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その箱の中には何がある。

代表の弦巻です。
昨日、弦巻楽団演技講座  “舞台に立つ”『ヴェニスの商人』は2日間4ステージの公演を終えました。

『ヴェニスの商人』出演者一同

最終的に、各回ほぼ完売と言うありがたい公演となりました。感謝いたします。演技だけじゃなく、広報宣伝活動も頑張った受講生みんなに拍手。お疲れ様でした。

演出や指導の反省も多いのですが、受講生が立ち上げた舞台によって僕自身の『ヴェニスの商人』への評価も大きく変わりました。やっぱり凄い戯曲です。ものすごく緻密。

『ヴェニスの商人』は傑作喜劇と称されたりしているのですが、そして読んでると確かにコメディ要素満載なのですが、悪漢(?)としてコテンパンに叩きのめされるシャイロックがユダヤ人ということ、そしてそのシャイロックの台詞がとても説得力に満ちていることから、すごく差別についての問題が刺さり、喜劇としてどう形作れば良いのか、非常に悩ましい作品です。

本当に喜劇なのか。喜劇として読めないなら問題劇として仕上げていけば良いのか。でもこの横溢するコメディとしての構造や場面はどう仕立てていけば良いのか。

悩み、参加者一同とも検討し、特に北大の教員でありながら一受講生として参加してくれた種村さんの言葉にも導かれながら、作品づくりは進みました。

ヒントになったのは祝祭喜劇という視点。ユダヤ人差別が確かに描かれている。同時にさまざまな差別(人種・貧困)も描かれている。そうした諸要素をひっくるめるように、実はキリスト教徒の姿も批判的に描かれている。
勧善懲悪の物語構造に乗りながら、それ自体を観客に突きつけるように(笑わせるように)描かれている、という視点でした。

その根拠として

①「世の人々はいつも虚飾に欺かれる」と言うバサーニオの台詞。その引き合いに出される例は「悪も悪とは見えなくなる裁判」と「きれいな飾りで忌まわしさを隠した宗教」。
その後展開は裁判に至り、改宗が言い渡される。
シャイロックはテューバルと礼拝堂では(二度と)会えない。

②利息を要求するゆえに高利貸しと忌み嫌われるシャイロック。
だが対立する登場人物たちは
・「莫大な遺産を相続した」娘だから求婚し
・「金持ちユダヤ人の娘」を連れ出し(けど嘘ばっかり)
・恋のお使いとしてふさわしい理由は高価なお土産の品々

③さらに、登場人物はとにかく本質が「見えていない」。
・妻の変装を見破れないバサーニオとグラシアーノ
・結婚相手に相応しいと太鼓判を押した相手は財産をすり減らし湯水のように金を浪費する男
・意中の人を射止めた箱選びは歌によるインチキ(?)
・そもそもヒロインであるポーシャも人種差別意識の持ち主
・霞眼で息子が分からない父まで登場する。

④そうした登場人物が数々の展開の果てに悪漢(?)シャイロックを正義を盾にやり込め、ハッピーエンドに収まる。その最後のポーシャの台詞。

「でもみなさん、今度のいきさつについては十分納得していらっしゃいませんね。」


そうした検討の末、ラストシーンは台本には無いがシャイロックを登場させることにしました。
「ラストは演出なんですか?」と質問があったのだけど、そして確かに演出なのだけど、作品の構造から自然と導き出されたアイディアだったので、脚本通りです、とも言える。
きっとこういうことだろう、と全員で取り組んだ結論。


人々はいつも、虚飾(=虚構)に欺かれてるのかもしれないのだから。


お金について、宗教について、差別について、あらゆる角度から描かれ、そして作品全体が文字通り「問い」として成立している『ヴェニスの商人 』。考えていた以上の緻密さだった。
もう一度取り組みたいシェイクスピア作品が増えた。

大学で通年、もしくは前期・後期どちらかだけでもこの『ヴェニスの商人』を読み解く、または取り組む講義というのも良いかもしれない。凄く勉強になり、さまざまなものの見方が養われるだろう。どこかでやらせてくれないかしら。関心ある方はお声がけください。


何はともあれ、まずは無事に終わったことに感謝します。

“舞台に立つ”、シェイクスピア作品としては3年ぶりのマスクを外しての本番でした。
ポーシャ役のちえり、アントーニオ役の小春の二人は昨年度からの参加で2年間一緒に演劇づくりをしてきたけど、初めて素顔をちゃんと見た気さえします。
対面で会話する情報量にやはり目が覚める思いでした。

これからどうなるかはまだ分かりませんが、引き続き状況に応じて対処していこうと思います。


池を歩く鴨、池を泳ぐ鴨
小屋入り前日は中島公園の池も氷がまだ残ってました
千秋楽の朝。氷はすっかり溶けてました

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