に迷子になる。前回は友達と昼間に行ったので道そのものは見えていなか

        • 闇雲を生きる考え方

          一人の人生を事細かに年表にすると、それは一直線ではなく輪になると思う。だからこそ、今自分がどこにいるのか、闇雲すぎて不安になる。前を向いていると思ったら後ろを向いていたり、後ろを向いていたと思ったらそれは前だったりする。 何かを決める時の材料は、自分が通ってきた過去にある。だから、未来に向かう事は同時に過去に向かう事。そういう感覚が私にはある。今なんとなくやってること、見たこと、起きたことは全て伏線であって、未来からやってきた自分がしっかり回収していく。例えば、今日の晩御飯が

        味がなくなるまで楽しかったことを思い出す癖

          言ってないだけで嘘はついてないある一定の期間

          あほらしい、と我に返った。雰囲気でその人を好きになりかけた。自分だけが盛り上がっていた。これまでの真面目な自分が恥ずかしく、同時に目の前の人の手のひらで転がされていたことに悲しくなった。もしかしたらその人は転がしている気もなかったのかもしれない。私が勝手にその手によじ登って、居心地良くゴロゴロしていただけなのかもしれない。この悔しくて悲しくて、ついでに寂しい気持ちを誰にどんなふうに伝えたら気が済むのか。気の済ませ方を知らなくて辛かった。 とはいえ、初めて遊ばれるという経験を

          言ってないだけで嘘はついてないある一定の期間

          推し、(血と成り)燃ゆ

          「推し、燃ゆ」を読了しました。 何かに突き動かされるように購入し、そのままミスドでちょうどいい濃さのコーヒーを頼んで、おかわりせずに読み終えました。 私自身にも推しがいて、その推し方はこの本の主人公に少し似ている気がしてました。物語の中盤までは。 だから途中、Twitterに書きました。 「推し、燃ゆ 8割私で死んじゃう」 ところが私はそれをツイートすることはなく、下書きに留めておきました。それは私にも読解力の欠片が存在したからなのでしょう。無意識にこの物語の重さが体

          推し、(血と成り)燃ゆ

          総じて論ぜられてたまるか、自死

          芸能人の自死が続く。悲しすぎて、すぐにはご冥福をお祈りしますなんて思えない。そんな方は大勢いるだろう。私もその一人だ。そのショックをさらに大きくしているのは、一般的に「自殺しそうにない」という人がそうなってしまったからなのかもしれない。自殺しそうにない、というのは単純にそういう部分が全くと言っていいほど見えないということだと思う。芸能界なんて特にそういう部分が見えにくいところだから、一般人の私たちは知り合いが亡くなったのとはまた別のベクトルで色々考えてしまう。 人間は想像力が

          総じて論ぜられてたまるか、自死

          Twitterで荒ぶる娘の顔は真顔

          文章を書くのは自分のため。 岸田奈美さんの記事を読んだ。キナリ杯を開催した本当のわけを書いたもの。そこでは文章を書く理由について語られていた。 ・キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと https://note.kishidanami.com/n/nc3b926e4e440 岸田さんの文章に力強くうなずいた。文章っていうのは面白く書こうとすると途端に面白くなくなるっていうのを私は何度も経験してきた。 とはいえ、私は別に文章を書くことを生業にはしていないし、しかも

          Twitterで荒ぶる娘の顔は真顔

          居ていい。〜存在の肯定のために祈り続けるグループ〜

          手越がジャニーズを辞めた。NEWSを辞めた。 いつ、NEWSを離れようと決めたんだろう?それがわからない。NEWSはコロナがなかったら3月から6月までコンサートをやるはずだったんだよ。しかもただのコンサートではなく、4年間伏線をまき散らしてきた4部作最終章としてのコンサートだったんだよね。その構想をNEWSや周りのスタッフさんが考え出した時、せめて4年後まではNEWSがいまの形であるとしていた、はず。そのおかげもあってか、不安定なグループだけど、やっと「4」で落ち着いたと思

