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夫と子供と私の話⑪

目まぐるしく環境が変わる中、子供がその変化に気付かない筈がない。

急に夜中に病院に連れて行かれ、痩せて小さくなったお父さんは不思議な乗り物(車椅子)に乗るようになり、リビングにあった自分のスペースが追いやられ。

彼女だって当然不安だったろうに、私は夫と自分のしんどさでいっぱいいっぱいだった。
こういう事は通り過ぎた今でこそ思い至るけど、この時はその不安に全然気付いてやれてなかった。
ニコニコしてていつも元気で明るいから。
4歳になったばかりの子供の、その逞しさに完全に甘えていた。
情けない、本当に。


このままでは家族全体が壊れる。
危機感を持った夫が頼ったのは夫婦共通の友人達16名。
年齢も職業もバラバラで、お勤めの人もいればフリーランスもいる。
皆、人に甘えるのが下手くそな私たち夫婦をいつもそっと見守ってくれていた。

LINEでグループを作り、我が家の窮状を説明する。
事情を知った彼らは「よし来た任せろ!」とばかりに全員一致で快諾してくれ、私は安堵と嬉しさでまた泣いた。



がんの告知を受けた日から、私は夫の心を守る盾となった。
プライドが高く、人に弱い所を見せるのが何より苦手な夫。 
若くして肺がん、しかもステージ4となると親切心ではあるものの、周りから色々と言われる事が増えた。
不幸中の幸いで、保険の一時金や、ずっと赤字だった会社の経営が上向き始めた事で収入が安定していたのもあり、病気による困り感はあまり感じることは無かった。
いや、無いことはない。
私に限って言えば、大変なことは山ほどあった。誰かに頼りたかったし、甘えたかった。

だけど、当事者である夫は人に弱みを見せるのを嫌がった。
病気の事を知っている相手の前でも務めて平気そうに振る舞った。

「がんになっても至って普通に生きている」

これが夫にとってのモチベーションであり、それを阻むような親切はむしろ嫌悪した。

そういうものから夫を遠ざける為、私もまた努めて平気なふりをした。
手を差し伸べて来る相手に私たち基準の「余計な親切」を察知するとやんわりと、でもきっぱりと拒絶した。
病気の当事者が夫である以上、夫の望むように環境を整えるのが私の望みでもあったからだ。

それはとても緊張感があり、私はそういう事にも疲れていた。

だから、夫が友人達に弱みを晒して頼るのを決めてくれた事は
私にとって足枷が一つ外れるような解放感があった。


私たち家族と16人(とその家族)の最後の生活が始まった。




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