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日本人に生まれてよかったけど、一旦日の丸は横に置いて現地人化しようと思う

外国人と知り合うとき、どこの国の出身かと尋ねることは、男か女か、だいたい何歳くらいの人か、と同じくらいの基本事項だと思うけど、国籍を知ると相手のことを少し理解したような気になるから不思議である。

私たちはパスポートを手に海外に一歩出ると、「日本人」として各地で待遇を受けることになる。幸運なことに、経済大国として日本の地位を確立してくれた先人たちのおかげで、日本人であるだけで好意的に受けいられることが多い。

私は、海外に出て日本人であることを意識するようになった。日本人として海外で活動する以上、周りの人は私を通して日本を見るから日本のイメージを傷つけないようにしようと襟を正すし、一方で、日本が評価されたときにはまるで自分が褒められているように喜びを感じる。

国籍は人物像の基本事項だけれども、基本はひとりの人間としてその人と向き合うことになる。そんなとき、最低限の語学が必要なもちろんだけど、相手のことを知りたいだとか、友達として一緒に何かをしたいという気持ちがないとうまくいかない。

海外に出ると日本人としての意識が強くなるけど、一方で自分の中に現地の文化をとりこんでいくのも刺激的で楽しい。特に、東南アジアでは皆オープンで現地の友だちも作りやすい。私という人間の中に、先進国である日本と途上国である東南アジアの2つの文化・価値観をインストールすることが私の理想だ。

そのための秘訣は、日の丸は一旦横においといて、現地人と同じ釜の飯を食うこと。特に、例えば日本食の納豆のように、外国人が嫌がるような「臭い」現地料理を積極的に食べることが、心も身体も現地人化が進む近道である。一方で、それを食べた後に日本人の友人にうっかり会ったりしてしまうと、その臭いにドン引きされてしまうかもしれないが。