なろうについてのラフスケッチ 1

1
vaporwaveがユートピアの失墜やノスタルジーなど現代性を体現するジャンルとして注目されている。ユリイカが特集したのはその現れだろう。とはいえ、音楽批評の側においては、そうした現代性を物語るアレゴリーとして注目が集まることと、個別の音楽作品やジャンルの趨勢との関係について考える必要があるため、一定のジレンマがあるようだが……。


ところで、vaporwaveほど名指しや認知が明快にまとまっていないものの、同じく現代性を体現する方面がある。それは、その茫漠さと分散状態から、とりあえず3つぐらいのカテゴリーの複合として捉えることが可能だ。そのカテゴリーとは、「サバイバル」、「生産・加工・製造・商業」、「ポストアポカリプス」である。これらはゲームにおいて頻出する。そのため、それぞれの語尾にゲームと付けてもさほど違和感がない(サバイバルゲーム、生産ゲーム、アポカリプスゲーム…)。また、ゲームと相性がいいため、なろう小説の作中要素とも重なる。逆に、これらゲーム風行為をゲーム内ではなく現実にやる場合もある。キャンプだ。

こうして、ゲーム/なろう/サバイバル・生産など・ポストアポカリプス/キャンプ、というふうに項目が並ぶ。なろう/ゲーム/サバイバル/キャンプ等には共通する特徴がある。それは、現実や社会は複雑だったり変える手間がかかりすぎるしその権限もないし億劫きわまりないので、対象物や操作方法を選別・簡略化してすでに縮減された世界で、手作業をしたり、あるいは作業を終えてぼうっとしたりすることだ。作業の区切り、ひと段落、まとまりは、人が疲れているときには特に効果がある。ひとまとまりを終えると、楽になる。
数年前に話題になったアプリ「Habitica」が人の心を捉え、現代の疲れる労働者の少なくない人がスマホでTo Doリストを管理するのも連想される。
なろう小説では「ゲームプレイっぽい感覚」が再現される。海法紀光はこれを「ゲーム攻略日記」と指摘しているが、バトルに突入した、魔物を倒した、アイテムをドロップした、レベルが上がった、スキルポイントを割り振る、次のバトルだ、上がったスキルを試す、結果が出た……などと、ストーリーやドラマから構築されているというよりもゲームの作業とサイクルから構築されているような側面は、ゲームプレイ感が小説側面やドラマより優位に立っていることを示す。TwitterでTLが更新されるのを確認するように人は最新話を確認し、セリフが平板であっても特に気にせず、ルーチンサイクルを楽しむ。ルーチンの中身が退屈であっても、作業がひと段落するごとに楽しくなってしまうのと同程度に何かがそこにはもたらされる。

(ちょっと脱線)

漫画をまじえてさっきの小ジャンルを順に説明していこう。なぜ漫画を交えるのかというと、ゲーム要素を物語に仕立てるために実質的に参照されているジャンルは漫画にあるように思われるからだ。また、コミカライズの際には、それら漫画ジャンルと混ざることになる。

サバイバルでは、キャンプ、ブッシュクラフト、野外生活といった要素が集結する。『ゆるキャン△』のようなキャンプを打ち出す漫画から、『ソウナンですか?』のような無人島での友人たちの生活を描く漫画、初期の『ゴールデンカムイ』のように森で狩猟し、食事をする漫画も含まれる。『ダンジョン飯』を含めることができる。サバイバル生活を可能にする条件をゾンビ発生やパンデミック災害に置くならば、『アイアムアヒーロー』、『僕は君を太らせたい!』もそうだと言えるだろう。

生産・加工・製造・商業では、小規模な対物・対人スケールで農作物の生産、物の加工・修理、開発研究、時には販売や事業設立といった要素が集結する。ものづくりは物から料理まで含むため、現在ポピュラーに広がっている「日本食すげえ」ものや、ゲテモノ料理まで含む(『異世界食堂』、『ハンチョウ』、『異世界居酒屋のぶ』、『めしにしましょう』、『僕は君を太らせたい!』、『山賊ダイアリー』、『ソウナンですか?』、)。サバイバルが必要な状況になると自然と食物の確保と飯の満足度が問われるので、兼ねやすい。

次回へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?