見出し画像

大荒れファンダム、すべてはバランス『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1E6

 『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』S1E6「王女と王妃 (The Princess and the Queen)」の感想集。

「まるでリアル政治」

 英語圏ファンコミュニティは大荒れ。劇中の政争をなぞるように派閥にそうバッシングが吹き荒れ「まるでリアル政治のよう」と嘆かれている。一週間に数人の友達を失う、別派閥キャラを否定しない投稿をしたらブロ解、「K-POPファンダムにいたけどこんな醜い界隈ははじめて」等々、地獄の証言が続出中である。
 今日の価値観だと、家父長制のもと「自己実現」に走るレイニラ・ターガリエンは進歩的にうつるし、家父長制で自己正当化をはかり「義務」を武器化するアリセント・ハイタワーは保守的にうつりやすい。目立つところだと後者が「叩いていいキャラ」化しているが、レイニラに呆れる声も多い。

落とし子政局

 ep6の大局は、レイニラの落とし子問題である。有力家との政略結婚だったにもかかわらず、髪色のみならず肌のトーンからして夫婦間の生物学的子どもに見えづらい子どもが三連続。なにより、空白の10年、愛人疑惑のハーウィン・ストロングと王女親子の距離が公然と近かったようである。

 『HOTD』では、同盟関係を毀損する落し子は禁忌である。間男のみならず婚外子と王妃すら極刑されるリスクが高い。このことを考えれば、アリセントがヘレイナとジェイスの縁談に否定的なのは感情論だけでもない。死刑、反逆のリスクが一生つきまとう落し子の妻の立場は危うすぎる。極刑リスク急上昇直後という提案タイミングも「和平のための歩み寄り」というより「権力をつかった都合のいい利用」にうつるのは仕方なし(とはいえ、内戦ポテンシャルを緩和する条件ではあるので、ヴィセーリスが王として強行するべきだと思うが)。
 政局面では「長男エイゴンこそ正統な後継者」イメージが強まっただろう。元々、ヴィセーリスが女子相続による先例やぶり問題を調整していないため「自分たちの相続も大荒れして紛争になりかねない」と戦々恐々している諸侯、貴族が多い。「見て見ぬふり」を暗黙の了解としている王が死んだら、一気に表面化しかねない。エイゴンたちの命が危うくなるというアリセントの強迫観念は、あからさまな落し子疑惑の三連続によって非現実的というわけでもなくなった(ただ、彼女との会話で触発されたクリストンが暴行事件をしかけたので、セルフ予言成就の面もある)。

 レイニラの「自己実現」に沿った自由恋愛や家族関係は良いとしても、まるで隠す気がないように愛人との公的距離をあけなかったことは、子を守るための「義務」的な取りつくろいが欠けている。家父長制システムそのものが酷いのだから規範など守らなくていい、みたいな意見も多いだろうが、結果としては息子たちの人生を危険に晒してしまっている。

「自己実現」と「義務」 

 ファンダムが荒れやすい一因は、王女と王妃の争いが「リベラルvs保守」かのようなリアル政治対立のように見えやすいからだろう。でも、現段階の『HOTD』の実態は、二項対立ですらなく「自己実現と義務のバランス」なのではないか。ep6では、どちらも父親にされて傷ついた行動をトレースし、機能不全家庭を築いてしまっている(レイニラは問題を放置して話し合いを権力濫用で終わらせる/アリセントは脅迫によって子どもの友情を引き裂く)。
 レイニラは「自己実現に固執して隣人のための義務すら蔑ろにするのなら自他を壊す」教訓。アリセントは「義務に執着して隣人の自己実現すら否定するなら自他を壊す」教訓。極端に偏って片方をないがしろにすると、自分もまわりの人も蝕んでいく。「人生はバランス(by J.Cole)」という話である。
 翻せば、レイニラに必要なのは「ときに義務も大事である」と教えてくれる人であり、アリセントに必要なのは「ときに自己実現も大切である」と教えてくれる人である。ep2の黙祷シーンを見る限り、それはお互いだったのだろう。「自己実現」と「義務」が引き裂かれて始まる物語が『HOTD』なのだとしたら、まことに今日的ではないか。敵愾心が燃え盛っているファンダムの現状ふくめて。

デイモンの憂鬱

 レイニラとアリセントが「自己実現」と「義務」の対なら、ヴィセーリスとデイモンは「調和」と「力」かもしれない。今回、妻子との接し方がわからない風のデイモンは、ドラゴンを持たない娘とは会話せず、妊娠中の前で不倫している(削除シーン)。帝王切開の選択に迫られる展開は兄とのシンメトリーだ。相思相愛の妻に気づかいの言葉をかけたあと男児を選択したヴィセーリス/ただ困惑して立ちつくし選択も下せなかったデイモン。レーナが自決に走ったのは、夫との信頼関係ができていなかったからではないか。
 最後には、レーナを失った哀しみを娘たちとわかちあわず、それどころか去ってしまう。「不能」がキーワードのデイモンは「真に必要とされた時に逃げる」法則(少女時代なレイニラも娼館、乱闘で置き去りにしている)。

小指リバイバル

 ついにお目見え、真の鬼畜ヴィラン、ラリス・ストロング。TV版だと、アリセントの闇を照らす蛍の立ち位置なため『GoT』でサンサに執着したリトルフィンガーっぽさがある。
 一族殺しで当主になったわけだが、アリセントの願いに応えたという言葉は本当なのかもしれない。王の手現職が死んだら、彼女が望んだオットーを呼びもどす機会がおとずれる。レイニラの引っ越しも加わり、ハイタワー家の王宮権力は上がるだろう。
 「あなたの願いを叶えた」サイコ発言は、彼なりの理屈が通っているのだ。この異様なコミュニケーション観こそラリスの一番のおそろしさであり、対話の欠如が崩壊を呼んでいく『HOTD』らしい怪物と言えそう。

小ネタ

  • レイニラとデイモンは対ではなく「似たもの同士」で、ゆえに一緒にいるとターガリエンの焔=暴力衝動が加速する気がしている

  • アリセントの産後歩行と母乳漏れ指摘は意図的な嫌がらせだったのか。議論がわれたが、個人的にはどちらも「嫌がらせじゃなかった」派。ep6の彼女がレイニラを名前呼びするのはこの二場面。おどろいて敵意や取りつくろいを忘れた/友人にもどった瞬間だったのではないか。また、冒頭「まさか命をかけて母親が来るとは思わなかった」場面で始まったのなら、最後の「まさか父親のために殺すとは思わなかった」で綺麗に閉じる

  • 『HOTD』有害な男らしさ問題。サー・クリストン・コールはこの言葉で批判されやすいし、子どもたちの前で暴行を働いたハーウィン・ストロングにしても近いものがある。一方、あたらない存在は、ラリス・ストロングである。足に障害を抱える彼は、狩りのときも女性たちの輪にくわわり、人の話に耳をかたむけ、相手の要望を汲み取る。衝動的行動もとらない。トレンド称賛と化している「有害な男らしさから解放された存在」が最悪サイコという皮肉は、はからずもGRRM作品らしい

関連


よろこびます