路上空間アート『100円玉』
道を歩いていると『100円』と書かれた立て看板が目についた。すぐ側には祭壇などに使われそうな朱色の台が置かれ、その上に何かが乗っている。
何を売っているのだろうかと気になって近づいてみると、そこには100円玉が陳列されていた。
「何をしているんですか?」
横に座っている和服の女性に問いかける。
「100円玉を展示しているんです。よかったら、おひとつどうぞ」
「えっ、くれるんですか?」
「はい、どうぞどうぞ」
「じゃあ、いただきます」
何が起こっているのか理解できないまま、適当な一枚を掴んで手のひらにのせた。違和感を覚えてひっくり返す。裏側には『ありがとう』と手書きしたシールが貼られていた。
解説
……という物語を想像して行った、はじめての路上空間アート。実際はほとんどの人が存在にさえ気づかず、気がついても立ち止まる人は皆無。
こんにちは、と声をかけるには歩道までの距離が遠く、あまり積極的に話しかけるのはコンセプト的にもわたしの性質的にも合わない。
まあ、いいか。と、こんな時のために持ってきていたノートパソコンを開いて作業を始めた。最初の方は目の前を人が通る度に気になって顔を上げていたけど、そのうちどうでもよくなって手元に集中し始めた。
視界に違和感を覚えて顔を上げると、いつのまにかそこに制服姿の男の子が立っていた。自転車を手で支えながら、首を伸ばして展示を眺めている。
「こんにちは。よかったら手に取ってみたりして下さい」
話しかけると、自転車のスタンドを立ててゆっくりと近づいてきた。顔を100円玉に近づけるものの、触ろうとはしない。
「いろんな年代のものがありますね」
ふむふむ、そこに興味を示すのか。家にあった100円玉をかき集めてきたから、特に気にしてなかったぞ。
「フリーお守りもあります」と名刺代わりに配り歩いているジンヂャーちゃんのラミネート人形を見せたら、「あ、可愛い」と男の子の声が大きくなった。
そこから、もふもふしたぬいぐるみが好きだという話になり、そこからベーカリーシナノさんに展示中の古着ぬいぐるみを見せたりしているうちにテンションが上がってきて、架空の神社を作っていること、今日はその一環で路上空間アートなるものをやってみていること、いつもは賽銭箱をぶら下げたり歩く個展を持ったりして歩いていることなどを伝えた。
「よかったら、ここ座る?」
自分の隣を手で示すと、頷いてこっちに寄ってきた。
そこから、彼が近所の高校生であること、声楽をやっていること、今練習している楽譜が難しいこと、ラテン語の『アニマ(魂)』とアニメーションの語学的な関係性の話、彼がここまでどんな人生を歩んできたのか、人間観察の話、人の心理について、苦手意識が生まれるメカニズム、短いメロディーを190時間延々とリピートし続ける演奏する側も聴く側も苦行でしかない曲の話、私が架空の神社を作るようになった経緯などなど、いろんなことについて話し合った。
気づいたら日が落ちて、空気が冷たくなっていた。スマホで時間を確認する。午後7時になっていた。
身体も冷えてしまうし、そろそろ解散しようということになった。
楽しかったよ、よかったらまた話そう、なんていう会話をしながら片づけ始める。全身をエネルギーが巡っていて、とても満たされた気持ちだった。ああ、いい交流ができたなあ、と嬉しくなる。
ただ好きなように話していただけだけど、とても価値のあることを成し遂げた気分だった。宇宙的に重要な仕事をしたというか。
また話したいし、夫にも会わせたい、あわよくば我らの遊び相手として捕獲(!)したいと思って、別れ際にSNSか何かで繋がろうとしたけど、SNSをあまりやらない上にテスト前でスマホを親に取り上げられているというので、あれこれ考えた末にLINE公式アカウントのQRコードがついた名刺を渡した。
男の子と別れて家路についた。夜道を歩きながら、そういえば一度も名前を聞かなかったし、向こうからも聞かれなかったなと思った。
100円玉のその後
お腹が空いたなー、家に帰っても汚れた食器が積み上っているだけですぐに食べられるものは納豆とじゃこ、缶詰くらいしかないしどうしようかなー、と考えていたら、近くに屋台があることを思い出した。
中華ちまきを売っているお店で、前に買おうとしたら売り切れていて食べ損ねたのだ。晩御飯はあれにしよう。
「中華ちまきって、まだありますか?」
お店について店主さんに声をかけると、「ありますよ」と満面の笑顔。
「ひとつ下さい。持ち帰りで」
お代を払おうとして、財布を持ってこなかったことに気づく。スマホもイコカもクレカもあるけど、キャッシュレスには対応していなさそうだ。
一瞬、あきらめそうになったけど、すぐにお賽銭箱を持っていることを思い出した。中には千円札が入っている。
蓋を開けて取り出すため、手荷物を足元に置いた。赤い第の上で光をたたえた100円玉と目が合った。
「あ、こんなところにお金が」
思わず独り言をつぶやきながら、硬貨を指でつまむ。でも、これ、裏にシールを貼ってるんだった。
「シールとか貼ってても大丈夫ですか?」
ダメ元で聞くと、全然かまわないとのこと。お言葉に甘えて、展示用の100円玉六枚で支払うことにした。誰にも受け取ってもらえなかった100円玉がまさかこんなところで嫁に行くことになるとは思わなかった。
お釣りの50円と温め直してもらった中華ちまきを受け取って、再び帰路についた。歩きながら食べた中華ちまきは、具がごろごろしていて、見た目よりも優しい味付けで、頬張ると中華ちまきの味がした。
(完)
次回予告
このまま終わるのは面白くないので、近々、第二弾を実施します。別の作品を展示するのではなくて、今回の作品に連続性を持たせる形でやります。
次は、
・気になった人が近づきやすいように、展示から少し離れた位置に座る
・路上空間アートであることを伝える簡単な案内を添えておく
・現代美術などが展示されている美術館周りの敷地でやる
この3つの条件を追加する。
実際にやってみて、興味を示してくれた人への説明が難しいことがわかった。ぜんぶを説明するのは無粋だけど、かといって情報が少ないと受け取る側が世界観に入ってこれなくなりそうだから、そのあたりのバランスを大切にしたい。
次回は、わたし側の視点に誰かを招待してやるのもいいなあ、と妄想中。(参加したい人がいたら声をかけてね)
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