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賃金制度を考える

年功賃金ってそんなに批判されるべき制度なの?成果主義じゃ本当にうまくいかないの?という疑問をお持ちの方に経営学の基礎的な視点をご紹介します。

給与の種類

具体的に年功賃金について考える前に、まず給与や賃金とはどんなものかについて説明します。給与には大きく分けて以下のような三つの側面があると考えられています。

1. 能力給
その職務をこなすのに必要だと考えられる能力に対する対価としての給料のこと。
2. 能率給
特にブルーカラー的な労働に於いて参考にされるもので、単価×製品の成果量で計算される給料のこと。(採点バイト式給与形態)
3. 生活給
その名の通り、労働者が生活に必要と考えられる程度の給料のこと。

まず、能力給は能力を金銭的価値に変換して労働者に支払うというシステムですが、ある能力がどの程度の金銭的価値を持つのかということに関して、完璧な答えを出すことは容易ではないことに加え、能力を切り分けてそれぞれの金銭的価値を算出しても、仕事ではその能力の組み合わせが重要であったりするため客観的根拠を与えることが非常に難しいとされています。

能率給は標準的な労働の成果量を元に決めれば良いので、一見蓋然性がたかそうなシステムです。しかし、作業に慣れてくると労働者の生産性がどんどん上がっていくため、もともと指定していた単価だと支払えなくなってしまい、工賃の引き下げが何度も行われ、労働者の労働意欲を削ぎ、組織的なサボタージュが発生するということが歴史的には度々発生してきました。
機械化が進展すると共に生産量に一定のペースが保証されるようになってはきましたが、給与の上がる余地がないという問題が発生することになります。

生活給は、労働者が生活を維持できる額をもらわないといけないよね、ということで考えられている概念で、厳密に給与額の何%が生活給に相当するという感じではありません。働いても生活を維持できなければその労働者はそこを辞めるか死ぬかのどちらかなので、最初のうち能力が生活給に満たなくても、経営者は最低限度の生活給を支払わなければ雇用関係を維持することが難しいと考えられます。
生活を維持できるというのは、物価を考慮すればある程度妥当な金額を定めることは可能ですが、労働者の属性やライフコースの多様化によって必要な金額のばらつきが大きくなっているため妥当な金額を設定するのは難しいと考えられます。

年功賃金制度

日本の年功賃金制度は元々、より長く会社に留まることで力を発揮していくホワイトカラー労働者に対して適用されており、その性質から年齢級や、後払い賃金制度とも呼ばれていました。これは、貢献への報酬を遅らせることで自発的離職のコストをあげるために機能しており、就職から退職までの時を通して、その労働者の総生産性と総賃金の現在価値が等しくなり経済的合理性と矛盾しないと考えられていたのです。

ブルーカラー労働者の給与や能率給で考えられていることが多かったのですが、このような年功賃金制度の一つの側面である生活給を根拠とした定期昇給制度の取り入れは、昇級基準の明確な基準線となるため、歴史的にブルーカラー労働者の要求である、「ホワイトカラー並みの処遇」の実現にも一役買いました。

もちろん、生活給は労働者の具体的な能力や生産性に対して支払われるものではないので、賃金水準の継続的上昇を支えるためには、能力評価と開発が必要です。しかし、日本のブルーカラー労働者はそういった能力評価を肯定的に受け止めていました。年功賃金制度がブルーカラーも含めた労働者を能力評価の対象として位置付けることにより、ホワイトカラー労働者との公正さの実現だけでなく、ブルーカラー労働者自身のコミットメントの維持、促進にも繋がったのです。

実は年功賃金制度には、このような定期昇給制度と、職能給(=職能資格制度を再編したもの)の組み合わせとして実現された制度です。職能給というのは、職務遂行能力を基準に支払われる賃金ですが、実際の運用では能力の査定は難しく、結局経験年数による評価が関わっていたため、賃金の年功性を助長していたと考えられます。

成果主義

1990年~2000年ごろに、純粋成果主義賃金制度がブームとなりました。成果主義には①職能資格制度に付着した年功的要素を廃止や縮小し②個人間の競争を高め、業績達成を動機づけるといった狙いがあったとされています。

純粋成果主義とは業務上の目標を設定し、その達成度に応じて給与を算出するという給与形態です。当時、日本はバブル崩壊後の苦境に立たされており、年功賃金に対して不満が上がっていたのに加え、IT分野で先行するアメリカ企業や、低賃金を武器とした中国に対抗するため、多くの企業がこれを採用しました。ところが、その結果は1年を待たずして多くの企業がことごとく失敗だったという結論に至りました。それにはいくつかの理由があると言われています。

1. 会社全体の業績に直結するための客観的な成果目標を立てることは不可能
2. ある期間の目標が達成できた人は次の期間まで仕事量を減らすあるいはしなくなる。
3. 期間内の成果目標の達成に重きを置くので、採算度外視の契約をとってきたり、短期で利益が出る契約をとるようになる。
4. 絶対的な成果基準だと能力や努力に関わらず、成長分野に携わっている人の成果は簡単に上がり、それ以外の人は苦労する。
5. 組織内での個人間競争は非協力的な風潮を招く。

これらの原因をまとめると、報酬、成果、意欲、業績の関係を理解できていなかったということです。理想は「報酬→意欲→成果→業績(→報酬)」という流れですが、成果主義は報酬を金銭に限定しており意欲に結びついていない、意欲があっても成果のの出にくい仕事や測定が難しい仕事には挑戦しない、個人的な成果を評価するため、全体最適ではなくなる。という最悪の状態になってしまったのです。

純粋成果主義は大失敗に終わったわけですが、そこから学べることとしては、評価対象を仕事に於いてはいけないということです。あくまで利益の源泉は人であり、そこで働く人のことを考えた制度でなくてはならないと考えられます。

年功賃金制度再考

成果主義の失敗を踏まえると、長期雇用を前提とした会社では、年功賃金制度を中心とした給与体系には一定のメリットがあるとわかります。

* 能力のない新卒を少ないコストで雇いその企業でもっとも力を発揮する形に育てあげることができる。
* 労働者にとって会社に長く留まるインセンティブが生まれるため、長期的な視点でプロジェクトに取り組める。
* 基準が明確なので給料を巡ったトラブルが発生しにくく、協力関係が生まれやすい。
* 定年制により給料の上限には目処がついている。

もちろん年功賃金制度も完璧な制度ではなく、いくつかの脆弱性を抱えていると言えます。代表的なものとしては例えば、いくら努力しても給料があまり上がらずやる気をなくすのではないかといったことが挙げられます。しかし、経営学では「金銭的な報酬によって人はよく働き、成果をあげるようになる」という論説は50年以上前に否定されているのです。また、努力をして成果を出している人というのははたから見てわかるもので、その違いは査定などで役職の昇格スピードなどの形に現れるものです。問題はその運用方法にあると言えるかもしれません。

現代では年功賃金制度が取り入れられた時代の前提が大きく崩れていて、「長期雇用は当たり前ではない」「定年年齢が高くなっている」「新卒の給料が幾ら何でも低すぎる」など様々な難点が浮かび上がってきています。それに対処した賃金制度を考え続ける必要性はありますが、年功的な賃金制度を完全に否定してしまうことはできないのです。

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