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『Saltburn』考察 永遠のBL

 エリート男子大学生のゆがんだ関係を描くAmazon Prime映画『Saltburn』が適応するジャンルは色々あるだろうが、個人的にBL (英語でいうyaoi) 的に感じた。フェチティシズムに満ちた美学のもと展開される非現実的なカオスのなか、一貫しているのは男から男への複雑怪奇なエモーションである。混乱を呼んだ三段階のプロット構成にしても、ある意味のロマンチシズムととらえれば腑に落ちる。

【以下、ネタバレ】

格差のトリック

 『Saltburn』がユニークなのは、アメリカで流行した階級格差風刺「イート・ザ・リッチ」のようでいてそうでもないところだろう。監督脚本を手がけたのは英国上流コミュニティ出身のエメラルド・フェネル、つまり階級社会の本場の人なわけだ。本作におけるスーパーリッチのカットン家は、米国流風刺の定番である「難攻不落な資本主義の頂点」どころか「莫大の富を受け継いできた貴族ゆえに隙がありすぎる世間知らず」然としたもろい立場に置かれている。
 オックスフォード大学の奨学生オリバーが接近していく貴族のフェリックスは、弱き者に「施し」を与える好青年として登場する。しかし、舞台がソルトバーン邸に移ると、彼が機能不全家庭の出身であることがわかってくる。息子の友人に見境なく悪口を吹き込んでいく家族なんて健全じゃないだろう。

フェリックスはキスもセックスも下手な設定。美形貴族の彼が女子を引っかけるのに「うまくなる必要」が皆無だったためだ。劇中「自信がなさそうだからセックスを頑張る」と言われたフィリップ、もしかしたらオリバーの反対である

 フェリックスは母親似だ。二人ともさみしさを抱えていそうだが、染みついた外面と尊大さによって他者と親密な関係を築けていない。エルズペスにとってのパメラ、フェリックスにとってのオリバーは、救世主コンプレックスを満たしてくれる「可哀想なペット(庶民)」的存在である。もちろん、見下し前提の関係が長続きするはずがない。元恋人に殺されそうになっていたところを保護されたパメラは、結局面倒がられたのか追い出され、最後には死んでしまう。元同居人の訃報すらあしらった一家の冷たさは、同じ「可哀想なペット」であったオリバーに「自分も飽きられたら簡単に捨てられてしまう」と思わせるには十分だっただろう。カットン家を操作していくセックスアドベンチャーがはじまったタイミングは、パメラ追放を知ったあとである。

オリバーの鹿の角は「捕食者の獲物」を表しているが、同時に、庭園にある「既存秩序の破壊者」ミノタウルス像もオリバーの身体をモデルにつくられている。つまり主人公は「捕食者になっていく獲物」である

 『Saltburn』第一のプロットツイストは、家庭格差の反転である。悲惨な境遇にある貧困層を自称していたオリバーは、息子の友達をあたたかく歓迎するような健全家庭で育っていた。フェリックスが怒ったのも当然だ。機能不全家庭で傷ついてきた子どもとしてある程度の共感を抱いていたであう相手が、すこやかに愛されて育った幸せ者だったのだから。ひねくれた観点では「ペット」に対して社会的階級やスクールカーストで圧倒的な上位についていたフェリックスは、家庭環境の面では下位だったのだ。しかもオリバーは経済的にもあまり困っていなさそうだから、あそこまでしてカットン家に執着して操作していったことがさらに異様になる。おかしさに気づいたころにはもう遅かった。ソルトバーンから追い出されそうになったオリバーは、フェリックスに薬入りの酒瓶をわたして殺害する。

彼か家か

オリバーとエルズペスの背後にある像は彼女の殺され方の予告。フェリックスの場合、ドッペルゲンガーの話をされて怖がっている時、背後の窓に彼の分身が映っている。ヴェニシアは「オフィーリア」的カットと吸血鬼プレイの組み合わせによって血の風呂で溺死する

