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こつこつ京都学  

Vol.3 20240117 #座学こつこつ  01「浄土宗」

こんにちは、「こつこつ京都学」主宰の佳子(よしこ)です。

どんなテーマで京都の第1回フィールドワークをしようか。
最初に思いついたテーマは「浄土宗」でした。

What’s 浄土宗?

京都には、数えきれない数のお寺がありますが、そのお寺が何宗なのかって、案外意識していないのではないでしょうか。
少なくとも、私はそうでした。

ところが、京都検定の公式テキストを見てびっくり。
「寺院」の項目を見ると、「天台宗」12ページ・25か寺、「真言宗」23ページ・45か寺、「臨済宗」23ページ・55か寺、「曹洞宗」2ページ・5か寺、「黄檗宗」3ページ・4か寺、「浄土宗」12ページ・26か寺、「浄土真宗」6ページ・11か寺、「日蓮宗」7ページ・15か寺、「その他の宗派」7ページ・15か寺と、たくさんのお寺が、その「宗派別」に並んでいます。
主だったお寺がこのように分類されているだけで、取り上げられていないお寺はこの数倍に及びますよね。

比叡山=天台宗、東寺=真言宗ぐらい、開祖との強い関係があるお寺は知っていても、南禅寺が何宗か(臨済宗南禅寺派の大本山)、清水寺が何宗か(北法相宗の大本山)、恥ずかしながら私、知りませんでした〜。とほほ。修学旅行以来、南禅寺も清水寺も、何度も来ているにもかかわらず。

宗派別に覚えなあかんの、ひ〜、と深く考えず、ここは京都検定のセオリーにのっとることにします。
「○○から何周年」とか「今年は○○の年」などの記念のテーマは、問題に出やすい。出やすいところから覚えろ(笑。
「正しい」「立派だ」より、「おもしろい」「興味深い」をスイッチにした方が、行動のエンジンになると思っています。

2024(令和6)年は、開祖、法然上人が浄土宗を開いて850年目にあたる年。それが、こつこつ京都学を始める際に、最初のテーマになった理由です。

これは、浄土宗開宗850年のロゴマーク。浄土宗のホームページから拝借しています。浄土宗さん、無断でごめんなさい。
宗教にもロゴマークを考える時代なんだなぁ。


注)浄土宗のホームページから拝借しました

ざっと知り、ノートを取る

浄土宗…。「南無阿弥陀仏」ととなえれば、すべての者が救われる、お念仏の宗教だ、というイメージしかありません。
そこで、フィールドワークに出る前に、ざっと浄土宗について座学することから始めました。
「ざっと」程度にしておかないと、次が続きません。

ただし、座学もフィールドワークも、ノートをとることにしました。
ルーズリーフにペンで書いて、大事な点は青字や赤字にし、バインダーに綴じます。
今時なら、スマフォやパソコンでまとめる方が便利でしょうが、京都検定1級はマークシートではなく、「筆記」の試験なので、漢字を覚えないといけない。その練習かたがたノートをつくることにしたのです。
膨大なノートにすると、まとめるのも、見返すのも嫌になるので、なるべくB5のルーズリーフ1〜2枚にまとめることにしました。

ちなみに、検定1級を目指している同級生のNさんは、漢字検定を受けながら漢字を勉強してるんだそう。
私はそこまで手が伸びません。
「漢検準1級、1級なんて、東大王ぐらいでしか使わんと思うよ」とN さん。東大王は、テレビで見て「へ〜」「ほ〜」と言うてるだけで十分。

法然さんがスタートアップ

浄土宗の開祖は「法然」(1133〜1212)。
「法然坊源空」という名前から来ているんだって。80歳って、長生きですよね、その時代には。
1175(承安5)年、京都市東山吉水(よしみず)で、念仏を布教したことに端を発しますが、法然を開山として諸堂を起こしたのは、弟子の源智です。こういう流れがわかっていなかったですね。
宗教って、誰が起こしたか、つまりスタートアップばかり気にしますが、誰が支えたか、誰が大きくしたかってのもポイントかも。
俯瞰しながら見ていくことにしました。
「蟻の目」と「鳥の目」の両方が大事ですもんね。

九条兼実や熊谷直実など、名前だけは知ってるわ〜的京都周辺の公家や武家が法然に帰依する一方、旧仏教の弾圧で(1207年、承元の法難)で、法然は讃岐に配流されます。
そもそも土佐に配流されるはずが讃岐になったことは流刑の軽減にあたる…。ん?
つまり、当時、京都から遠くに飛ばされるほど、罪が重かったことがわかります。
土佐、隠岐、佐渡、常陸、安房、伊豆…など、今なら飛行機や新幹線であっという間に到着できる土地も、昔は流刑地だった。
「遠流」は、流罪の中でも重いもので、京からの距離で中流、近流などがあるんだそうですよ。遠流になった人は、江戸時代までは身分の高い人だけ。だからこそ、流されたその地に、都の文化が流れていくのです。
佐渡島に能舞台がある理由はこれか!とわかりますね。
歴史つながるつながる。

レッツゴー知恩院

さて、本題に戻ります。
浄土宗の教義は「専修念仏」(せんじゅねんぶつ)。ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えることで往生できると説きました。そう、私が最初に持っていたイメージ通りです。

簡単単純だったからこそ教義は広がっていった。
マーケティング的にも、納得できますが、それが弾圧を生みます。
いわば上級市民でなければ救われないと説いた旧仏教にとっては、目の上のたんこぶだったわけですね。ふむふむ。

江戸時代になると、徳川氏の外護(げご=僧侶以外の人が権力・財力・知識・労力等によって仏教を保護すること)を受けます。
外護」という言葉を初めて覚えました。反対語は「内護」。
寺社も、芸能文化も、時の権力者が支えることで、広がったり、残ったりするんですね。
この人は何を外護したか?という観点で時代劇を見ていると、おもしろい。昨年、かじり付いて見ていた「大奥」も「どうする家康」も、今ならちょっと見方が変わったかも。

浄土宗は、いくつものグループに分かれていきます。
○京都四か本山
総本山「知恩院」
大本山「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」
大本山「百万遍知恩寺」
大本山「清浄華院(しょうじょうけいん)」

○西山三派(せいざんさんぱ)
西山浄土宗、浄土宗西山檀林寺派、浄土宗西山深草派

○増上寺

↑ここらあたりの詳しいことは今の私にはわからないので、飛ばします(あっさり。

最重要点は、
浄土宗の開祖は「法然」で、
主著は「選択本願念仏集」と「一枚起請文」、
中心寺院は「知恩院」。
記憶できるかな。

というわけで、フィールドワーク第1回は「知恩院」に決めました。
レッツゴー知恩院。
(続く)

トップ写真:浄土宗総本山知恩院の「黒門」(京都府有形文化財)。華頂道・黒門坂の先にある。

#こつこつ京都学
#座学こつこつ


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