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【レポ】国立文楽劇場/夏休み文楽特別公演

先日の国立劇場「7月歌舞伎鑑賞教室」のレポート記事に続き、今回は国立文楽劇場で実施された「夏休み文楽特別公演」についての紹介を行う。

前回の記事はこちら

同じ「紅葉狩」の演目だが文楽特有の演出に変更、調整されて上演が行われている。比較した詳細と刀剣乱舞ONLINEとのコラボレーション情報については、以下の記事でまとめて述べているので、参考としてほしい。

さて、今回の夏休み文楽特別公演は3部形式となっており「第1部 親子劇場」「第2部 名作劇場」「第3部 サマーレイトショー」での上演であった。
小烏丸の伝説が描かれる紅葉狩については、第3部で上演されたため、今回のレポートは第3部のみである点、ご理解いただきたい。

ちなみに、上演終了後の8月5日(金)~8月25日(日)まで上記の公演について動画配信が行われることが決定している。気になる方はぜひこちらでチェックして欲しい。

花上野誉碑 志渡寺の段

さて、第3部のサマーレイトショー、最初の演目は「花上野誉碑はなのうえのほまれのいしぶみ」である。
この話は10段あり、その中でも4段目となる「志渡寺しどうじ」が有名な演目となる。天明8(1788)年に初演。司馬しば芝叟 しそう)・筒井半平の合作とされる。

タイトルだけでは何の話かわからないだろう。
題の「花上野誉碑」というのは東京・上野の寛永寺にあるとされる、主人公・民谷(田宮)坊太郎※の供養塔のこと。「志渡寺」というのも香川県さぬき市にある、志度寺のことを指していてゆかりの地は現存している。

話の内容は、父・民谷源八を闇討ちした相手を探し出し、坊太郎が「敵討ち」を果たす物語である。しかし、この「志渡寺の段」は敵討ちのシーンではない。坊太郎の成長にすべてを掛けた、律儀な乳母・お辻の(ちょっと怖いぐらいの)願掛けシーンが見どころなのだ。

※物語によってそれぞれ民谷、田宮と異なるが読みは同じ「たみや」。基本的にその物語の表記に従って以降紹介している

あらすじとみどころ

かなり長くなるが、あらすじもざっと紹介しておこう。

讃岐国(現在の香川県)の民谷源八は、忠心が主君に認められ、足軽から武士に取り立てられます。その出世を妬む森口源太左衛門は、源八を闇討ち。源八の遺児・坊太郎は志渡寺に預けられますが、口がきけなくなる病にかかってしまいます。
志渡寺では、鎌倉へ差し向ける武術の達人を決定するため、剣術試合が行われることになりました。源八の妹婿・槌谷内記と源太左衛門が対戦することになりますが、ここでも源太左衛門は悪知恵を働かせて勝利。
違和感のある結果を察した志渡寺の方丈(住職)は、恨みを残さないよう内記と源太左衛門に盃を交わすよう勧めます。しかし、酌をするよう指示された坊太郎は、嫌がって源太左衛門には酌をしません。これに怒った源太左衛門が坊太郎をねじ伏せたところ、坊太郎の袂から献上品の桃が出てきました。献上品を盗んだということで、坊太郎を手打ちにしようとする源太左衛門。方丈のとりなしと、乳母・お辻の必死の懇願で、なんとか一命を取り留めるのでした。

敵となる源太左衛門は、坊太郎が源八の子どもであることを知っている。つまり「お酌をしろ」というのは嫌がらせで、その後、桃を盗んだことをなじる様子も大人げない。子どもを踏みつけ、源太左衛門が高笑いするシーンは腹立たしいと誰もが思うだろう。
さて、見どころになるお辻の願掛けシーンは、後半部分である。

お辻は坊太郎の病気が治るよう、食事を断って金毘羅権現に願掛けをしていました。それなのに、なぜそんな盗みをしたのかと問いただすと「食事ができないお辻を想って、取った」と説明する坊太郎。
心を打たれたお辻は、憔悴した体に鞭打って一心不乱に金毘羅権現に願います。最早、命すら差し出すお辻に坊太郎は経を唱えはじめました。
実は内記の指示で、源太左衛門を欺くために言葉を禁じられていたのでした。お辻は「私の願いは無駄だったのか」と嘆きますが、坊太郎の武芸や勉学の成長が著しいのは願掛けのおかげであったことが内記の説明で分かりました。お辻は大人顔負けの剣術を見せる坊太郎の成長を見届け、金毘羅権現に感謝しつつ息を引き取ったのでした。

