8月1日 「する」は盲目

昨晩、営業終わりで大船まで歩いた。約40分かかるのだが、夏場はめっきり外を歩くという機会が減ってしまって運動不足だと思ったので特に目的もなく。昼間は猛暑なのはもちろんだが、朝も日が当たるところはもう焼けるほどに暑いので、夏はやっぱり日が沈んでから、夜が一番活動しやすいようだ。少しじめっとしつつもほどよい気温で薄着で少し歩く程度なら全く暑くない。
そして今朝も歩いた。今度は鎌倉方面へ。これまた40分ほどかかるのだが、今朝はここ最近では涼しいような気がした。天気アプリを確認すると、深夜2時に14mmの大雨が降ったようで、そのせいなのかもしれない。5時時点では25℃まで下がっていた。少し遠くにも行きたい気がしたが、そこまで強く行きたいと思うところもなかったので、鎌倉付近のスタバで朝時間をリラックスして過ごそうと思ったのだ。
ふと、ぽっと頭に浮かぶことがある。ふと目に留まって感じることがある。建長寺に向かう緩やかな坂道を走っている人を見て「すごいなあ、熱中症にお気をつけて」と思ったり、亀ケ谷の細い切り通しをサーフボードを装備した原付バイクが私の脇を上って行って「今から行くの?帰るの?海に向かっているから今から行くのか」と思ったり。セミが鳴いていて、昔はセミにいろいろな種類がいるなんて考えなかったな、とか、鳥とか花とか樹木とか、自然に目を向けるなんてことなかったな、とか。洗濯機に給水と排水があるなんて、そういう構造のことなんて考えたこともなかったな、とか。知らなくても生きていけるけど、自分はそういうことを知りながら、感じながら、驚きながら生きていられてよかったな、とか。
辿り着いたスタバでも、ちょっと贅沢な過ごし方をしてみた。何もしなかった。時間にして30~40分くらいだろうか、ただ座ってスマホやPCに触らず、ノートも開かずペンも持たず、ただ前を向いて窓の外の駅前ターミナルを眺めていた。途中、眠くなってうとうとした。それでも同じ態勢で、ただぼーっとした。たぶん少し眠った。頭の中がすーっと軽くなっていった気がする。そんなことをしている(いや、何もしていないわけだけど)私の座るカウンターテーブルの両端のお客さんは、何かを書いたり、キーボードをタイピングしていたり、作業している。私含めて、もうちょっと、本当に「何もしない」という時間を過ごした方がいいと思う。何かをすることは盲目になること。盲目。気づかない、知らない、というのは、何よりもったいないし、ちょっと危ない。1時間くらいぼーっとしても、誰も死にはしないのだ。そのかわりに、少なくとも自分を生かせる。

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