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こんな餃子は初めてだったが、まぼろしの餃子になった

宮島ひできは餃子を愛してやまない。餃子の前を歩き、餃子の後を追う。ひょっとすると、酒よりも餃子を愛しているかもしれない。高じて、餃子noteを纏めた。

・宮島ひでき「餃子ラブ、魅惑の中華料理たちのはなし」

宮島ひできの「餃子録」の足跡を辿っていくと、長い記憶の中に留まっていた「ギョウザ」の記憶を思い出させた。中国では、水餃子が主流のようだが、日本に上陸すれば、「焼き餃子」を提供することがよく見られる。

東京に出張し、紀伊国屋書店が新宿にあるので、本店立ち寄りを織り込んで、新宿にホテルを予約していた。そのホテルはまだ進出したばかりだった。2階にレストランとして中華料理屋が進出していた。何も知らず、分からず、足の向くまま、中華料理屋に入った。当時、中華料理と言えば、盛りだくさん、そんな時代だった。

腹は空かせていたが、小食の身。料理1品と、何気なしにギョウザも頼んだ。一緒に運ばれたギョウザを見て驚いた。長さが12センチはあろうかという大きさ。しかも、いつもは6個が単位。ここでは、12個も並んでいた。食べるのは一人。慄いた。戦時中育ち、「食べつくせ」脳内を巡る。

まだ、若かった。料理1品を食べ、ギョウザを6個まで食べた。しかし、腹が膨らんできていた。酒は飲まない。それでも、確かに腹が満杯だ。一つずつ、味をかみしめるように3個まで食べた。もうキャパはなかった。閉店間際だったと思う。客は1人だった。後3個。頭の中で「がんばれ」と自身を励ます。

一つ、一つ、ギョウザを口に運ぶ、よく噛んで。最後のギョウザを口にした時、涙が自然と流れた。あの涙の感触は未だに忘れられない。その時のギョウザの色が目に浮かび、口の舌触りが蘇ることがある。

その晩、胃がパンパンに膨れ上がり、胃は収縮をとうぶん出来なかった。しかし、そこは若さ。会議の予定時間(昼から)にまだ間がある。ホテルを出た足で、紀伊国屋本店で本を物色しながら、胃をならしていた。

それ以来、そのような大きなギョウザには出会ったことがない。