 獲物から捕食者、鹿から雄牛(ミノタウルス)になったオリバーは止まらない。虚言でファーリーを追い出し、ヴェニシアにカミソリの刃をわたすことで死に追い詰めた。後者は自殺が他殺かわからないが、姉弟の愛情の深さはおそろいのタトゥーから察することができる。そして16年経ってジェームズ卿が死ぬと、エルズペスに取り入って相続人の座につき直接手を下した。
 ここまで長期的な執着となると、オリバーの目的はフェニックスでなく彼の家そのものだったかのようだ。しかし、ミステリとしての問題は、ほとんどの犯行が日和見的で衝動的な運まかせであることである。フェリックスが気持ち悪い元友人にわたされた酒瓶を飲まなかったら、ジェームズ卿が告げ口を信じてファーリーを追放しなかったら、風呂に侵入されたヴェニシアが助けを呼んでいたら、そこで終わりである。計画らしい計画はジェームズ死後のエルズペス攻略くらいだった。当のオリバーが吐き捨てるように、ソルトバーン邸略奪がうまくいったのは、標的が「莫大の富を受け継いできた貴族ゆえに隙がありすぎる世間知らず」だったからだ。

君との結婚

 真なる第二のプロットツイストとは、映画のナレーションが「信頼できない語り手POV(視点)」であったことのほうだろう。おどろおどろしい話を好んだエルズペスに言い放っていることだから、あやふやな時系列ふくめて信頼できるのかわからなくなっている。この構造上、もうひとつの可能性も残存する。結局のところ、階級批判なんてとりつくろいの言い訳で、オリバーを暴走させたのはフェリックスへのこじれた恋心ではないのか? 恋愛感情を否定する供述にしても、まわりくどさと幻想的な映像によって真逆の印象をもたらす。
 きっと『Saltburn』第三のプロットツイストはここにある。最後の邸宅シーンでオリバーは死者をあらわす石を並べるが、触れるのはフェリックスのもののみである。ダンスでは邸宅を紹介していったフェリックスの動きが真似されており、彼の写真に投げキスをする(比較gif)。挿入歌「Murder On The Dancefloor」にしても「君が逃げようとしてもどんな手を使ってでも手に入れる」激情殺人モチーフだ。たぶん、オリバーはフェリックスに恋をしていた。すくなくとも、フェネル監督はそう考えている。

私としては、オリバーはフェリックスに強烈な恋心を抱いています。最初に告げられる「恋じゃない」宣言が嘘であることを示すのがこの映画なのです。エルズペスへの供述のうち、どこまでが嘘なのか、どこまで自分や彼女に言い聞かせようとしていることなのかはわかりませんけどね。私は『Saltburn』の出来事を、愛する人に愛してもらえなかった結果だと考えています。フェリックスがオリバーの愛に応えていたなら、あんなことは起こらなかった

Emerald Fennell breaks down Saltburn, the wildest film of the year | British GQ

オリバーにとって完璧な世界であったなら、まったく違う結末になっていたでしょう。私は『Saltburn』がハッピーエンドだと考えているんですが、オリバーにとって最上の幸福とは、もちろんフェリックスと結婚してずっと一緒に暮らす結末です。彼の中でも、私にとっても、それが夢。でも不可能な夢だから、あの終幕が最悪な選択肢のなかでのベストになります

Saltburn's ending, explained by director Emerald Fennell | British GQ

 想像するなら、当初オリバーはフェリックスとお近づきになりたいだけのストーカーだったが、必死な嘘が二転三転したことで偶然ソルトバーンに呼ばれ、おそらくは尊大なフェリックスも相手の感情を煽り立てたこと、カットン家自体が特殊すぎたことでものごとが暴走していった……つまりこの映画、カップリング中心主義的なラブストーリーなのではないか? それこそ、ある種の乱雑さすら「巨大感情」の魅力として回収してしまうBL漫画のように(BLのみならずカップリング漫画定番の力技でもあるが……)。
 ベースとなった名作『太陽がいっぱい』は、リッチな親友を殺してすべてを手に入れた栄光に酔う主人公のもとに警察が近づいて終わる。『Saltburn』にしたって、ファーリーや使用人が生きているのだから完全犯罪にはほどとおく、あのあとすぐに主人公が逮捕されても不思議ではない。でも、オリバーは目的を達成したのだ。彼の心のなかのフェリックスは永遠に彼のものになったのだから。ソルトバーン邸を奪ったことで夢の夫夫生活気分にも浸ることができる。『Saltburn』をBL文化的にたとえるなら、高嶺の花を手に入れられないくらいなら殺してしまう系の闇BLであり、最後のダンスは永遠を誓う結婚式のようなものだ。

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