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※読書会資料 新劇場版ヱヴァンゲリヲン序・破論 代替の愛の先にある世界(仮) ※編集中

 
まえがき(書き途中)
今回扱う作品は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」である。そしてとりわけ「序」「破」とする。
なぜ、今「序」「破」なのか?エヴァンゲリオンシリーズといえば、「シン・エヴァンゲリオン」において盛大なフィナーレを迎え、全ての謎が解かれたとは言わずとも、少なくとも物語的に、ファンの心情として、大団円と言えるカタストロフが得られたばかりである。
その中でエヴァンゲリオンをあらためて語るという行為がある種無粋な行為であるし、中でも序破に遡ることにどれだけの意義があるのかわからないというのが多くのエヴァファンにとっての心情であるかもしれない。

前もって言っておくのであれば、いずれ「Q」と「シン」を論として扱うにあたっての“前振り“という側面は確かにある。しかしそれだけではない。そもそもエヴァンゲリオンの、過去シリーズから現在に至るまでの、批評界における扱われ方に不満がある。

エヴァンゲリオンが批評の世界においてどのように扱われてきたのか、という点に詳しくない諸氏もいるだろうと思われるため、本論に入るまでに振り返っておきたい。
ここで名を挙げるべき者が複数あるが、まず①オタク・サブカル批評の土壌を整備した者として「東浩紀」、②その「東浩紀」を仮想敵としてゼロ年代批評・セカイ系批判に発展させた者として「宇野常寛」、そして最後に③オタク批評を中心としてシン・エヴァンゲリオンまでを総括した者として「藤田直哉」の3名については触れていく事とする。

批評界における位置付けーエヴァから見たオタク論ーについては便宜上触れていくが、本論の中心はオタク論ではない。また、数多くのライトなオタク層が熱狂するエヴァンゲリオンの謎めいた要素の解き明かしでもない。「人類補完計画が何だったのか」という話も、使徒の正体も、聖書との関係性も、解き明かすことはない。それもまた、エヴァを語る上で手垢のついた陳腐な批評のモードであるからだ。※謎解きが面白いという点は認めるし意義もある程度認める。

では、本論が主題とするテーマは何か?
端的に言えばやや抽象的になるが「世界における行為の多義性について」である。
そして陳腐で寒々しい言い方をすれば、愛について、絆について、その虚構性について。これらのテーマはエヴァンゲリオンにおいて王道のテーマであるが、実はこのような批評の場でメインに切り込まれる部分ではない。何故かといえば理由は二つ考えられ、一つは、上記に上げた批評界隈の語りと相性が悪さ(次章で語る)がある。そしてもう一つの理由として、本論の目的を達成するためには、映像の精読という大変に面倒な作業が必要になる、という点が挙げられる。映像を精読するためには抽象の具体化、具体の抽象化という面倒な思考操作が必要になる(本論内で具体的に示す)。
本論の新規性とは恐らくその点になるだろう。様々なエヴァ批評・考察・感想があるが、エヴァ序破において、全体的な映像の精読が行われたことは恐らくない。その映像の精読はある種の誤読と飛躍が伴う作業であるが、勇気をもってその価値を示していきたい。
本論で語ることはまさしく行為することの「勇気」についてでもあるからだ。

先行研究批判
新劇場版の批評としては藤田の「シン・エヴァンゲリオン論」にまずは触れていきたい。一言で言えば、それはオタク批評の一環に留まるものだと考える。藤田は「まえがき」のなかでこのように語る。

  論述のスタイルは「作品論」「作家論」に、「自分語り」が入り混じるものになる。『エヴァ』は、人に自分を語らせてしまう作品である。であるから、素直に筆者も自分を語りながら、自分にとっての『エヴァ』を語りながら、自分にとっての『エヴァ』を語ることにした。と同時に、恣意的な読解にならないよう、庵野秀明自身のインタビューを中心に、制作者たちの発言を参照し、実証的に固めていく努力をした。

