見出し画像

萬御悩解決致〼 第三話⑨

圭介は呟いた。
「"僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか"」
「なんだそれ」
「小林秀雄の有名な言葉だ」
「小林秀雄って誰」
奈央に訊く。
「有名な人よ」
と奈央は答える。
「すいません。無智な人間ばかりで」
圭介が謝ると、「いや、私もよく知らないよ」と梶さんが頭を掻く。
「で、その小林秀雄という人が何か関係あるのかな」
「僕らは馬鹿だから、反省なんてしないということです。梶さんはさっきから、僕たちの行動に、しきりと反省を求めています。
 おまえたちは聖者気取りで、一つの命を救ったと自惚れているが、おまえたちのやったことは、猫を捨てるのと同じ悪魔の行為だ。命を救ったのではなく、命を捨てたんだ。反省しろって」
 梶さんは、ちょっとギョっとしたような顔で圭介を見る。いままで会話にも参加していないやつが、いきなり変なことを言い出したのだから無理はない。
「反省というか、本当のところを考えて欲しいんだ。まあ、それを反省といえばそうかもしれないが」
 穏やかに梶さんが返す。圭介は相変わらず、言いたいことだけは言ってしまうといった口調で喋り続ける。
「僕たちはそんなことどうだっていいんです。僕たちが反省したから、猫は救われたんですか。違うでしょう。さっきまで、僕たちは反省してなかった。でも、猫は救われるんです、あなたによって。つまり、ぼくたちが反省しようがしまいが、関係ない。猫は救われるんです。これ以上でもこれ以下でもない」
 女子達が頷く。梶さんの言葉も熱を帯びる。
「いや、そんな現象面だけのことを言ってるんじゃない。私は君たちに考えてほしいんだよ。私は分かってほしいんだ。君たちの善意のふりをした悪意。その意味を。捨て猫を生んでるのは、毎年一万匹近くの猫が殺処分されるのは、全部ではないにしても、その責任の一旦は君たちのような偽善者がいるからなんだよ」
 偽善者。酷い言い方だ。明らかにもう、梶さんは僕たちへの悪意を隠さなくなった。梶さんは、僕らをどうしようというのか。なぜここまでの悪意を持たれなければならないのか。
 ケージから出た猫たちはあちこち好き勝手に動き出す。そのうちの一匹がカウンターに乗る。圭介はその背を撫でながら言葉をつなぐ。
「梶さん。僕たちを免罪符にするのはやめてください。僕たちを責めて溜飲を下げたって、人間が猫にしている酷い仕打ちは何も変わらない。あなたが、僕たちに反省を求めるのは、違う理由があるからです。
 本来、あなたは僕たちを非難すべきじゃない。里親に立候補して来てくれる人たちと同じように、ここで猫を死ぬまでお世話するあなたたちと同じように、命を慈しむ同志として、互いにリスペクトすべきだ。違いますか」
梶さんは不愉快そうにに、猫に視線を落とした。
「あなたは、この活動をやめた方がいいと思います。人間の行う活動、仕事といってもいいかもしれませんが、その行為は、それ自体の中に喜びがなければ、続きません。この活動を通じて得られる、梶さんの喜びはなんですか」
「そりゃあ、猫たちに里親が決まって、無事ここを出ていくときだ」
当然だと言わんばかりの口調だった。
猫は圭介の手を離れて梶さんのもとに行く。その胸で甘えたように丸まり動かなくなった。圭介が言う。
「それは嘘ですね。現に里親とのマッチングは、この数年、殆ど成立していない。
 行こう。ここは、ミーのいるべき場所じゃない」
 圭介はミーのケージを持って立ち上がり、スタスタ出口に向かって歩いていく。つられて俺たちも立ち上がる。俺は圭介を追いかけた。翔子と奈央は、「すいません」とか、「ありがとうございました」とか言って、後からついてくる。
 プレハブを出たところで、声をかけられた。
「逃げる気かい」
顔を赤くした梶さんがいた。ちょっと危険な感じがした。咄嗟に女の子を庇って俺が前にでる。その俺の前に圭介が進み出る。
「どうやら、徹底的にお話した方がいいみたいですね」
圭介はニッコリ笑って、ミーのケージを俺に託した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?