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友達以上恋人未満のあれこれ(タイ映画「フレンドゾーン」より)

今年のバレンタインにタイで公開された映画「フレンドゾーン」は、お互いに恋人同士になりたいにも関わらず友達の境界線を乗り越えないジレンマを描き、タイやミャンマーなどで大ヒットした。日本にも友達以上恋人未満という言葉があるが、タイはそうした関係が多いみたいで共感を呼んだようだ。

ミャンマーの大学院で授業を聴講していたころ、似たようなエピソードがある。何人かの学生と友達になり、男女で髪を触りあったりしていた友達がいたので、付き合っているのか聴いてみたら、私は彼らに嫌われてしまった。ミャンマーでは日本と比べて男女間の距離が近くなりがちで、付き合っていなくても親密なことがある。質問をした友人は、友達以上恋人未満の曖昧な関係に踏み込んで欲しくなかったのだ。

男女間の人間関係に限らず、東南アジアは日本のようにパブリックな空間とプライベートな空間を厳密に区別しない。就業時間中に仕事着のセルフィーをとっている姿が散見されるし、同僚とはお菓子を食べて雑談をしながら仕事を進める。やる気がなければそれを顔に出す。良く言えば、素の自分で生きている。

日本では、素の自分よりも上に、世間体がある。出る杭にならない程度に個性を楽しむのが日本の作法。「職場の顔」「飲み会の顔」「家庭の顔」など、場所に応じて相応しい行動をしようとする意識が強く、画一化する傾向にある。ジェンダー多様化や女性参画などの社会運動は、法律上は認められて表向き寛容であるにもかかわらず社会がなかなか変わっていかないのは、各々が世間体の目を気にして周りと合わせるからだろう。

一方で興味深いのは、ジェンダー多様化について寛容なイメージがあるタイでは、実は法律上は日本よりも保守的であり、性同一性障害者であっても法律上性別を変更することはできないことだ。タイ社会では、社会的にジェンダーマイノリティが受け入れられていても、法律でジェンダー多様化について規定することは、ジェンダーに関する境界を曖昧にして調和を保ちたい国民にとっては踏み込みすぎな行為なのだそうだ。

東南アジアと関わる日本人としては、こうした文化の違いに頭を悩ませることも少なくない。以前のnoteで仮面ライダーオタクのSさんとの関係がこじれた話ついて書いたが、Sさんは素の自分で生きていて、遠慮せずにはっきりと言う人だったのに対し、当時の私は日本人らしい礼儀良さでどんな人にも対応していた。

東南アジアの人々と接する時には、はっきり言いすぎて相手を萎縮させない程度にはっきり言うことが大切なようだ。対立よりも調和を優先する作法に従った結果、曖昧なままでお互いにもやもやし合っていることもあるようだが、そこは過去の話は深く考えない東南アジアらしい緩やかさで水に流す。そんな風に明るくすごせる東南アジアの人たちのことが、私はわりと好きだったりする。