この「まえがき」において既にエヴァ批評の問題が大きく示されている。

①「作家論」的語りの問題点
エヴァンゲリオンはある種の「私小説的」な作品として、庵野秀明を主語にされやすい。碇シンジは庵野秀明の分身であり、碇ゲンドウもアスカもレイもミサトもそうだ、とする考えが中心にある。このような庵野秀明批評を含んだエヴァ論は非常に多い。作品を語る上で「作家論」的な語りを採用するのは、一つのスタンスとして認められるべきかもしれないが、ごく一般的な問題点として、最終的な結論が作家=庵野秀明の変化を語ることにフォーカスしやすい、という点が挙げられる。それは、作品としての語りの可能性を狭める批評であり、庵野秀明という文脈を排して語られるべき事柄すらも無視してしまうことになる。加えていうのであれば、映像作品は広く大人数の人間によって制作されるものであり、いかに庵野秀明という主体が作品に大きく影響を及ぼしていようとも、映像作品を語る主体として採用することは難しい。具体的な批判点については本論でも明らかにするだろう。

②「自分語り」の問題点
いうまでもないが、作品批評においてまず第一に排するべき点である。しかし、エヴァンゲリオンが「人に自分を語らせてしまう作品である」という点には同意ができる。批評というスタイルの語りであっても、本来的に語りの主体におけるアイデンティティと完全に切り分けて語るのは不可能に等しいが、とりわけエヴァンゲリオンにおいては、作品を語るつもりで自分の話をしてしまうということが起きやすい。本論においても語ることだが、それは「エヴァは自分の心の鏡」だからだ。この綾波レイの台詞は何重にも意味をもって機能し、また「自分語り」からどのように逃れるのか、という本論の主題にも接続する。

ここで第一に言えることは、今回本論が行うのは「作者論」と「自分語り」を排した「作品論」だということである。

第二に、東浩紀の「動物化するポストモダン」について。これはエヴァについて語る部分はあるものの、エヴァを中心的に扱っているわけではないという事は言っておく。また新劇場版が生まれる以前の批評であることから、本論とは間接的に関わる部分に過ぎない。しかし、エヴァンゲリオンという物語が一つの物語として機能しない(多義性)点について、本論における思想の根幹とは近しい。

動物化するポストモダン引用

「大きな物語」から「大きな非物語」へ、とは何か。乱暴に言えば、作品に対する入れ込み方が時代と共に変化した、という話である。「機動戦士ガンダム」に入れ込んだオタクたちはかつて「宇宙世紀」という架空の歴史について整合性やディティールの正確さを追求することをある種のオタク仕草としてきた。
一方でエヴァンゲリオンにおいては、架空の歴史(大きな物語)に入れ込むことはなく、むしろキャラクターは複数の物語(歴史)を生きる主体として、二次創作的に扱われる事となった。具体的に言えば、惣流・アスカ・ラングレーは旧劇場版において、目も当てられない姿になるが、もし碇シンジがあの時勇気を出していたらどうだったか?というような、並行世界的な物語展開を夢想することで共感のモードを得ていた。この変化について語っている。
エヴァ批評の第二の問題点であるが、エヴァはあまりにも多くのオタクに受容され、社会現象化していた。これにより、エヴァという作品そのものではなく、エヴァの受容状況が分析対象となってしまう。本論ではあくまで「作品論」を行っていくことになるため、今回はオタクを主語にしない、という事を言っておく。

本論零 空疎な都市と葛城ミサトの物語

零の壱  第3新東京市という架空の都市

大前提から整理するが、エヴァンゲリオンでは第3新東京市という架空都市が舞台となっている。この都市空間を視座に置いた時、エヴァ序・破は「第3新東京市が完膚なきまでに破壊されるまでの物語」と言うことができる。第3新東京市という都市がどういう場所なのか、物語内では明確に言葉にされることはないが、セカンドインパクトの影響により崩壊した旧東京の代わりに都市化した芦ノ湖周辺の土地、ということになっている。

0044
道路の側面まで迫っている赤い海
使徒を迎え撃つ用意が予期されている砲台
海に沈んでいる電車の吊架線のようなもの
0050

0212
「目標、全弾命中!」の声と共に
爆風に巻き込まれる電車の描写
0216

一つ一つ取り上げるまでもなく、恐らく人が住んでいたと思われるマンションや車が戦闘に巻き込まれ次々と破壊されていく。この都市においては使徒殲滅およびリリスの保護が最優先され、人々の生活は基本的に蔑ろにされていく。これを第一に確認しなければならない。

