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雑記(五七)

 論文や評論に誰かの名前を出すときは、敬称を付けないのが一般的であろう。「氏」をつけたものを目にすることも少なくはないが、わずらわしい。私信や挨拶の文章でなければ、敬称は付さないという原則にしてしまうのが楽だ。

 三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』(講談社)の第四章「「うたげ」と「孤心」の射程」は、「大岡信の『うたげと孤心』は不思議な本である」という一文からはじまる。ここで「大岡信」に敬称を付けていないのは、まったく自然である。

 それから三浦は、二つの段落にわたって『うたげと孤心』(集英社)の構成と刊行までの経緯などを述べ、その次の段落は、三浦の大岡との関係を述べる。「私は当時、大岡信のもっとも身近にあった編集者のひとりだっただろうと思う。一九六九年から七五年まで「ユリイカ」の、七五年から八一年まで「現代思想」の編集を担当していた。また青土社版「大岡信著作集」全十五巻を発案企画していたからである」。この段落は、この三文のみからなる。

 ここでもやはり「大岡信」に敬称はついていないが、それも、まったく自然である。大岡信の書いたものを参照して、それに言及しているのだから、敬称をつけるほうがおかしい。

 ところが、この次の段落で変化が訪れる。最初の二文を引く。「以上の経緯を書きしるしただけでも当時のことが油然と胸中に甦るが、むろんここはそういったことを書く場ではない。ただ、大岡さんが、連載は中断したのであって完結したのではないと思っていたことは確かである」。

 それまで「大岡信」と呼んでいた人物を、ここで初めて、三浦は「大岡さん」と呼ぶ。そしておそらく、この『孤独の発明』の全十五章のなかで、大岡を「さん」をつけて呼んだ例は、この他にない。本書には索引がないので、すぐにすべてを確認することはできないが、大岡信のことは他の章でもたびたび言及されているにもかかわらず、「大岡さん」は見あたらないのである。

 この五五〇ページの大著の「あとがき」には、そのもとになった「群像」の連載「言語の政治学」に触れて、「連載も終わろうとしていた二〇一七年四月五日、大岡信が亡くなった」とある。そして、「連載の過程で、大岡さんの著作を読み直すことが多かった」。以下、「大岡さん」を多用しながら、大岡との思い出が語られるが、まもなく、「思い出すと胸に迫ってくるものが多すぎて、ここにはこれ以上、書けない」と、回顧は性急に打ち切られる。それは、先に見た第四章の、「当時のことが油然と胸中に甦るが、むろんここはそういったことを書く場ではない」という記述と、相似をなしている。

 つまり第四章の「大岡さん」は、あたかも、大岡信のことに、つとめて虚心に向きあおうとして、しかしそれは果たせず、つい「あとがき」にのみ許されるような思いを、こぼしてしまった結果のように、見えるのであった。そんなところからも、この本に底流する情感はうかがえる。この本の索引は、いずれ私が、自分で、自分のために、作ってもいいと思っている。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。