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夫と子供と私の話⑨

お前の思う「俺の在り方」なんて、ただの押し付けだ
俺に幻想を押し付けるな

夫にそう言われたみたいな気持ちだった。
申し訳なく、恥ずかしく、自分が厭らしくてたまらないような、そんな気持ちだった。

新しい主治医との話の中での「余命を知るのは怖い。自分だってただの弱い人間だから」という言葉は、間違いなく私に向けて発せられたものだった。

ごめんなさい、私は何も分かっていなかった

そう思いながら、晩の用意をした。

朝、いつものように子供と起きてリビングに降りる。
そこに夫がいる。それが私も子供も嬉しい。
簡単な朝食を子供に食べさせ、保育園に連れて行く。
家に戻ったら洗濯と、夫の朝の服薬の補助。
その頃の夫の薬は8〜10種類ほどあり、その準備をするだけでも一仕事だった。
一緒に確認しながら揃えていく。
そして前日の夜は疲労が強くて出来なかった入浴。
脱衣所と風呂場の段差が結構大きくて不安だね、まあでもやってみよう、と言いながら手伝う。
その後夫が自分では届かない背面や下半身をタオルで拭き、入院中に出来てしまった床ずれに薬を塗る。
そして下着とパジャマのズボンに足を通すのを手伝い、転倒に注意しながらベッドへ誘導する。

ここまでやって、気が付いたらお昼になっている。
午後になると夫の両親が様子を見に来る。
しばらく居て、帰ったと思うと入れ違いに訪問看護が来る。
診察が終わって看護師の皆さんを見送ると、子供のお迎えの時間になっている。

目まぐるしい1日の中で、私はどんどん苦しくなっていく。

昼間に夫が「家族旅行しようよ。国内で」と言った。
「いいね」と私も答える。
夫が「行くとしたら9月の終わり位かな」と言う。
私はちゃんと答えられない。
だって夫はその頃には多分いない。

話はゆっくりとだけど、他にも移っていく。

あの人とあの人に会いたいな。
事務所に顔出して今後の事も決めなくちゃ。
ずっと一緒に仕事してきたメンバーともゆっくり話がしたい。
そういえば更新手続きしてたパスポート、出来上がってるから取りにいかないと。

やりたい事が色々ある人なんだよ。
会いたい人が沢山いる人なの。
時間がないんだよ。
黙ってたら何もやらない内に死んじゃうよ。
そんなのやだよ。

結局、その夜に私は話をした。
私は結局、夫の望まない事を「自分が苦しくて堪らない、言わなかったら夫が死んだ後もずっと後悔する」と言う自分の理由で、泣きながら謝りながら夫に話をした。
私はめちゃくちゃ自分本位で、暴力的だ。
夫を愛している、と言いながら、夫に理不尽な要求を突きつけてそれを飲み込ませ、夫から自分への愛情を証明させようとしている。

正確な余命は言わなかったが、9月の旅行は難しいと伝えた。
夫はそれで理解したようだった。
そして「そんなに残り時間が少ないのを知ってて君はここまでやってくれてたの?俺が逆の立場なら、自分が落ち込むばかりできっとここまで出来てない。本当にありがとう」と言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、また涙が出た。

それまでずっとぼんやりとしていた夫の焦点が数週間ぶりにはっきりとし、旅行の行き先、日程、同行を頼むメンバー、今後会いたい人のリストアップなどをすごいスピードでやり始めた。

私は自分本位で暴力的だけど夫の事は本当に大好きで、
だから夫のやりたい事は全部叶えたいと思った。


でも聞きたくないって言ってたのに、悪かったなぁ。
本当にごめんよ。





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