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「話せばわかる」が成立しにくい理由

①言語能力の限界

話せばわかる、という人と、話したってわからない、という人でわかれます。両方正しいんだと思いますが、話せば分かるには相当なコストを払わないと実現できないことが多いのは事実ではないでしょうか。

人が違えば考え方も見ているものも話している言葉もまるで違う。ある意味当たり前の事実だったとしても、物理的に1メートル先に相手がいて日本語がある程度通じていると「同じ」ではないかという錯覚に囚われます。

個人的に成人発達理論を学んで驚いたのは、発達段階というのはある程度言語能力に比例するということです。そして高い発達段階の割合というのは非常に少ない。つまり、言語能力を高めるのは簡単ではないということです。

つまり、言語能力だけに依存して伝えようとするというのは、かなり高度なことを要求しているということになります。

②文書化の限界

例えばシステム開発等で仕様を文書化したり、組織で形式知化するためにnotion等に徹底的に文書化する組織を多く見てきました。やらないより良いし、基本やるべきだと思うのですが、果たして書いた文章がどれだけ利用れるのでしょうか。

書き手が、読み手に伝わる文章を書くのは相当労力がかかります。伝わる文章を書いても、読み手がしっかり読まないと伝わることもありません。大量のマニュアルが同封されていても誰も読まないように、よっぽど困ったことが無い限りしっかり読むことは少ないのではないでしょうか。一部分読んだとしても、読まれない文章も含め、書くのも読むのもコストがかかってしまいます。そして言語能力の違いによる伝わらなさ。

最近イミュータブルドキュメントモデルという考え方をブログに書いていた方がいたのは、この辺の課題を示しているように思います。

構造(絵や図)を介して対話をする

構造的に整理された文章というのはとても読みやすいと言われています。話がわかりやすい人や、読みやすい文章を書く人がいるのは、まさに構造的に整理された文章をアウトプットしているからではないでしょうか。

言語というのは、定義とつながりによって出来上がっていて、まさに構造そのもの。なので、文章ではなくはじめから構造で組み立て会話すれば良いのです。

話だけではわからなかったものが、絵や図を介すことで伝わることがよくあります。文章や言葉だけで伝わらなければ、構造で表現してみる。以下の画像は、最近私がデザイナーさんとgitの話しでBalusに書いた構造です。全然言葉では伝わらなかったものが、サクッと認識が合いました。

言葉では伝わらなかった時に、サクッと構造で会話できるのがBalusです。ぜひ使ってみてください。

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