ニスベット&コーエン『名誉と暴力』をぽちった

備忘録的雑記04

舐められると家や村を燃やされるという治安感覚と名誉原理の世界においては、つねにダイレクトアタックで迎撃をすることが求められる。ヤクザワールドはつねにそのような自警主義が貫徹している。


オタクヤクザもこのバリエーションに当たり、「フェミに一歩でも譲ったら村を燃やされる」の感覚で動いているわけだ。今日TLで流布しているドイツでの日本アニメ衰退の記事にしても、「表現規制に一歩でも譲ったら村を燃やされる」っていう名誉意識の塊めいた反応。しかし、実際に舐められると家を燃やされるのだろうか? そう思ってるだけでは? SNS上の擬似ヤクザマインドには「そういうことにする」が入ってるんじゃないのか。


ただし厄介なのは、一部に「本当に村を燃やしたがってる奴もいる」ことだ。そういう手合いは、ヤクザマインドの側にとって結束とロールモデルの説得力増強のためにいい材料とされてしまっている。
「一歩でも譲ったら村を燃やされるぞ!」と、それがさも決定的な事実であるかのように誇張し、補強するTIPSが SNS上で増されている。こうして、ツイッターで流通するTIPSは偽史列伝かゴシップジャーナリズム手法によるフェイクニュースっぽいわけだ。望んでいる抗争の構図に適合する情報に、最初から加工されている。

このTIPSと闘争構図のリアリティ増強とが互いに循環的に生産し、マッチポンプになっている只中のなかでいることに慣れると、欺瞞論法のつぎはぎのような思考に染まってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?