          居ていい。〜存在の肯定のために祈り続けるグループ〜

          猫の喧嘩ごときで

          外で猫が喧嘩している。私はそんなことで一日中閉じていた目を開き、窓まで開けて様子を見た。結局猫の姿はどこにもなく、ギャウ〜という声が家の中に入り込んできただけだった。 生きているうちは同じ姿勢でいることも目を閉じ続けることもできない。目を閉じている間に死を選択するスイッチを頭の中で入れたとしても、絶対死なない。興味のあるものには飛びつかざるを得ない段階の人間は、中途半端に死を選択できる立場ではない。 最近は腹の調子が悪く、食べたものが消化されずに体の外に出る。ああ、体を通

          猫の喧嘩ごときで

          バッジのある愛、ない愛

          自分が考えていることは大抵やりたいことであって、なりたい姿を設定してから落とし込んだTODOではない。後につながるか、なんてやってみないと分からないはずなんだけど、そう進むわけにはいかない仕組みがある。それは未来を守る仕組みで、それがリスクを飲み込んでくれて、ちゃんとみんなを守ってきたことは確かだな。 でもね、自分がしてきた決断を思い返すと、成功するか失敗するかなんて考たことがなかった。やりたいかやりたくないかだった。やってみたいと思ったことはやらずにいられないのが私だった

          バッジのある愛、ない愛

          漂う水

          実家に出戻ったけれど、まだ元の家を引き払えていない。今日は溜まっているだろう郵便物を引き取りに、3週間ぶりに元の家の玄関の前に立った。鍵穴に鍵を突っ込もうとしたら、頭の血が薄まりながら全て後ろに持っていかれる感覚を覚えた。それはかなり気持ち悪く、後ろに倒れそうになってしまった。後ろが気になったので振り向いたが誰もいなかった。気のせいかと思ってもう一度鍵穴に鍵で触れが、やっぱり頭の血が持っていかれた。 考えてみると、私はこの家に気持ちを残しすぎたのかもしれない。去年ここでもの

          ダメな私をどうぞ 〜ホルモン主義〜

          会社の研修でケーススタディをやることになった。主人公の佐藤さんは私のようにダメだった。 私は佐藤さんであり、佐藤さんは私だった。みんなして彼か彼女かわからない佐藤さんの「改善点」をホワイトボードに書いて議論を交わす。ねぇ、みんな、みんな。ダメじゃないことを普段普通の顔してやってるのかい。私はこういうダメなこと普通にしちゃってますけどね、なんて思いながら、佐藤さんごめんよ、って思いながら研修が運びやすいように正論を並べたのだった。ねぇ、みんな、みんな。いったい何がダメじゃない

          ダメな私をどうぞ 〜ホルモン主義〜

          エッセイを摂取するとき

          エッセイはおしゃれなカフェとかで一気に読むもんじゃない。 人間の感覚を自分の中に入れるという行為は用法・用量を守らないといけないようで、守れなかった私は吐き気を催している途中だ。 言葉にはその人間が現れるとはよく言ったもんだが、現れたその人間には一貫性がないことが往々にしてある。そんなの当たり前だし、お互いにそれを許しながら受け入れながら日々社会で交わっているのだけれども、 だけれども、その人間に一貫性を見つけたいという欲望は確実にあるでしょ。この人はこういう人だって言いた

          エッセイを摂取するとき

          亡くなった人の誕生日

          祝いたいと思う。今日はその人の誕生日。その人を思い出して、ずっと好きだよって叫びたい。その人はもう歳をとらない。私はこれからどんどん歳をとる。こうやって、だんだん離れていくのを感じるけど、それでもその人を思うことはやめられない。4/24だけと言わず、色んなところで思い出す。決してそれで悲しくなるわけではない。生きている友達を思い出すことと一緒。本当に好きだから、思い出す。誕生日おめでとう。 tsunha.

          亡くなった人の誕生日

          初めて自分の体の中を見た感想

          自分の体なのに、遠い宇宙を見ているみたいだった。初めて自分の子宮をみた。定期検診だったので、ものの20秒程度だったけど、とても興奮する経験だった。 https://www.bbc.com/japanese/47890253 ブラックホールも昨日初めて見た。23年生きてきて、自分の子宮よりブラックホールの方が1日早く自分の目に入ったのは、とてもおかしなことだと思う。ひと時も離れたことのない子宮、遠く離れた宇宙、私にとっての距離は同じになってしまった。 自分の体なのに、その

          初めて自分の体の中を見た感想