「なーむーこんぴら、だーいごんげーん」と何度も繰り返されるお辻の鬼気迫る願掛けの様子は、演者だけでなく、三味線弾き、太夫(語り)も一心不乱となる。この様子は圧倒的で筆舌に尽くしがたい。過去、このシーンの最中に三味線弾きが気を失い、そのまま亡くなったという例があるというのだから驚きである。

文楽ならではのシーンと工夫

さて、あらすじはわかりやすいようかなり登場人物を削ったのだが、場面によっては8人もの人物が舞台に並ぶ。
文楽人形の操作には、主遣いおもづかい左遣いひだりづかい足遣いあしづかいの3人が関わっているので、8体×3人=24人が舞台に上がることになる。(これに加え場合によりサポートを行う黒衣も入る)慣れないうちはこの人の多さに驚くかもしれない。
ちなみに、主遣い=かしら(頭の部分)と右手の操作、左遣い=左手の操作、足遣い=足の操作となる。
「足10年、左10年」という言葉があるように、足、左手の長い修練の後に主遣いを行えるようになるそうだ。よって、最も難しい主遣いだけは顔を出した「出遣い」という形で行われていた。
ちなみに、女性の人形には足が無い。よって足遣いは手の拳を使って膝を表現しながら動かしている。見ていると足腰悪くなりそうだと余計な心配をしてしまうのは筆者だけではないはずだ。

また、基本的に三味線弾きと太夫は2人1組で物語を進めていくのも文楽の特長。つまり、悪役の源太左衛門と律義者のお辻も全て同じ太夫が読み上げることになる。
しかし、先ほども言ったようにシーンによっては命がけになるのだから、長丁場を2人1組で全てやるのは非常に厳しい。そこで行われるのが「盆回し」というバトンタッチスタイルだ。三味線弾きと太夫の乗る「ゆか」というばしょに回転式の装置が付いており、出演中の2人と後を繋ぐ演者がクルリと交代できるようになっている。勿論、交代時には黒衣がアナウンスしてくれるので、この時に拍手を送ってるのがマナー。
ちなみに、この志渡寺の段は中・前・切の3場面で交代が行われる。序盤の落ち着いた語り口と終盤の迫力ある語り口を聞き比べてほしい。

文楽の演じ手たちを詳しく知るには、こちら

余談だけれど、歌舞伎の語り口に比べると文楽の語り口はちょっと大阪弁だ。江戸時代の大坂で竹本義太夫が生み出したことから「義太夫節ぎだゆうぶし」と呼ばれる。なんとなく怖いシーンもコミカルに感じられるのは、この辺りのニュアンスもあるかもしれない。

お辻の願掛けと舞台装置

何度も言うが、終盤のお辻が行う願掛けは常人と思えない気迫を持っている。(というか途中で坊太郎も若干引いている)
髪を振り乱し、白装束になり、滝行をするだけでなく、自分の身に短刀を差すほどで、お辻は動き回るし、引き留めようとする坊太郎も走り回るので、これらを操作する遣い手たちも当然汗だくだ。坊太郎のバタバタという足音は遣い手自身の足音を使う辺りは、歌舞伎の演出(ツケ)と異なるポイント。

文楽の舞台は、観客から見えないようそれぞれ「手摺」で隠されているが、遣い手が動く「船底」という場所が設けられている。
客席から見ると3層構造になっていて、一の手摺とちょっとしたスペース、二の手摺と船底、三の手摺(本手摺)と奥のスペース、屋台という背景が存在する。
言葉ではわかりにくいと思うので、こちらも参照してみてほしい。

坊太郎とお辻はこの一番手前のスペース、船底、奥のスペースまで動いているので、かなりの広範囲である。また、滝行をする際は舞台装置が切り替わって志渡寺の様子から高い滝の様子が表現される。滝をどう表現しているかは是非、実際の様子を見てほしい。

髪を振り乱す、というのも人形と思えないほどリアルだ。これは実際の人間が髪の毛を結うのと同じ形式で、文楽人形のかしらが作られているためである。
内記の妻・菅の谷が武家の妻らしく、キリっとした髪と衣装であることに比べ、主を殺され坊太郎にすべてを託し、37日間も断食をしているお辻はボロボロの髪と衣装で描かれる。この辺りの細かい造りも、いかに製作者が心を込めているかわかる仕様であった。

