見出し画像

精神科の保護室に入れられた話

精神病棟の保護室について、名前を聞いたことがあるという人は少なくないと思う。隔離室とも呼ばれる。他害や自傷の恐れが非常に高まっている患者が入れられる、小さな部屋だ。

保護室に入って具体的にこういう体験をしました、という記事は意外とインターネット上では少ない。
なので、私が書こうと思う。


2020年の9月27日に、鬱の症状が酷かったため、某神奈川県内の精神科病院に入院した。

保護室に入れられたのは10月8日だ。その日の午後1時ごろ、看護師が部屋に入ってきて、監督の元、耳や体のピアスを全て取るように言われた。
服を着替えなくてはならなかった。具体的には、下は短パンで上はTシャツ一枚。ブラジャーはNGであった。因みに病院側が用意した服ではなく、全て元々持参していたものだ。


(……本当は保護室行きになった経緯をここに書くべきなのだが、内容が内容なだけに、記事がbanされる可能性があるため割愛させていただく。非常に申し訳ない)


準備が終わるとボディチェックをされた。死刑囚のような気分だ。

私がぶち込まれた部屋は二重の分厚い扉を有し、それらは双方とも施錠されていて、鉄製で非常に重かった。
四畳半ほどで、床はフローリングだった。壁は真っ白い。
天井の隅には監視カメラが設置されていた。
洋式トイレがあり、そこに扉は付いていなかったが、流石に監視カメラにトイレは映らないようになっていた。
布団が敷かれていた。いや、どちらかというとマットに近かった。そのマットと、シーツのない本体のみのかけ布団の上に、これまたマットを何重かに折った形の枕が置かれていた。シーツがない理由は勿論自殺防止のためである。
窓はすりガラスのようになっており、外が一切見えなかった。方角など全くわからなかった。


そんな空間に、スマホも本も持ち込むことができない。自分の体と、その時着ている服以外何も持ち込めない。

看護師が一日に三回、食事を運んでくる。午後1時ごろに部屋の外に出てシャワーを浴びる。夜9時に、また外に出て歯を磨き、消灯となる。
刺激がほとんどない生活を強いられる。スマホも本も何もないので、ひたすら筋トレをしたり、歌を歌ったりするしかない。
時間が経つのが異常に遅い。一応時計は置いてあったが、もう1時間経ったかなと思っても実際に経過しているのは15分だったりする。


何もない部屋にずっといると気が狂うというが、まさにそれだった。
最初の日はそこまで辛くなかったが、二日目の昼頃に早くも限界に達しそうになった。苦痛が指数関数的に増幅し、発狂しそうだった。

そして、問題は三日目の昼間、シャワーを浴びて部屋に戻ってから発生した。

頭がおかしくなりそうだった。無音、無臭、極限まで刺激がなく、全てを管理された生活。
「ここから出たい」以外の感情が消失した。家に帰りたいとか、スマホを触りたいとか、そういった高次の欲求は全く湧かず、ひたすら「ここから出られさえすれば、後はどうなってもいい」という声が脳内で反響していた。

私はその分厚い鉄の扉に体当たりしたり、蹴ったり叩いたりして、泣き叫んだ。頭が爆発する寸前だったが、この際完全に発狂して理性を吹っ飛ばした方が楽なのではないかと思った。ナースコールを何回も押し「辛すぎて死にそうだ、死ぬかもしれない」と訴えた。



保護室に約10日間も入っていた。3日目の爆発を境に苦痛が少しずつ減退していったため、その後は暴れたりせずに済み、普通の病棟に戻してもらえたのである。

普通の病棟で久しぶりに音楽を聴いた時、私は非常に感動した。ニルヴァーナの"Lithium"という曲である。
ずっと刺激を渇望していた脳は、ようやく音楽にありつき、甘美な感覚に痺れていた。カート・コバーンの歌やギターが、耳から脳に滝のように注がれていき、その快感はオーガズムのように強烈だった。普段はなんでもなかった音楽は、素晴らしいものだった。



あの悪夢のような10日間は、私にトラウマを植え付けた。今でも保護室を夢に見ることがあるし、この記事を書いている途中で何度かパソコンを投げ出したくなった。

また精神科に入院して、再び保護室に入れられる日が来るかもしれないと思うと、死んだ方がましな気がしてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?