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婚約、しちゃいました!

 突然ですが、私、婚約しちゃいました。
 お相手は「パートナー」と呼んでいた例のあの人です。

 プロポーズの言葉は覚えていません。
 嬉しいことを言われすぎて、どれがプロポーズの言葉だったのか忘れてしまいました。

 その中で特にぐっと来たのは、「君の魅力はおばあちゃんになったところで消えるものじゃないと思うから、ずっと一緒にいたい」というひとこと。
 何度か「そういう部分が魅力的なんだよ」と教えてくれたんだけど、それが私の自然な仕草や言動だったから、『本当にそのままの私に魅力を感じてくれているのだな。たしかにこれは何歳になっても変わらないだろうし、そこに価値を感じてくれる人なら、ずっと大切にしてくれそうだな』と思った。

 実は、今年の始めにも同じことを言われている。
 その時は、嬉しい気持ちよりも先に困惑して、「まちはどう?」と訊かれても「私はまだわからない」としか答えられなかった。
 それまでに「ノリで結婚して離婚して結婚して遊ぼう」みたいな話はしていたけど、「ノリとかじゃなくて普通に結婚したい」と言われたのはそれが初めてだった。

 地元の埼玉に帰る彼を見送った後で、彼の言葉を思い返すと、つい口許がにやけてしまった。その時になって初めて、自分が『嬉しい』と思っていることを知った。

 落ち着いたところで、『あれはプロポーズだったのかもしれない』と気づいたものの、彼がどこまで本気なのかわからない。
 冗談には聞こえなかったけど、過去に男性からの「結婚したい」を真に受けて引かれるという経験を何度かしていたから、今回もとりあえず話半分に受け取っておくことにした。

 一方で、『もし本気なら「わからない」のまま放っておきたくない』とも思っていて、真剣だった場合にどうしようかなと思った。
 過去に彼以外の人と結婚を意識する機会もあったけど、いつも不安の方が大きくて、素直にしたいと思えたことはなかった。
 今回もやはり不安の方が大きくて、「遊びでしてみるのはいいけど、真剣に結婚するのは怖い」というのが正直な気持ちだった。

 答えが出せないまま迎えた一月二十一日。
 きっかけは、私が彼に対してもやもやしていることを打ち明けたことだった。長くなってしまうのでここでは詳細を省くが、それに対する彼の対応が本当に素敵で、毎回のことなのだけど、話し合ったことで彼を好きな気持ちがよりいっそう強くなった。
 彼、私がもやもやを伝える度に魅力が増していくのだ。
 それは彼の方も同じらしく、「もっと好きになった」と言われた。
 問題が起こって、それについて話し合う度にお互い好きになっていくなんて無敵じゃないかと思った。

 その話の流れで「だから俺は君と結婚したいって言ってるの」と二度目のプロポーズ。この前のあれはその場の勢いで言ったわけではなかったのか、と彼の言葉に重みを感じた。
 それでもまだどういうつもりで言っているのかわからなかったので、「私が結婚するって言ったら、本当にするの?」と質問。
 迷ったり微妙な顔をしたりするかと思ったら、一寸の間も置かずに、私の目を見据えて「うん」と頷く。
 その堂々とした態度に面食らって、一度彼から目をそらした。

 相変わらず自分がどうしたいのかわからなかったけど、これ以上迷ったところで答えは出ないような気もした。
 だったらもう、自分の心に判断を委ねるしかない。
 とっさに頭を空っぽにして、心に意識を向けた。

(したい、したいって言って)
 聞こえてきたのそんな声だった。
 考えてしまったら言えないと思ったから、頭が働く前に「どうしよう、今、したいって思っちゃった」と彼に伝えた。

 その場で「婚約だね」と彼。
 そうか、プロポーズをしてOKしたら婚約ということになるのか、と他人事のように感心する私。
 これで人に紹介しやすくなった、と喜ぶ彼。
 記念日を嫌っていたはずの彼が、婚約記念日だ、と嬉しそうにツイッターにつぶやく。私は予想外の展開に頭がついていかなくて、水流苑神社の方で『こんにゃくの日』などとつぶやいて茶化した。

 その夜はお祝いに頂きものの隠岐牛ですき焼きを作ってもらい、お風呂で時間ぎりぎりまでお喋りをした後、最寄りのバス停で彼と別れた。

 ひとりになって冷静になると、「心に従ってみたはいいけど、本当にこれでよかったのかな」と不安が襲ってきた。
 帰りの電車や夜行バスの中で心を整理しようとしたけれど、体調を崩していたこともあってできなかった。

 家に着いて一日くらい寝込んだ後、まともに頭が働くまで回復したタイミングでもう一度自分と向き合ってみた。
 そしたら、結婚に対する不安の大半が『相手に合わせられないかもしれない』というところから来ていることがわかった。

 その時に浮かんできたのが、「結婚に対して『こうでないとダメ』という思い込みを持っている人が相手だったら、私が自由にしようとする度にものすごいエネルギーが必要になるかもしれないけれど、彼くらい自由な人だったら何でもありだ」という考えだった。

 そうなると、そもそも不安になりようがない。『彼とならめっちゃ自由にやっていける。結婚したらできることの幅も広がるだろうし、パートナーシップ関係の活動も面白くなりそう』と、一気に未来に対する希望が大きくなった。

 この先、一生不安にならないなんてことはないだろうけど、私には彼という最高の相談相手がいるし、二人で解決できないことが出てきたとしても、周りには信頼できる友人が何人もいる。
 そう思ったら、私たち最強だなって。

 余談だけど、彼からの提案で、「三年に一回離婚して、お互いにまだ一緒にいたいか考える期間を設けよう」という話になっている。
 夫婦間の問題って、自分を夫・妻という枠に押し込んでいること、あるいは相手を夫・妻という枠組で捉えてしまうことが原因になっている場合が多いと思うし、そうならないように日頃から意識していたとしても、『日々を重ねていくうちに気づいたら感覚がずれていた』なんてこともあると思う。
 そういうのをリセットする意味で、三年に一度くらい(私は勝手に一年に一度がいいと思っている)離婚するのは、お互いを一人の人間として尊重し合える状態を維持するのに効果的なんじゃないかと思う。
 理想はそんなことをしなくても、常に相手を一人の人間として見ていられるようになることだけどね。
 慣れるまでは補助輪をつけて運転するのも、アリじゃないかな。
 それもぜんぶ遊びにしちゃえばいい。

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