もっと早く自分の心に耳を傾けておくべきだった。

今思えば学生の頃からずっと心がきつかった。
圧倒的体力のなさも精神的負担をかけていたのかもしれない。


異変は高校生の頃からだった。
進学校に入って余裕がなくなった。
毎日活動する部活ではないのに、休日も全部潰して課題と予習で終わる日々。
だから楽しみを全部我慢することにした。
パソコンもゲームもぜーんぶ。
いろいろ我慢するうちに息抜きの仕方が分からなくなった。
1年生の後半、既に頭が飽和状態で毎日泣きたかった。
とりあえず大学受験まで頑張ろうと自分を奮い立たせた。

頭痛や坐骨神経痛が始まったのもこの頃。
あまりにも辛くて保健室に行くと、保健室の先生や一部のクラスメイトに「また頭痛いの?ほんとに痛いの?」とか「サボれていいね」といった心無い言葉をかけられて悲しい気持ちだった。

今思えばこの頃から心が蝕まれ始めていたような気がする。


大学生になった。
ようやく心のゆとりを取り戻せると思っていたが、現実は甘くなかった。
カリキュラム上、毎日全コマに講義が詰まっていた。
通学時間の長さも堪えた。帰宅は20時過ぎ。
そこからご飯とお風呂と課題とサークルのギターの練習。
実家生からしてみればごくごく普通のこと。
通学仲間は何人かいたが、なぜか私だけいつも疲れ果てていた。
頭が回らず講義の内容は何も入ってこないし、グループワークはいつも論破された。

ずっとやりたかったバンド活動も最初は楽しかったのに、いつの間にか苦痛になった。

「課題もあるし、帰宅は遅いしで練習時間が全然取れない。肝心の土日は全体練習。みんないつ練習してるんだろう?私全然できないんだけど……。ギターの音作り、みんな楽しいって言ってるけど私はめちゃくちゃ苦痛だよ、、、
みんなアルバイトを両立させながら勉強頑張ってるのに、私はアルバイトしてないのになんでこんなにできないんだろう……」とずっと思っていた。


大学を卒業して国家試験に受かればこの辛さから開放されるだろう。それまで頑張ろうと自分を奮い立たせた。

4年生の時とうとう追い詰められた。
卒業論文、就職活動、国家試験、アルバイト、バンド活動が同時進行していた。

どれも大変だった。
その中でもいちばん辛かったのは就活だ。
みんなの就職が決まる中、結局卒業までに就職先が決まらなかったのだ。
私は大学に行かせてくれた両親にとても感謝している。だから、ちゃんと就職を決めてこれからきちんと恩返ししていきたかった。私にとって就職は超重要事項だった。
周りからは「売り手市場なのに就職できないってやばくない?」だの「選り好みしすぎ」だの私の就活に関して何も知らない人から好き勝手に言われて悲しかった。
どんどん自信がなくなって面接で泣いてしまって余計に受からなくてまた自信がなくなって…の負のスパイラルだった。

10月1日の内定式の日、教室からごっそり人がいなくなった光景が未だに忘れられない。

病気が治ったら転職活動をしなければいけないが、私は逃げたい気持ちでいっぱいだ。
就活で「自分は社会に必要とされてない」と感じてしまったトラウマが未だにあるからだ。

大学卒業間近、もう抱えきれなくなった。
全部自分がやりたいことだったはずなのに、全部苦しくなってできない。
社会からも必要とされてないし私どうしたらいいんだろう。

一生懸命努力しても報われないことが世の中には存在していることは理解している。
でもただ社会人になって働きたい気持ち、これから大学まで行かせてくれた両親に恩返ししたいという気持ちも報われないのでしょうか、神様、、、という気持ちだった。


今まで我慢に我慢を重ねた気持ちがぶわっと溢れ出た感じがした。
大学卒業後1年間ゆっくりしたおかげで回復したと思っていたけど違った。
確かに回復したが、根本の考え方が変わっていないので環境によってはぶり返すのだ。
私は極限まで追い込まれる状況や不安が長く続くと精神的に不安定になりやすい。

高校生の頃から作り込まれた「根性で乗り越える思考」はなかなか治りそうもない。
世間一般の幸せ=自分の幸せ」という考え方もなかなか捨てられそうにない。
他人には「幸せって人それぞれだよね、今多様性の社会だし」と言っておきながら、自分がいちばん実行できてない。

未だに大学生当時使っていたギターを直視できない。辛くていっぱいいっぱいだった日々を思い出してしまうから。でも、そろそろ立ち上がらないといけない。

これまではやらなければいけないことだけに目を向けて、自分の心の声を尊重してやることができなかった。
長い長い休暇に入った今、今度こそ心の声をちゃんと聞いて自分にとっての幸せややりたいことを探していきたい。