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推したい、会いたくない、推したい

小学生の頃にヴィジュアル系に出合い、
中学生になってライブに行くようになり、
好きなアーティストにファンレターを書いた。

新曲がどんなに素晴らしかったか、歌詞の内容が胸を打ったか、普段どれほど彼らの楽曲が自分を支えてくれているか、滔々と書き連ねて送った。
こちらの記事にあるように、それはもう勢いだ。

私が幼少の頃はまだSNSなどなかったので、切手を貼ってアーティストの所属する事務所に送るしかなかった。私にとってファンレターとはアーティストに思いを伝えるための当然のツールとなっていた。私はSNS全盛期の今でも、レターセットを買ってきてファンレターをしたためる。ライブのたびに、ポストではなくプレゼント受け取り箱に入れておく。


大人になって初めてチェキ撮影のあるCDリリースイベントに行った。

その時から、「こんなに大変な営業をさせるくらいなら私一人でもいないほうが、彼らが1分でも心穏やかに過ごせるに違いない」と思うようになった。
その時の私の感情としては、こちらの記事に非常に近い。

故に、アーティストとの撮影会などのイベントがあっても、参加することはない。あちらからしたら「よくファンレターをくれるけど顔のわからないファン」だろう。完全なる一方通行の賛美と応援。それで満足だった。


ある日、当時応援していたバンドが出演したイベントライブで、全出演バンド参加のお見送り会があった。それまでに何度もライブに通って、ファンレターもスタッフさんに渡していたが、ライブ以外には行ったことのないバンドだった。

会場を訪れていた客たちがぞろぞろと一列になって進んでいく中、見送りのためバンドごとにメンバー側も一列になって、手を振ったり「来てくれてありがとう」等と声をかけていた。

そんな中、私の当時の推しが
「いつも手紙ありがとう」と言ったのである。
私に向かって。

「私のことを知られずに推したい」と思っていた私にとっては、衝撃を通り越してその場に崩れ落ちんばかりの混乱だった。誰かと間違えているのでは?何故私がファンレターを渡していると確信しているのだ?私を特定する要素など無いはずだが?

後日別の機会があり、改めて彼の方から「多分俺が思ってる方だと思うんだけど、一応名前聞いていい?」と問われたので、ファンレターに書いている名前を答えた。
「ずっとお手紙書いてくれてたよね。撮影会とかも来ないし、どの子だろうって思ってた。多分そうだと思ってたんだけど確認するチャンスがなくて。長い間応援してくれてありがとう」

報われたと思った。彼がファンレターを喜んでいてくれたことがわかり、ファンとしてはこれ以上ない喜びだった。
そんなことだって起きるのだ。やはり推しは応援してこそだと思う。

自分のことを知られずに推したい人もいるだろう。
手紙なんて億劫だと感じる人もいるだろう。
でもポジティブな内容ならば、何らかの形で相手に伝えた方がいい。

それが相手の励みになることだってあるのだから。




お手紙を書くか・書かないかについての考察


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