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志存高遠                目標は高く持て その15

目標を達成するためには「独立」はもはや通過点だった。

独立するためには何が必要か?

僕はすでに家庭を持ち、子供が3人いた。

そして家を建て住宅ローンも抱えていた。

絶対条件は「家族の理解」だろう。

そう考えた。

家族を作った時、家族を犠牲にしてまで、自分の夢を追いかけるべきだとは思わなかった。
既に大きな責任を背負っているから。

だから家族が安心して過ごせることが絶対条件だと思った。

それで、国から運営補助金も出る「学校」なら生活は安定するし、準備期間にはもってこいだろうと。

実際に、給料と、賞与は決められた通りに出たから前職よりは家庭は安定したかな。

でも、僕個人は仕事はきつくなった。

前職は好きなように動けたけど、そうもいかなくなった。
毎日ストレスが溜まる。

それが、「組織人は向かない」という明確な結論にはつながったけどね。

ただ、授業を持ち、人前で話す機会が抜群に増えたことは、良い経験になった。

1日9時間授業なんてこともこなさなければならなかった。

入学式では、1,500人を前に司会をする。

まったく緊張しなかった。

考えてみれば、小学校も、中学校も児童会長、生徒会長と全校生徒や教職員の前で話すのには慣れていたから。

でも、より磨きがかかった気がした。

そして、大きな転機が訪れた。

理事会幹部が、ある分野の学校を新設したいと言い出したんだ。

当然、国との交渉役は僕に振られた。

開校準備をしながら、その分野について学び、理事長から頼まれて、(本当は開港前に辞職するつもりだった)開校と同時に転籍し、新設校の責任者になった。

そして、教壇にも立って、省庁の認可も受けて、専任講師にもなった。教務主任者にも。

これが、独立する際の決め手になったんだよ。

でも、開校して2年目に入る直前に理事長と意見が対立して大喧嘩になった。
喧嘩と言っても、僕が一方的に怒鳴りつけただけだけど。

トップを怒鳴りつけたのだから解雇されるかと思いきや、解雇する度胸はないんだなあ。

結局、僕の顔を見ると逃げ続けて8年間、理事長と直接口を利かない学園の幹部としての生活を続けたよ。

学校ってね、学生が主役。
だから、辞めるタイミングって難しいんだ。

だから3年計画で辞めた。
校長が協力してくれて。

そう、そしていよいよ独立するんだけど、その時に何をしたのか?

手順を説明したい。
<続く>

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