家の中にSNSをかき乱す装置を置くには

備忘録的雑記07

ツイッターは、知的活動に悪影響を及ぼすことなく、見る姿勢を保つのがとても難しい。ツイッターが最低なのは、想定水準を超える愚劣な言動を目にすることで、基準点引き下げが漸進的に起きて、その余波で知的活動への感覚や信頼がグズグズに綻ぶことだ。

コカコーラ冷蔵庫をインテリアと実用を兼ねて自室に置くというスタイルがかつてインテリア自慢系写真にあった。この系統から考えれば、書店の店舗什器を使って表紙陳列して自室を本屋みたいにする人が現れてもいいのでないか?

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表紙を並べて棚を使いこなすのはありなのでは。自室でこういう店みたいな棚を作る。

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(なお、書店什器のカタログにはこんなものがある。タテヤマアドバンス『エンターメディア2017-2018』)

TLではなく、書店を家の中に作る。そのためには店舗什器が最短の道だ。書店ぐらいのものを作れば、TLなどという生態系を越える環境を居住空間に作れるはずだ。HDD内のpdfフォルダなどでは作ることができない。これが、書店什器にたどり着くまでの道のりだ。なぜ、あの陳列台を家に置こうと思う人がこれまで出てこなかったのか? SNSに対抗する空間をリアルに私有しようというモチベーションがかつてはそれほど高くなかったからだ。

「家にいると本を読む気にならないのに、書店にふらりと行くとモリモリ読む気が湧いてくる。積読あるのに買い込んでしまう」という不幸を解消することができる。家が書店になれば解決するのだ!
ゲーマーかアーケードゲーム筐体を置くことを夢みるように、読書家は書店什器を家を置こうとする。これだ。このモデルで考えよう。現実的には店舗什器だとスペースが枯渇するので、マガジンラックでLPジャケや雑誌表紙見せして、おしゃれを気取るという、省スペース作戦が、無難な落とし込みどころなのか。かなしい。

居住がもたらす、空間の平坦さ、アテンションのむやみな拡散、移動の乏しさ。これらは、週末の憂鬱となって人に襲いかかる。

消費時間と洞察までの区切りや、リズムにおいて、SNSの収まりのよさに特化した短文に慣れてしまうと書籍への関わり方が変容してしまうのを感じる。書店空間の契機を住居内に高めたいというのは、書籍への出会い直しや意欲を高めるには手頃な手段に思えるからだ。
SNSは仕事の合間のサボりといった隙間時間の暇つぶしに最適化したところがある。短い消費時間で注意や情報を引きつけ、結論を提示する。それは裏を返すと、SNSに馴染んだ身体は、それなりの時間単位が与えられた余暇時間の有意義な活用を阻んでしまうということでもある。
SNSにおける間歇的なリズムと波打つアテンションを制するには、書店という小売と消費の技法を挟むのがよいのではないかと。消費を促す権化としての店舗空間を、逆手に取る。


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