一心不乱に祈る様子から一転、お辻は坊太郎の成長を見届けて息を引き取る。このときの表情にも遣い手熟練の技が見受けられる。また、終盤に金色の御幣が空に浮かぶが、これは金毘羅権現の神聖な姿を現していて常人には見えない。死出の旅に向かうお辻だけはこの御幣が見えていて、そこに合掌する様子に胸を打たれた。

原話「田宮坊太郎物語」

さて、花上野誉碑は坊太郎の敵討ちの話であることは先に述べた。それにしてもちょっと演出が過剰というか、耳にタコができるほど「南無金毘羅大権現」が繰り返されるのはなぜか。

しっかりゆかりの地が残っている通り、この物語には元となる「田宮坊太郎の敵討ち」という話があったからと思われる。これは江戸時代、寛延・宝暦(1748~1764年)ごろには成立していた物語で、実録と虚構を交えた作品だ。曽我物語をはじめとした敵討ちストーリーが流行ったこと、また当時金毘羅信仰が広まったことから脚色が加えられ、花上野誉碑が生まれたとされる。

例えば、内記と源太左衛門が盃を交わすシーンで坊太郎が酌を断るのは、もともと源太左衛門がお茶を所望したのを断った逸話から出ている。あくまで創作ではあるが、当時の事件をベースにしていることを踏まえながら鑑賞を楽しみたい。

余談だけれど、実は田宮坊太郎は「魔界転生」という全く別の物語でも復讐に燃える剣客として描かれる。2018年、舞台になり話題になるのだが、この田宮坊太郎を演じていた俳優・玉城裕規は「舞台 刀剣乱舞」「映画 刀剣乱舞ー黎明ー」で小烏丸を演じている。偶然だが、これも何かの縁だろうか。


紅葉狩

さて、休憩を挟んで「紅葉狩」が上演された。過去のnoteでも紹介した通り、こちらは歌舞伎の演目をベースに簡潔な構成にアレンジされ、昭和14(1939)年に初演されたもの。

あらすじとみどころ

概ね歌舞伎のストーリーに沿った形だが、やや異なっている箇所があるため、あらすじを再度紹介しよう。歌舞伎と異なる描写を太字にしている。

信州(現在の長野県)にある戸隠山。ある秋の夕暮れ、紅葉は時雨でいっそう美しくなっていました。
その山道を、平維茂たいらのこれもち供も連れずに歩いていきます。素晴らしい景色に見とれていると、琴の音が聞こえてきました。どうやら身分の高い人が紅葉を楽しんでいるようです。
興を削いではいけないと維茂がその場を立ち去ろうとすると、美しい更科姫さらしなひめが酒宴に誘います。美しい紅葉と酒ですっかり打ち解け、優雅に舞う姫を見ているうちにとうとう維茂は眠り込んでしまいます。それを見た更科姫は姿を消しました。
日が暮れ、1人眠る維茂のもとに山神さんじんが現れました。山神は危険が迫っているので早く目覚めるよう促します。はっと維茂が目覚めると、恐ろしい形相の鬼女が現れました。実は更科姫は鬼女で、かつて討たれた仲間の鬱憤を晴らそうと維茂の命を狙っていたのです。
雷が鳴り紅葉が飛び散る中、鬼女は毒気を吐きながら維茂に襲い掛かります。維茂は名剣・小烏丸をもって勇敢に立ち向かい、奮闘の末に鬼女を退治したのでした。

歌舞伎の紅葉狩と違って、文楽での維茂は1人で戸隠山を訪れている。通常、維茂ほどの身分であれば供を連れていくのだから、この点は少々異質な感じがするはずだ。太刀も弓も自分で持って来ている様子が見てわかるだろう。また、更科姫たちに何者かを尋ねるやり取りも、維茂自身が行っている。

さて、冒頭からちょっとした違和感があるのだが、この後登場の更科姫にも観客は違和感を持つ。そう。あまりにも熱心に維茂を引き留めるのだ。更科姫も侍女たちを遣わず、多弁と思えるほどに自ら語る。
太夫のセリフには「浅き契りを末までも、遂げたさ故の我が思い」というフレーズがあるが、つい数分前に出会った割に永遠の契りをしようというのだから、その熱烈っぷりが伺える。他にも、随所に更科姫が色っぽく引き留める様子が描かれているので、注目して欲しい。

