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夫と子供と私の話⑦

私たちはよく話をする夫婦だった。
喧嘩も多かったが、その後のフォローは話し合いで解決してきたし、仲のいい時もお互いの話を聞くのが好きだった。
夫もだけど、私がとにかく話好きなんだと思う。

話を聞いてくれる人がいない毎日は寂しい。



主治医から余命と延命措置の話を聞いてからというもの、私はいつ夫にその事を伝えるべきかで頭の中がいっぱいになっていた。

夫は自分でなんでも決める。
人に指図されるのが嫌いで、多くの事を自分の納得のいくように決めて生きていた。
でもそんな中でも私の話には耳を傾け、私が丹念に話をすれば受け入れ、納得し、方針を変える事もあった。
私もまた、どんなに夫と揉めようとも対立するのではなく、勝敗をつけるのでもない、真っ直ぐな気持ちで彼に伝えれば彼は最後は必ず受け入れてくれる、という安心感があった。
私達は信頼し合っている夫婦だったと思う。

だから、余命の事は絶対に本人に伝えるべきだと思った。
本当にあと1、2か月しか時間がないのなら、やりたい事の優先順位を付けなければ。
命の残り時間なんてこれ以上ない位の個人情報を本人が、このご時世に知らされないなんて。
きっと夫も知りたいはず。
夫の事は私が誰よりもよく分かっているから。

私は盲信してたと思う。
夫の事、なんでも分かっているつもりで、それを支えに自分を奮い立たせていた。


ソーシャルワーカーとの面談で、退院後は訪問診療を受けることになった。
輸血を2日続けて受けた夫は入院前に比べると随分元気そうではあったが、普通のベッドではもう寝起きは難しいので電動ベッドや車椅子など、ケアマネジャーを通じて介護用品のレンタルをしなくてはいけない。
その為には介護保険の申請と、訪問診療の為の病院との面談と、夫を家に迎え入れる為の家の片付けとを同時に進めないと時間がない。

これを同じ日に私1人で、仕事と並行しながらやらなくては間に合わない。
本当にあちこち走り回ってゼーゼー言いながらも、なんとか無事に片付けた。
この日の私は本当に頑張った。偉かった。
よしよし。

ソーシャルワーカーからは緩和ケアの出来る病院への転院もそれとなく勧められた。
「ご体調が良くなればすぐにお家に帰れますし」とあくまでライトに提案してくれたけど、夫は「家に帰りたい」と、ここでも首を縦には振らなかった。さすが入院嫌い。

訪問診療をしてくれる病院には入院施設もあり、そこのスタッフと私との面談でも入院を勧められた。
「小さいお子さんがいる上にお仕事までしてるのに、家で過ごすのは奥さんが倒れてしまう」と言われた。
私も「そうだろうな」と思った。
私の母も反対した。
「あんたを倒れさせるわけにはいかない」と強く言われた。
私も「そりゃそうだ」と思った。

多分ものすごい無理をしてると思ったけど、でも夫が帰りたいと言っている以上は絶対に拒否したくなかった。

めちゃくちゃ無理をして夫を家に迎え入れる用意を整えた。
夫がもうすぐいなくなる苦しさを紛らわす為に自分を酷使していた。

夫の事を一番理解してるのは私だから。

だから退院したら余命の話をきちんと伝えよう。


それだけで退院の日まで走り抜けた。

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