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あの頃22

夏休みが来た。後半に夏合宿が企画されていた。参加の条件は必ず作品を持参すること。コピーを一部とっておくこと。あと参加費、払うこと。

夏休みまでに合評会は2回あった。
私は一回出して、一回は出せなかった。迷っていた。パターンから抜け出せって、どう書けばいいのか。

今の若い人も同じかもしれないが、人生経験のないものは、普通の人間が書けない。どうしても、今まで読んだ本をやドラマの筋を参考にしがちだ。今なら、参考にして何が悪いと開き直れるが、当時はまだそれができない。
物語のパターンからどうやって逃れられるか。いかにしてオリジナリティを出せるか。そう考えた時、若者は、SFかファンタジーか幻想ものに手を染める。私はSFが苦手でファンタジーはなんだかよくわからなかったので、勢い幻想小説っぽいものを書き始めた。なんかオリジナルなものを書けてるような気がした。
案の定、Sさんにはコテンパンである。

ーーこんなの書いてちゃダメだ。雰囲気で、なんか書けてるような気になってるだけで、実は何も書けてない。こんなのどこを面白がれっていうんだ!

わかっちゃいないな。と思って、私は作風を変えなかった。当時、「幻想文学」という雑誌が創刊されて、「ツゴイネルワイゼン」が上映されて、泉鏡花を読み始めて、ここに新しさがあると思っていた。回ってきた読書会のお題本に漱石の「夢十夜」を取り上げた。幻想はマイブームだった。

夏休みに仕上げた小説は、二十数枚の作品だったが、その4分の1は「南無阿弥陀仏」で埋めた。それが新しいと思っていた。愚かであったが、それに気づかなかった。

そして、夏合宿が始まる。

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