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雑記(五五)

 人前で何か話しているとき、いま自分の話していることが、急にばかばかしく感じられることがある。経験上、自分がそういう気分になってしまったら、その気分は、聞いている相手にも伝わってしまうもので、それまで一応は耳を傾けていたひとも、目をそらしてしまう。無理してその話をつづけるよりは、適当に切り上げて、別の話題に移るか、話をすること自体やめてしまったほうがよいようである。

 文章を書いていても、そういうことはある。自分の書いていることが、突然、価値がないように思えてくる。あるいは、過去に自分の書いたものが、恥ずかしくてたまらなくなる。

 紀貫之の『土佐日記』は、最後に「忘れがたく口惜しきことおほかれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ」とある。忘れられず、心残りなことは多いけれども、書きつくすことはできない。とにもかくにも、早く破り捨ててしまおう、という意味である。

 土佐から都まで、悲喜こもごもの旅程を語った末に、その全体を否定してみせるような言葉が置かれるのである。いま、本文は手元の「新潮古典集成」の『土佐日記 貫之集』から引いている。校注は木村正中。

 この『土佐日記』の冒頭は、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。それの年の、十二月の、二十日あまり一日の日の、戌の時に門出す。そのよし、いささかに、ものに書きつく」。男だって書くという日記というものを、女も書いてみようと思って、書くのだ。某年十二月二十一日の、夜八時頃に門出をする。そのときのことを、少しばかり、書いておく、とはじまる。

 貫之は「いささかに」と宣言して書きはじめ、「とく破りてむ」と書いて筆を擱いた。最初に、ちょっとしたものですよ、と断っておいて、最後に、破り捨ててしまおう、と書いたのである。これはもちろん、本心ではあるまい。むしろ、書かれた内容に十分な自信があるからこそ、こういうことを言うのであって、貫之は、その実、しきりに照れているのではないか。『土佐日記』には、悲痛な場面も多く見られるが、言葉遊びに興じ、ふざけている場面も実に多い。謙遜してみせながら、しかもその謙遜が、実は見せかけであるということまで、うかがわせる書き方になっていると思うのである。

 貫之の同時代人に、菅原道真がいる。承和十二(八四五)年生まれ、延喜三(九〇三)年に没。貫之のほうが二十歳以上若いが、道真が五十九歳で死んだ二年後に、貫之らは『古今集』撰進の勅を奉じている。まさに同時代人である。

 その道真もまた、『菅家文集』によると、自身の詩稿の焼却処分に言及したことがある。いわく、「雖ひ凡鄙なりと云ふとも、焼却すること能はず」。たとえ凡庸で、ひなびた作であろうとも、焼き捨てることはできない。これも、道真の自負を示す箇所であろう。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。