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「違う」はずるい

「私とあなたは違う。」
そんなふうに言ったとき、2通りある気がする。

一つは、ただ違うという意味の違う。
程度の違いとか、向く方向の違いとかがあっても、それは優劣正解不正解じゃない。
そのまんまの意味での違う。それだけ。

もう一つは、優劣正解不正解の意味を含む「違う」だ。
一見、金子みすゞみたいに「みんなちがって、みんないい」のように見えるけど、ある人たちの言う違うは心のどこかで自分が上にいるような「違う」に聞こえる。

その人から「私とあなたは違うから対話したい」と言われても、その対話は一方的になりそうだと感じるのだ。その人は、私を説得するとか納得させるとか自分と同じようにしようとしているのではないか。「正そう」としてはいないか。

「違う」は、ずるい。
「みんなちがって、私いい」って思っているのに、「みんなちがって、みんないい」みたいに言うから。
もやもやする。
優劣があると思うなら、そう言って欲しい。
もしくは、「みんなちがって、みんないい」って聞こえるような言い方で言って欲しい。

もやもやしたのは、そこ。
見下されることに対しても嫌な気持ちはあるっちゃあるけど、
隠してかっこつけているのが嫌。
素直に言うとまずいと思うから直接言わないのだろうけど、嫌と思ってごめんなさい。

あの人もあの先生も「違う」って言う。
あの人とあの先生が、「あなたの考えも認めているよ」と言うのは表面で取り繕っているだけに聞こえちゃう。

言葉って、大体そのままの意味じゃないから難しい。



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