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雑記(六二)

 映画『ドライブ・マイ・カー』が、第九十四回アカデミー賞の国際長編映画賞に選ばれた。日本経済新聞の三月三十一日の朝刊の文化欄に、同紙編集委員の古賀重樹が「総括 第94回米アカデミー賞 上」として、「濱口監督 オスカーへの旅路」と見出しのついた記事を書いている。

 それによると、古賀が濱口に初めて会ったのは、二〇一一年の十一月のこと。古賀は「相米慎二監督の没後10年にあたり、32歳の新進監督に話を聞きたかった」のだという。濱口は古賀に、「実は最初はピンとこなかったんです」と前置きしつつ、「相米さんは身体やモノを撮りながら、その奥にある何かを撮ろうとしている」という発見を語った。

 古賀は続けて、「それは濱口が影響を受けた米国インディーズ映画の父、ジョン・カサヴェテスに通じるものであり、90年代後半以降の映画が切り捨てたものではないか。そして自身の「どうやったら自分の意志で自由に動き出す人をとらえられるだろう」という問題意識に深くかかわるものだった」と書いている。

 濱口はかつて、「あるかなきか」という文章の初めに、大学の授業で相米の映画『ションベン・ライダー』の貯木場の場面を観たときのことを述べていた(『蘇る相米慎二』インスクリプト)。「ピンとこなかった」というのはこのときのことだろう。濱口を東京芸術大学大学院の映像研究科で指導したのが黒沢清で、黒沢は相米が監督した『セーラー服と機関銃』で助監督を務めているから、系譜上、濱口は相米とつながっている。

 相米の映画と濱口の映画とでは、作品の主題も意匠も、方法も大きく異なっているように見える。正反対であるとさえ思われる。たとえば、相米作品が多く子どもを主人公とするのに対して、濱口の作品において子どもの存在感は薄い。特に初期の相米作品、『翔んだカップル』、『セーラー服と機関銃』、『ションベン・ライダー』にその性格が顕著だが、『台風クラブ』、『雪の断章―情熱―』、『東京上空いらっしゃいませ』、『お引越し』、『夏の庭The Friends』と、子どもたちの世界を描いた作品を数えてゆけば、十三本の監督作品のうち、実に八本がこれに該当する。

 子どもたちの存在感の程度など、表層的な問題に過ぎないとも言える。だがさらに『魚影の群れ』、『ラブホテル』と相米の監督作品の題名をあげてゆけば、相米映画の関心は、人生で初めて出会う出来事を、自分の内面の世界のうちにいかに位置づけるか、ということにあったのではないかと思われてくる。子どもという主題も、その一部になってくる。

 それに対して、濱口の作品の関心は、これまでに持続してきたことが崩れること、失われてゆくことにあるのではないか。最近の作品をふり返れば、『不気味なものの肌に触れる』、『ハッピーアワー』、『寝ても覚めても』、『ドライブ・マイ・カー』。

 そう考えれば、相米と濱口の映画は、正反対の性格を持っていることになる。ただし、正反対とは、すなわち無関係ではない。むしろ、同質の問題に深く関与しながら、その関与の方向が異なっているのである。大づかみに言えば、未知のことに直面するという設定は、両者の作品で共有されている。濱口が古賀に語った発見も、濱口が相米との密接な関係を自覚していることの現れだったのであろう。

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