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貞観政要の帝王学(その一)


「『貞観政要』は帝王学として重用された」
 
一国の政治的支配の王者であれ、一国の経済を左右するほどの経済的王者であれ、「王と呼ばれる位置に座するには、それにふさわしい能力と資格を有するものでなければならないとする見方は、有史以来のものでした。
 
曰く、「帝王学」と呼ばれる支配者の特別な統治能力、人徳、経営能力などを習得する学問が重要視されてきたのですが、これには、歴史上の人物がその人格的内容や統治の実績などにおいて、極めて秀でたものであったという判断によって、彼とその周囲のスタッフたちの優れた実績を範として「帝王学」が誕生する経緯が、しばしば見られます。
 
その代表的な例が、古代中国の「唐」の時代に編纂された『貞観政要』(じょうがんせいよう)です。
 
唐2代皇帝・太宗(李世民)による政治の要諦『貞観政要』は、世界最古・最高のリーダー論として現代にも読み継がれる帝王学の名著です。編纂は、呉兢(ご・きょう、670-749)で、太宗の言行録ですが、全10巻40篇から成ります。
 
太宗の治世は、626年-649年であり、彼の治世を「貞観の治」と言い、非常に平和でよく治まった時代でした。
 
しかし、その優れた治世に至る太宗(李世民)は、兄の李建成、四男の李元吉を暗殺して王位に就くという運命を辿った人物であり、このことが少なからず太宗の精神的な世界に影を落としたことは十分に考えられます。
 
太宗を補佐した45名の重鎮、就中、傑出した4人の臣下である魏徴(ぎ・ちょう)、王珪(おう・けい)、房玄齢(ぼう・げんれい)、杜如晦(と・じょかい)らの人材は、太宗の補佐役として活躍しました。
 
魏徴は、李世民(太宗)に侍る前は、李世民の兄である李建成に仕えていた人物であり、李世民に兄が暗殺された後、李世民は魏徴を側近に取り立てています。
 
それほど、優秀な逸材であったということですが、『貞観政要』の中に出てくる太宗の言葉、「人以銅為鏡、可以正衣冠。以古為鏡、可以見興替。以人為鏡、可以知得失。魏徴没、朕亡一鏡矣(人は銅を以て鏡と為し、以て衣冠を正すべし。古きを以て鏡と為し、以て興替を見るべし。人を以て鏡と為し、以て得失を知るべし。魏徴の没するや、朕 一鏡を亡(うしな)へり。」(『資治通鑑』巻一九六)と語った太宗の魏徴への賛辞は有名です。
 
太宗は彼の死を非常に哀しみ、敬愛する侍臣の魏徴へこの言葉を語ったのです。
 
「諫言を重視した太宗の帝王学」
 
太宗は、なぜ秀でた王となったのか。その答えの核心的なものを言えと問われれば、それは「諫言」(かんげん:いさめること、いさめのことば)ということに尽きます。
 
太宗は、王である彼を諫めることばを述べる臣下を置きました。これが、太宗を偉大な王とした最大のポイントとなります。
 
諫言をよくする臣下は、一般的には煙たい存在であり、一歩間違えれば、王の逆鱗に触れ、命を落とす危険があります。
 
しかるに、太宗は、諫言する臣下を大切にしたのです。部下からの諫言は尊いものであり、根拠のあるものが多いのです。それを受け入れる度量があってこそ、王たるものの威信と輝きが増し加わるのであり、その真逆の拒絶する狭量さは、自らを滅ぼす危険性があると知らなければなりません。
 
 
「謙虚であることが諫める言葉を受け入れるコツである」
 
人間が大体において失敗するのは、自己を省みることなく、「反省心」というものを忘れたときです。
 
何もかもうまくいって、事が順調に進展している時には、自信、確信の塊となり、およそ、この先どう云う試練が潜んでいるのか、待ち受けているのかなどと否定的な思いはほとんど出てくる余地がありません。
 
いけいけ、どんどんの右肩上がりの思いに支配されます。自分で自分をコントロールできない状態に陥るのが常です。
 
こんなとき、一人冷静な部下がいて、このままいけば、こういう危険性があると気付き、社長に提言する勇気を持った部下が、社長にそのことを告げます。
 
このとき、「何を言うか。頭を冷やせ。すべては順調に行っている。妄想にとりつかれているのか」という社長と、
 
「本当か。本当にそういう事が起きるのか。どういう根拠で、そういうことを言うのか、教えてくれ。検討しよう」という社長の二つのタイプがある場合、
 
前者は失敗の可能性が高く、後者は失敗を免れる可能性を持っているというのです。
 
唐の太宗の帝王学は、「諫める言葉」を述べる部下が非常に大切であると言っています。
 
「わしのプライドを傷つけるつもりか。わしの言った通りにうまく行っているではないか」と部下を叱りつける勢いがあるのはいいとしても、一旦、受け入れて、その諫言の理由に耳を傾ける余裕は持ちたいものです。
 
自分のプライドとか誇りとか、そういうものに拘っていると、物事の真実が見えてきません。
 
「三つの鏡を持つ精神が大切である」
 
太宗が語った「三つの鏡を持つ」精神が、太宗を救い、太宗を支えてくれたという話に耳を傾けるべきです。
 
「人以銅為鏡、可以正衣冠。以古為鏡、可以見興替。以人為鏡、可以知得失。(人は銅を以て鏡と為し、以て衣冠を正すべし。古きを以て鏡と為し、以て興替を見るべし。人を以て鏡と為し、以て得失を知るべし。)」(『資治通鑑』巻一九六)は太宗が語った言葉ですが、
 
「人は銅を以て」という「銅の鏡」はいわゆる普通の鏡で、部下が付いて行きたいと思う姿・表情などを責任者が持っているかどうかという判断基準を述べたもの、
 
「古きを以て」という「歴史の鏡」は過去の歴史に照らして将来に備える判断基準について語ったもの、
 
「人を以て」という「人の鏡」は部下の直言を聞き入れるという判断基準、この「3つの鏡」で自らの行いを正すのがリーダーの務めだといいます。
自分を正す3つの鏡をしっかりと持っている人は、偉大な指導者になる可能性を秘めており、また、実際、そのようになることでしょう。
 
そういう鏡を持っていない人は、たとえ、一時的な成功を掴んだとしても、その成功は流れていってしまうおそれがあると言わざるを得ません。
 
太宗は、魏徴の直言を聴くことを楽しみとし、それゆえに、魏徴は太宗にとって「人の鏡」として最大級の、そして最高の臣下でありました。
 
魏徴の言葉の中から、「得るもの」「失うもの」をはっきりと知ることが出来ました。
 
現代は、ビジネスでの成功、失敗が目まぐるしくニュースに取り上げられる時代であり、大いなる成功、思いがけない大失敗が報じられます。「三つの鏡」を持ちたいものです。

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