零の弐 疎開していく人々と美しい要塞都市

第3新東京市は要塞都市である。使徒との戦場になる事が予め想定されており、人類の守護という大義があるため、ある程度の都市破壊はやむを得ないと考えている。
しかし、当然ながら住民は生活が脅かされることに不安を感じ、ネルフに対して不信感を露わにする。

2646疎開していく主婦の言葉を聞いているシンジ。
「やっぱり引っ越されますの?」
「ええ、まさか本当にここが戦場になるなんて思ってもみませんでしたから」
「ですよねえ、うちも主人が子供とあたしだけでも疎開しろって」
「なんでも今日1日で転出届は百件を超えたそうですよ」
「そうでしょうねえ、いくら要塞都市だからってネルフじゃ何一つあてにできませんもののねえ」
「昨日の事件、思い出しただけでもゾッとしちゃうわあ」
2702〜しかめ面に変化している2708
さして気にしていない様子のミサト
2709

碇シンジはこの時どのように感じているか、定かではない。しかしエヴァンゲリオンを操縦し、間接的に街を破壊したことに対して何かしらの責任を感じているような描写が挟まれる。続くシーンでは、夕焼けに照らされる街を「寂しい街」と評している。

2727「 なんだか…寂しい街ですね」
「時間だわ」2731
2741
サイレンと共に
「生えてくる」巨大なビル
夕日に照らされる要塞都市。
2809すごい!ビルが生えてく!
これが使徒専用迎撃要塞都市「第3新東京市」私たちの街よ
そしてあなたが守った街
2828

碇シンジの様子からも示されるように、この都市は明らかに美しいものとして描かれている。碇シンジが感じた「寂しい街」という印象はミサトの言葉によってかき消されていく。以降も使徒との戦闘によって街は破壊され続け、恐らく人口も減り続けているものの、そこにフォーカスが当たることはない。
このシーンにおける碇シンジとミサトの反応の対比、人々の生活が伴わないにも関わらず異常に発達した都市機能のチグハグさは物語的にも重要な意味を持つ。とりわけ、葛城ミサトの物語において。

零の参 葛城ミサトの誤認、あるいは建前

葛城ミサトについて、直前の引用では碇シンジと対比して、人の生活に対してやや無頓着な様子を取り上げたが、葛城ミサトはむしろ「人類」のために行動していると言ってよい描写が多数ある。ただし、破で語られるように、本質的には個人的理由と大義が同時に存在しているという事に注意したい。

2509
エヴァは使徒に勝てる。この事実だけでも人類に僅かな希望が残るわ。
2515

ここでミサトは「人類」に残った「希望」を語っている。しかし、このシーンにおいてミサトの目線は手に置かれた十字架の首飾りを向いており、文字通り「人類」の側には向いていない。後に明らかになるが、この首飾りはセカンドインパクトによって死んだ父親の形見である。
個人的理由と大義が単に混在しているのか、あるいは後に語るように「本当は人類のことなんてどうだっていいのかもしれない」のか、この点についてやや踏み込んだ読解をしたい。

零の肆 巨大な主語と巨大なエヴァンゲリオン

ここで提言しておくが、新劇場版において「手」とは「何の為に戦っているのか」を象徴的に示す装置としても使われている。
碇シンジにおいては「父親の置いていったカセットテープ」、綾波レイにおいては「碇司令の眼鏡」、式波アスカにおいては「ASUKAと刺繍された手人形」であり、葛城ミサトにおいては「父親の形見の首飾り」である。それらはとりわけ戦いの渦中においても重要な位置を占めている。
この前提を念頭に置いて眺めると「人類」を主語にしながら十字架を見つめるシーンにある種の欺瞞が伴っていると示唆的だが、続くシーンで、ミサトの巨視的視点(「人類にとって」)が誤認であることを更に強調しているように思われる。

