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こつこつ京都学

Vol.4 20240123 #現地へGO  01「知恩院」その1

こんにちは、「こつこつ京都学」主宰の佳子(よしこ)です。

仕事を終え、大掃除も済ませた私は、2023年末、京都へ初めてのフィールドワークに出かけることにしました。

プレミアムカー大好き♡

目指すは浄土宗本山「知恩院」。
最近、大阪と京都を結ぶ京阪特急に乗るときは、プレミアムカーのシートを使うことにしています。

乗車券に500円を乗せますが、たった500円でリッチな旅行の雰囲気になるからです。
電車内も静かで、椅子も大きいので、ゆったり本も読めます。
ポットに熱々のジャスミンティーを入れていき、ほっこりお茶タイムを楽しみます。
最近、観光客が増えているためか、プレミアムカーも満席になっていることも増えました。


京阪特急プレミアムカー車両の内部

祇園四条駅に到着。予想どおり、インバウンドで四条通りは、人・人・人。ランチは京都へついてから、と思っていた私がアホでした。
どこのお店も、長蛇の列…。
空腹ですが、とりあえず知恩院までテクテク。
東山通りから真正面に入ります。

ここでハタと気づきました。スマフォを忘れた!
うわわ、写真を撮ることができなくなりました。
目で見て、耳で聞いて、体で感じよ。フィールドワーク第1回目としては、真っ当なスタートになったかも。
目の前にトラブルがおきても、なるべく肯定的に考えようとするのは、私がお気楽な性格だからだと思います。

参道の途中で見つけたのは「ムクロジ」の樹木。
♪イチジク、ニンジン、サンショにシイタケ、ゴボウにムクロジ♪
わらべ歌のムクロジです。
果皮にサポニンを含むため、石鹸の代用になること、固い種は念珠になること。
案内板を読んで「ほーほー」と、私はうなづきます。

ここ京都が、ムクロジが分布の北限で、こんな大木は珍しいのだとか。
これは「京都市指定天然記念物」。
京都検定の公式テキストの「京都市内天然記念物一覧表」(国指定/府指/府登録/市指定/市登録)に、項目が47個並んでいます。
そんなの覚えられるわけないわ、と思ってきましたが、こうして現地に足を運んでみると、すんなり頭に入る…感じ。とりあえず知恩院はムクロジ、ね。
47分の1、クリア。

山門でなく三門である理由

さあ、目の前に「三門」が見えてきました(トップ写真。知恩院のHPから拝借しました)

で、でかい!
1621(元和7)年、徳川秀忠が寄進して建立しています。そう、前回に書いた「外護」でっせ。
現存する二階建ての二重門として最大級で、入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)。威風堂々とした三門は、国宝です。
門の2階に「華頂山」(かちょうざん)と書いた額が掲げられています。この額の大きさだけで畳2畳以上もあるんだそうで。

お寺の名前の前に冠する称号を「山号」といいます。華頂山知恩院が浄土宗の総本山。でも正式名称は「知恩教院大谷寺」というんだそうですよ(その理由は別のnoteで)。
京都市内には京都華頂大学がありますが、浄土宗の学校だったのか、と今ごろ知りました。卒業生、在学生のみなさん、無知ですみません。
前回の「こつこつ京都学」のトップ写真で取り上げた知恩院黒門は、華頂道の先にあります。

ところでなんで「山門」でなくて「三門」なのか。
素朴な疑問にぶつかりました。ご存じですか?

三門とは、「三解脱門」(さんげだつもん)の略。
空門、無相門、無願門つまりは物事にとらわれない、見かけで判断しない、欲望のまま求めないの三つの解脱を示す…。
この門は、そんな解脱を目指す場所なのよ、というわけでしょうか。
高さ24m、横幅50mの三門を下から眺めながら、ほ〜ほ〜ほ〜と唸りました。
そんな解脱の境地には、ほど遠いなぁ。

七不思議の一つ「白木の棺」

ほんと、フィールドワークって「へえ〜」と「ほ〜ほ〜ほ〜」の連続です。
三門の2階部分には、「知恩院七不思議」の一つ「白木の棺」(しらきのひつぎ)が置かれているんだそうです(非公開)。

将軍家から三門造営の命を受けた、造営奉行の五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の自作の木像が棺に収められています。
命をかけて造営を進めたが、工事の予算が超過してしまい、その責任をとって夫妻は自刃。その菩提を弔うため、夫妻の木像が棺に収められ、三門楼上に置かれているのだとか。

ええええ!?
今、予算超過で日本中の話題となっている「大阪・関西万博」だの、少し前に大騒ぎになった「東京オリンピック」だの、世が世ならどうなったと思います?
誰か自刃するやろか?せーへん、せーへん、とつぶやいて、私は三門をくぐり、急な勾配の男坂(石段、途中何度も休憩)を登り、御影堂(みえいどう)へ到着。

ここは1639(寛永16)年、徳川家光が再建しました。はい、ここも外護、そして国宝です。
法然上人の御影を祀るところから「御影堂」、俗に「大殿」(だいでん)と呼ばれ、御念仏の根本道場です。
テレビで12月25日のクリスマスにここで開催された「御身拭式(おみぬぐいしき)」を見たばかり。

御身拭式は1650(慶安3)年ごろから続く伝統行事で、法然上人の木像を羽二重の布で拭い清める行事。大勢の僧侶と参拝者が御影堂に集い、お念仏が唱和される中で、この儀式が行われます。

須弥壇前には、「圓光大師二十五霊場」と記され、「草も木も枯れたる野辺にただひとり松のみ残る弥陀の本願」と御詠歌が記されています。
圓光大師とは、法然上人に送られた勅諡 (ちょくし) 号で、そのゆかりのある寺院が二十五霊場、この知恩院が25番目と書かれています。

御影堂の外陣に掲げられている額「明照」は、大正天皇の宸翰(しんかん)。
宸翰とは直筆のことで、私は宸翰という言葉を初めて知りました。難しい漢字やなぁ。現地に来てみてこそ知らなかったことがわかる。フィールドワークの醍醐味です。

なかなか見つけにくい「忘れ傘」

ここにも「知恩院の七不思議」の一つがあります。
御影堂正面の屋根、軒裏に置かれた、骨ばかりとなった「忘れ傘」。
左甚五郎が魔除けのために置いていった説と、知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の住まいがなくなるのでつくってほしいと依頼し、それができたお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束した説とが伝えられています。
「いずれにしても傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災から守るものとして今日も信じられている」(知恩院のホームページより)。

だけど軒裏が高くて、どこに傘が見えるんだよ、と探していたら、お寺の方がグリーンの光が出るポイントで教えてくださいました。

忘れ傘(知恩院のHPから拝借しました)

最重要点は
三門御影堂は国宝
知恩院に対する徳川家の下護
三門は三解脱門(空門、無相門、無願門)の略
宸翰は直筆のこと

(続く)

注)この日、カメラを忘れてしまったので、三門と忘れ笠の写真は知恩院のHPから拝借しました。

#こつこつ京都学
#現地へGO
#京都検定


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