「知る」ということ

子どもたちは、「知る」ということに貪欲だと思う。



授業中のことである。


Aくんの勉強している近くで、

Bくんと先生が話をしていた。


Bくん

「岩手県の県庁所在地は・・・」

「神奈川県の県庁所在地ってなんだっけ」


(あぁ、向こうは社会の勉強をしているのか。ん?)


その時ふとみると、Aくんが、ちらちらそちらの方を向いているではないか。

いかにも混ざりたそうにしている。


(お、周りが気になって集中できていないな。よーし、注意しなきゃ。)


・・・今まで、私ならそうしていただろう。


Aくん「神奈川の県庁所在地は、横浜だよ!」

Bくん「あぁそっか!」

先生「おぉ、よく知ってるなぁ!じゃぁ、この県はどうだ」


学年も違う、AくんとBくん。

今やっている勉強も違う。


それでも一緒になって勉強し始めたではないか。

しかも、楽しそうに。



子どもたちは、「知る」ということに貪欲である。

それは、新しい知識を身につけることもあるだろう。

それは、知らなかった自分に出会うことでもあるだろう。


そこにあるのは、「知ることによる満足感や意欲」

これは、勉強するうえで大切なことではないだろうか。


ただ、教科書を丸暗記するだけでは得られないものが、ここにはあるのではないか。

これが、勉強の楽しさではないだろうか。

この子たちは、無意識に、その楽しさに目覚めたのではないか。


そして先生は、この知ることで得られる満足感や意欲をいかに引き出すのか。
それが先生の仕事なのだ。



・・・今日も、子どもたちから学ばせてもらったな。


                                        

本日のまなび

 「知る」ことで得られる満足感や意欲は、勉強に最も大切な要素

                                         



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