アフターコロナの小劇場、密に対する嫌悪感は残るのか?

密が当たり前の小劇場の芝居文化はどうなる?

密に対する嫌悪感は残るのか?

先日、芝居を運営管理する劇団座長の友人と、その劇団の舞台監督を務める方と対談をしてきました。(ドキュメンタリー映画で上映予定)

コロナ時代を経た後の芝居は元の姿に戻れるのか?

3人で共通して認識している部分は、「人は密に対する嫌悪感を残すだろう」という部分でした。

芝居と言えば、大きなホールで上演されるものもありますが、小劇場という小屋が全国にありまして、およそ密前提に作られれていることが多いです。

あらゆる用途に対応できるように座席が固定されていることも少なく、いまだ、パイプ椅子が用意されていたりする。

座席を敷き詰めると、冬なんか上着を脱ぐのに一苦労で、「もうこの状況では脱げない」となる密状態で、上着を着たまま観たりすることもある。公演の2時間は常に隣の人の衣服と自分の衣服が密着しているのは当たり前。ぎゅうぎゅうの寿司詰めが当たり前のような状態でした。

僕も芝居人ですが、正直、小劇場の客として観ることはあまり好きではない。芝居を好きでない人が行くと口にするのが「監禁状態」という言葉で、「二度と行かない」と言われたりする。
僕ら、芝居人はそんな言葉を聞くたびに「そういうものだし」「これが文化だし」なんて言葉でスルーしてきた部分が少なからずある。

小劇場公演のキャッシュフローと密の関係

では席を離せば良いというアイディアもあると思いますが、小劇場のキャパシティーは「密にして」ようやく100程度であることが多い。

更に、チケット相場もほぼ決まっていてせいぜい3,000円程度。

1公演完売して30万円。4回公演を満席にして総売上が120万円。これですら理想の数字。
なぜなら、芝居小屋のレンタル料や大道具、小道具、それこそ舞台監督を雇う、音響、照明さんも雇えば、かるく100万を飛び越える。
つまり殆どの小劇場のプランは目標がトントンであるか赤字前提ということになる。

それが座席数を減らすとなると、大赤字前提の上演ということになる。

果たして芝居文化はこの先、どう生き残っていけばよいのか?という課題が浮き彫りになる。

コロナ後の芝居も配信が続くのか

コロナ後もやっぱり配信文化が並行するのでは?という話になった。

舞台の映像をスマホで観る時代が来るのか?

個人的にはそれはかなり怪しい・・・と思っています。
なぜなら僕個人がわざわざ芝居をスマホや、良くてもPCのディスプレイで観たいと思わないからだ。

チケット料金は配信ということで劇場料金よりやや値下げして2000円程度で販売するケースが多いけど、Netflixが月額880円(新料金が990円)の時代。
小劇場の芝居を画面で見るくらいなら、映画観るかも…と思ってしまう自分がいる。

もちろん、Netflixとは別物!という感覚で舞台を神聖にとらえてディスプレイであっても喜んで観たいと思う人がいるからそれでもある程度、成立する部分はあると思う。実際に購入していただける方がいらっしゃいます。
でも、義理で観る、義理で配信チケットを購入するという人も大多数いるのは確かです。事実、購入した人数よりも再生数のほうが少なかったりする。

配信公演が劇場である必要があるのか?

さらに言えば、それ舞台小屋である必要ある?
という疑問もあります。舞台人の多くは舞台に対するプライド、こだわりがある。
ただ、そのこだわりを配信に活かせるのか?活かすのならばどう活かすのか?まで考えなければ、ただの自己満足になってしまう。

さらに生である必要ある?という考えもある。
生配信よりもしっかり編集されたもののほうが観やすいのは確か。
生であっても観客とのコールアンドレスポンスがあるわけでもない。

もしかしたら舞台配信専用スタジオがあればどうだろう?
配信するのに客席は必要ない。音声を配信機材のライン入力にすれば、超大掛かりな防音設備も必要ないのかもしれない。

そんな準備をして時代がもとに戻ったら無駄になるのでは?

でも、密に対する嫌悪感はその内、収まるのでは?という楽観的な見方もあるけど、それはそれでリスクがある。

対談させていただいた舞台監督さんはなんと田舎に帰るのだそうだ。
この先もきっと配信になる。配信する舞台を極める。
逆にそのほうが、みんなが日本全国、時には海外にいても共演できるようになるとまで言う。その時は密どうこう関係なく、これこそがあたらしい芝居というものになっていると思う。
構想は?と聞くと、まだないけど、それを探るのだそうです。

この先の形がどうなるか?を待つのではなく、自ら創るという考え方

どうなる?どうすればいい?と状況を見てから動くことも大事だけど、なるほど、自ら、切り開く、先に動くという姿勢。
時代がそう来るだろうから、こっちはこう行こうか?と考えるスタンスが素敵でした。

まだ誰も答えをもっているわけではない。
こうなるのでは?という予想のようなものはふわふわと漂っていますが。

ただ一つ言えるのは、一度確立された文化は終わらないということはかなり高い確率で言えるのだと思います。

テレビが出た時にラジオが消えなかったように。
音声配信プラットフォームの充実やclubhouseが出てきて、いよいよラジオ局やばいのでは?と囁かれていますが、きっとラジオ業界では、世の中がそう来るのであれば、こちらはこう行くか?という攻めのスタンスを持つ人がきっといて、自ら考え、切り開く。

世の中そうやって多くのことが進化していくのかなと思います。

もちろん、橋ができれば渡船が消えたように消える文化もある。
消えるものにしがみついていることはリスクだけど、100%芝居は消えないと断言できる。目に見える根拠はないけど、芝居の世界を生きてきた人であれば、目には見えない根拠があるはずだ。

自分もそういう開拓者でありたい。
そう感じた取材でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?