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舞台に立つ男

先日サクソフォーン奏者・上野耕平のリサイタル演奏会を聞きに行った。サックスの演奏会は初めてだったが、知りあいが行けなくなったからと、チケットを譲ってくれたので行くことにしたのだ。

その演奏会のテーマは「BACH × KOHEI UENO」、サックスの独奏でバッハの無伴奏曲を演奏するというもの。

会場は5~600席くらいのホールで、着くと僕の席は一階席のど真ん中だということがわかった。舞台真正面、ピアノ椅子がポツンと置いてある。開演まで残り10分くらい。入り口でもらったパンフレットに目を通す。そこに載っている上野さんの写真は笑顔が多く(そういう写真を選んでるんだろうけど)、とても気さくな人という印象を受けた。奏者のことは名前ぐらいしか知らなかったので、プロフィールや、コメントなどを読んでなんとなくイメージを掴んだ。そういえば知っている曲は「チェロ組曲」くらいだ。

僕は普段オーケストラや吹奏楽でテューバという楽器を演奏しており、よく演奏会にも足を運ぶので、クラシック音楽には親しみがある方である。ただ、ある意味中途半端に知識もあり、正直サックスでバッハなんてという思いもあった。

しかし、一曲目からその思いは吹き飛ばされることになる。バリトン・サックスで演奏される無伴奏チェロ組曲、僕が知っているサックスの音ではなかった。バタバタ感が全くない滑らかなスラー。管楽器の弱みである息継ぎを難なく音楽に溶け込ませている。何よりその独奏の雰囲気に呑まれてしまった。1人でホール一杯にその響きを満たしている。

どんなにすごいプロの演奏会でも、演奏会を通して別のことを考えている瞬間というのはあるものだ。前の人の頭が気になるとか、今日の晩御飯何にしようとか。

だがその男は舞台の中心で確固たる存在感で語りかけてきた。

演奏から気を逸らすとたちまち、「僕が今ここで演奏をしているんだ」とダイレクトに言われるような気がする。決して命令口調でもなく、かと言って聞いてくれとお願いされている感じでもない。考えられないほどの技巧的な曲を吹いているはずなのに、全ての曲で細部まで注意の行き届いた音楽が聴衆を包み込む。間違いない、1人の芸術家が今、僕の目の前でその心を溢れんばかりに表現しているのだと感じさせられた。

ところで舞台の上の芸術家が見せるその顔は不思議なものである。特にバッハのような超真面目な(?)プログラムとパンフレットのあどけない笑顔が同じ人物であるということに感情が追いつかない。舞台で、あの真面目な表情で言葉もなく圧倒的な音楽を奏でていた人物が、普段はこんな明るい笑顔で喋っている、ということを想像すると、それだけで、たった2時間関わった人から人間の奥深さのようなものを感じさせられる。

きっと演奏会後にサイン会に行けば、普通に笑顔で話している上野さんがいて、それこそ普段の顔なのだろし、ファンクラブをやっているくらいなのでサックス会ではもっとアイドル的な存在なのかもしれない。

だけど、人間はいろんな要素を持っていて、そのバランスがうまく均衡した存在なんだという変な想念に取り憑かれてしまい、そのイメージをどちらかに傾かせたくなかったので静かに会場を後にした。

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