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雑記(六五)

 文藝春秋から出た「松本清張全集」を最初の巻から順に読んでゆくと、第三巻の初めに代表作「ゼロの焦点」があり、第六巻に「球形の荒野」がある。後者は、知名度の点では前者にやや劣るかもしれないが、戦時中の欧州における日本外交に材を得た、読ませる作であることは疑いない。

 両者には、一読して明瞭にわかる共通点が多くある。以下、結末に触れてしまう部分があるが、ためらわずに書いておこう。両者の共通点は、まず、過去の生活や人間関係と訣別し、立場を変えて生きようとした男の人生が主題の一つになっていること。また、敗戦前後の時期が謎の中心になっていること。あるいは、最初に謎に直面し、その謎を解決しようとするのが女性であること。さらに、夫婦関係の成立、そしてその解消が問題になっていること、などである。

 一つ目にあげた点、すなわち、過去の生活や人間関係と訣別し、立場を変えて生きようとした男の人生が主題の一つになっているということは、この全集の第五巻に収められている小説「砂の器」にも共通している。名前を変え、立場を変え、家族を変えて生きようとすることが、清張の文学の中心だったのではないかと思えるほどだ。

 それは、犯罪小説、推理小説の基本にも関わっているように思われる。たとえば、殺人を犯した者は、自分はその犯行とは無関係であるかのように見せかけようとする。それは、言い換えれば、人を殺したその本人が、あたかも、その殺人者ではないかのように見せかけるということであろう。すなわち、その時その場所で人を殺した者とは、別の人格であるかのようにふるまって、その後の時間をやり過ごそうとするのである。過去と訣別して、人知れず、別人格を獲得して生きようとすることが、清張の大きな関心事であると同時に、犯罪・推理小説の全般に関わることでもあったはずだ。

 ところで、「ゼロの焦点」と「球形の荒野」のささやかな共通点に、ともに歌舞伎座が出てくる、というのもある。「ゼロの焦点」の冒頭には、「板根禎子は、秋に、すすめる人があって鵜原憲一と結婚した」とある。禎子は二十六歳、憲一は三十六歳であった。禎子は一抹の不安を覚えつつも、結婚の話を進めてもらうことにしたのだった。「見合いは、定式どおりに、歌舞伎座で行なったが、そのとき背の低い佐伯氏に連れられてきた鵜原憲一は、上背があって均斉のとれた身体つきをしていた。三十六歳といっても、独身だからもっと若やいでみえると禎子は想像していたが、想像よりは老けていた。顴骨が少し高いせいかもしれない。しかし、虚心に見れば、色の浅黒い彼の容貌は、三十六歳以上でも以下でもない印象であった」。このときの印象が、伏線となって効いてくるのだが、それは措く。

 一方、「球形の荒野」では、新聞記者の添田彰一が、恋人の久美子とその母の孝子が歌舞伎座で観劇する様子を、盗み見る場面がある。二人に歌舞伎の招待券を送った者が、久美子の亡父、すなわち孝子の亡夫の死に関わっているのではないかと疑い、その者が歌舞伎座に現れるのではないかと考えて、二人にも秘密で様子をうかがっていたのである。添田は、第一幕、第二幕は一階の二等席で観るが、最後の幕の途中で退席する。階段で二階に上がり、正面のドアを開けて、立ったまま二階席の様子を注視しているところを、「紺の制服を着た少女」に注意され、やむなく退出する。

 東京国立近代美術館で開催中の「没後50年 鏑木清方展」の出展作品のなかに、「さじき」という一枚があった。日本画家の清方による、桟敷席で観劇する母と娘の表情を正面から描いた作である。一九五一年の制作で、歌舞伎座の廊下に飾られるようになったという。禎子も添田も、これを見たはずだと思った。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。