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夫と子供と私の話⑩

在宅看護生活は予想通りというか、予想を超えてしんどかった。

そもそも、それまでの生活(家事全般、育児ほぼ全般、あと仕事)ですでに私の小皿キャパはギリギリだった。
そんな限界ギリギリの中、更に末期のがん患者の心身ケア労働までというのはもう完全にキャパオーバーで、どっちかというと私が先に死にそうだった。

それでもまだ平日は保育園があるので何とか凌げた。
いよいよ無理だと根を上げたのは、夫が帰って来て最初の週末だった。

夫のケアをしながら、子供の事も目が離せない。
元気有り余る幼児に大人しくしろと言っても難しい。
ゆっくり休めず不機嫌な病人と、公園に連れて行ってもらえず怒られてばかりでストレスを溜める子供の板挟みとなった。

夕方、夫が車椅子でスーパーに行きたいと言い出したのがその日最大の難関で、ベビーカーで行きたいとゴネる子供を説得するのに1時間かかった。

子供がなんとか納得してくれた為、
夫、退院以来初めての外出。
私、既に疲労困憊。

車椅子の扱いは先の入院中に慣れた筈だったが、段差のないツルツルの病院の床とデコボコのアスファルトの地面では、操作に天と地ほどの違いがあった。
普段何も考えずに歩いている歩道に、息を飲むような坂があるのを初めて感じる。

更にいつも通い慣れているスーパーは道幅が狭く、車椅子と子供を横に連れて歩き回るのは至難の技だった。
すれ違う他の買い物客や商品にぶつからないように細心の注意を払いながらレジの列に並ぶ。行列を横断して通り過ぎるご婦人が危うくぶつかりそうになる。
向こうから突っ込んで来たけど、咄嗟に「すみません」と謝ると、そのご婦人はものすごーく嫌そうな顔でこちらを一瞥した。
このクソババア
という言葉をなんとか飲み込む。

会計と袋詰めを終えいざ出口へ向かうのだが、このスーパーで一番混雑している袋詰めコーナーの横をすり抜けなくては外に出られない。
「これ物理的に無理だろ」と立ち往生していたら、私たち夫婦がこの町に越してきた時からレジ打ちをしている女性が「すみませーん!車椅子のお客様が通るので道あけて下さーい!」と他の買い物客に向かって声をかけてくれた。

あの人、いつもあんまり笑わないし、ていうか怒ってるみたいで声もボソボソしてるのに、あんなに大きな声が出るんだな、他のレジにいたのに私たちの事ちゃんと見ててくれたんだな、と思った。
声をかけてくれたレジの女性と、道をあけてくれた人全員の目を見ながら「ありがとうございます」と言った。
絶対「すみません」は言わないぞ、と思った。

帰り道で歩くのが嫌になってしまってぐずり出した子供を何とか励ましつつ家に辿り着く。
私1人なら20分で済む所を1時間以上、体感としては電車に乗って小旅行くらいのボリュームに感じた。

なんだか、猛烈に惨めだった。

私たちは今や圧倒的に弱く、それまで持っていた「自分たちでやれる」という誇りがボロボロと剥がれ落ちていく。
立場の弱い子供と病人を抱え、守らなくてはいけない側となった私は精神的に追い詰められ、全然2人を安心させてあげられていない。
こんなにも自分が「できない」という現実を思い知って、堪らなく惨めで情けなかった。


夕飯の時、とても些細なことが引き金となって、私はとうとう「もう無理だよぉ〜」とおいおい泣いてしまった。

あんなに勢い込んで、色んな人が止めるのを押し切って「家でみる」と決めたのに。
1週間足らずで根を上げる自分が情けなくて、でももうこれ以上は本当に無理で、辛くて辛くて大声で泣いた。

子供が泣きながら「泣いちゃダメ!泣いちゃダメだよ!」と私を強く怒った。

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