2522
自分の腕を見つめるシンジ
2525

ここにおいて、シンジが腕を見ているのは、戦いの中で折られた腕を思い出しているからに他ならない。無論、真に折られたのはエヴァの腕だけであり、自分の腕は折られていない。ミサトも戦闘中、次のように言っている。

1831
シンジくん落ち着いて!掴まれたのは、あなたの腕じゃないのよ!
1835

2522〜2525は非常に短いカットであり、一見するとここにおいて、碇シンジが腕を見つめる描写を挟む必然性はなかった。しかしこのシーンにおいて、葛城ミサトが手を見つめるシーンとの相似関係を認めるとするなら、示唆されるものが明確になる。どういうことか。

改めて注釈を入れると、2522〜2525におけるシンジは、自分の腕が折られたという感覚が誤認であったと目で認めているのであった。巨大なエヴァと小さな碇シンジの対比において、エヴァでの出来事が実感を伴わない非現実的な出来事であった事が示される。
これと相似する形で葛城ミサトにおいても、巨大なものに対する誤認がある。既に確認したように「人類」を守護するはずのネルフは人々(個人)の生活を蔑ろにし続ける。同時に「人類」という巨大な主語はミサトの個人的理由を疎外し、覆い続けている。
端的に言えば「人類」という巨大な主語を掲げる語りは、ミサトの騙りであり、欺瞞なのだと言える。

零の伍 生活上の欺瞞と擬似家族空間

「やっぱ人生、この時のために生きてるようなもんよね〜」

葛木ミサトという人間の生活は、空き缶と空瓶、その他ゴミ、レトルト食品に象徴され、非常にだらしないものとしてコミカルに描かれている。このコミカルリリーフは物語において一見重要な位置を占めていないが、多くのファンが指摘するように、ミサトという人間は膨大な飲酒によって人類を守る重圧から逃れているとする見方も出来る。
この逃避行動の側面については葛木ミサトに限らず、赤木リツコの喫煙描写、碇シンジのカセットテープ、式波アスカの携帯ゲーム等に見られる事から一定の信憑性を見込める。ミサトは日常的に自分を騙して生きているのだ。

しかし、ミサトにまつわる、ある種の欺瞞の態度は悪い事として描かれるばかりではない。それを確認した上で本論零の締めとしたい。

3254
しかしあの使徒を倒したというのに
私も意外と、嬉しくないのね
3302

葛城ミサトは風呂の中で独言る。何故、この時ミサトは嬉しくなかったのだろうか。それは、先ほどから確認している通り、ミサト自身が自分の真の欲望に気付いていないからである。先に結論を言えば、父親に褒められたかったのだ。これが読み取れるのは、この直後、碇シンジに対する行動からである。

3227
暗い部屋の中、転入届を見つめながら
音楽を聴いている碇シンジ
3236

3307
ここも知らない天井か。当たり前か。
この街で知ってるところなんてどこにもないもんな
3314
ここはあなたのうちなのよ
3316
なんでここにいるんだろう

説明するまでもなく、碇シンジが何故第3新東京市に来たのかと言えば、碇ゲンドウに褒められたいからだ。破においては「父さんに褒められたいのかな」「初めて褒められて嬉しいと思った」とも言っていた。しかし、まだこの時点ではその理由に気付いていない。カセットテープからは手が離されている。

3330
はあ…
3333シンジくん開けるわよ
ひとつ言い忘れてたけど
あなたは人に褒められる立派なことをしたのよ
胸を張っていいわ
おやすみシンジくん、がんばってね
3350

ミサトがわざわざ声をかけたのは何故だっただろうか。
恐らく、ミサトはこの時に気付いている。悲願である使徒撃退が「意外と嬉しくない」のは、「父親に褒められる」という欠けた経験の代償行為でしかない。ミサトの真の願望は達成される事はない。
そして同時に、自分自身を鏡として、碇シンジに欠けている経験がまさに、父親に褒められる経験だと気付いてしまったのだろう。だからミサトは、碇ゲンドウの代替としてシンジをきちんと褒めたのだ。ミサトの溜息とは、自らも欠落感を抱えつつ、大人として、子供に同じ経験をさせまいとする勇気の一歩であっただろう。