さて、なぜここまでして引き留めるのかというと、無論その後の鬼女がしっかり語っている。仲間を維茂に殺されているからである。
この描写は文楽の紅葉狩にしかない。よって、歌舞伎から文楽への過程で追記されていることになるが、この1フレーズでぐっと鬼女の恨みと維茂を狙い続ける理由がすんなり理解できるのではないだろうか。この点に、文楽特有の人情味を感じる。
鬼女はあの手この手で維茂を追い詰めようとする。毒気を吐く様子をインパクト付けるために黒煙を吐かせる演出も加えられた。

更科姫と山神の舞の特徴

歌舞伎の紅葉狩と同じく、更科姫のあっと驚く舞「二枚扇」についてはほぼそのまま文楽でも再現されている。最初は1枚の扇を使ってしずしずと舞うが、途中から2枚に増え、投げ上げて回転させた後、キャッチしてみたり、クルっと回すあたりも見事である。
これも全て3人がかりで人形を操作しているのだから感嘆してしまう。左右の手の動き、足の拍子もぴったり揃う様子には自然と拍手が湧く。勿論、この動きは遣い手にとっても非常に難易度が高く、そう簡単にできる役どころではない。よって更科姫だけは特別に3人とも出遣いになっている。

一方、山神の舞はテンポが良く、維茂を必死に起こそうとする可愛らしさも垣間見える。トントンと足踏みする音は遣い手自身の足音で表現している。こちらも手に持っている杖を左右に持ち替える為、3人の呼吸が合っていなければ舞にはならない。

ちらっとお伝えしたが、男性の人形はしっかりと足がある一方、女性の人形には足がないので、舞の時に足遣いがどのように動いているのか、山神と更科姫で比較するのもいいだろう。

豪華さは歌舞伎譲り

さて、遣い手だけではなく文楽人形の衣装にも注目して欲しい。更科姫の赤い着物と豪華な頭飾り、維茂の薄紫の衣装と戦闘時の衣装アレンジ(袖のひもをくくって後ろに回し、腕まくりスタイルになる)、山神のスッキリした白と緑の爽やかな衣装、鬼女のギラギラとした橙色の着物。
これらすべて、歌舞伎の衣装を踏襲している。鬼女のかしらの隈取や髪型は少々異なっているが、見比べてみると非常に上手く再現していることが見て取れる。

舞台も同じく、天井と背景を飾る紅葉、センターに置かれた松の木が再現されている。逆に姫君たちが隠れて宴をしているときの幕の色が変わっている点が面白い。
これに加え、実はこの紅葉狩は太夫と三味線弾きが全員床にずらりと並ぶのも特長。当然、先ほど花上野誉碑で紹介した「盆回し」はこの演目ではないのだ。これは歌舞伎の三方掛合さんぽうかけあいを再現したためと思われる。
登場人物は割愛されているが、舞台の華々しさは引けをとらないよう、工夫を凝らしている様子がわかるだろう。
名刀・小烏丸の描かれ方も歌舞伎のものが流用されている。鬼女がやってくるたびにぴょこんと動いて主人を護る刀に注目だ。

さいごに

文楽は人形劇でありながら非常に見応えがあるもので、枚挙にいとまがない。「たかが人形では?」と油断するなかれ。逆に人形だからこそできること、できて驚くことの発見が多かったと言える。
この公演では事前の解説が無い分、少しとっつきにくいかもしれないが、大迫力の「花上野誉碑」と華やかな「紅葉狩」の組み合わせに面白みが感じられるはずだ。

なお、文楽人形の仕組みや刀剣乱舞ONLINEとのコラボの一環で制作された、「刀剣男士・小狐丸」と「刀剣男士・小烏丸」の文楽人形の詳細は次回の記事で紹介する予定だ。人形にも多数の種類、仕掛けが施してあるのでじっくり見て欲しい。


参考
国立文楽劇場 第一六七回=文楽公演 令和四年七・八月
「公演プログラム」「床本集」

ユネスコ無形文化遺産 文楽への誘いhttps://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/bunraku/jp/index.html

名剣小烏丸伝承の物語 刀剣乱舞ONELINEコラボリーフレット


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