ある種の欺瞞である。しかし、この一連の行動には別の言葉を当てるべきだろう。つまり「察し」と「思いやり」だ。ミサトは碇シンジに「ここはあなたの家なのよ」とも言っている。もちろん、自分の居場所がわからない(「知らない天井」)繊細な少年に対する「思いやり」としてである。

2858 あ、あの、お邪魔します
シンジくん、ここはあなたのうちなのよ

た、ただいま
お帰りなさい
2919

本論壱 戦う理由をその手に掴む。〜碇シンジと綾波レイの物語〜

先ほどのミサトに関する読解でも触れたが、新劇場版においては(旧アニメシリーズに増して)手の表象がかなり重要視されている。ミサトが父親の形見を見つめる描写(2509〜2515)(13005 首飾りを握り、祈るミサト13008)や、碇シンジと手を繋ぐ描写(11846〜11849)が序における新規カットとして追加されている。
本論では、手に掴むもの=戦う理由としての読解を深めていくこととする。碇シンジや綾波レイにおいてはそれがどのように現れるか。

壱の壱 綾波レイの血、消極的理由として

序において初めに手がフォーカスされたのは、綾波レイの血がついた手(14:14)を見るシーンである。突如碇ゲンドウに呼び出され期待していた反応を得られなかったシンジは、エヴァに乗ることを拒絶していた。しかし、この手を起点に搭乗を決意する。

1414
血のついた手
「逃げちゃダメだ」と言う碇シンジ。
綾波レイを抱えたまま
「やります。僕が乗ります」
1425

ここにおける碇シンジが搭乗を決意したのは、自分が逃げれば、その分傷つく人間が居るという事実を目の当たりにしたからだろう。積極的理由(〜だから、戦いたい)ではなく、消極的理由(〜だから、戦わないといけない)の戦いが第四の使徒(旧称:サキエル)との戦闘である。

壱の弐 美しい空の下で。戦う理由を掴み損ねる碇シンジ。

碇シンジが空を眺める描写は数多く存在する。その時の空はいかにも美しく、碇シンジの浮かない表情と対比される事が多い。序においてはそれが下記のシーンで行われた。

3414
僕だって乗りたくて乗ってるわけじゃないのに3417
3435
どこが人に褒められる事なんだろう。
エヴァに乗ってたってだけでなんで殴られるんだろう。
3445

第四の使徒との戦闘により妹が怪我をしたトウジに殴り倒され、そのまま空虚に空を見つめている。このシーンはミサトが父親の代わりとして碇シンジを誉めた直後のシーンであった。ミサトの「思いやり」は届かない。どうしてエヴァに乗るのか、ここではその理由を得られない。

4020
父さんも見てないのに
なんでまた乗ってんだろう
4022フラッシュバック
人に嫌われてまで
4025

壱の参 他者を拒絶するイヤホン、他者と繋がる電話


碇シンジはその後どのように戦う理由を獲得するのか。先に結論を言えば、他者との繋がりにおいてである。そしてその繋がりを象徴するのは、耳である。それはどのように描かれたか。

第一にそれは他者との隔たりとして描かれている。碇シンジがイヤホンをしているシーンは挙げればキリがないが(3627〜3236転入届を見つめる、3632〜3724教室、3737〜3759屋上で空を見る、4758〜5048家出)、それは主に他者を拒絶する装置として描かれている。
しかし耳に関わる表象はそれだけではない。その端的な例が電話などの通信機器である。その時、耳に関わる表象は拒絶ではなく、単に隔たりとして描かれる。例えば、序の冒頭は「不通」の電話から始まる事が象徴的だ。

0114現在、特別非常事態宣言発令中のため、
全ての回線は不通となっております。0122

通信機器は、他者との隔たりを象徴しうる。
しかしそもそもは、距離の隔たりを超えて、他者との会話機会(繋がり)を得るための装置でもあるのだった。序において、繋がりの側面は留守電の形で描かれている。

11011電話をしているトウジとケンスケ
11015じゃあ行くで。
うん。11016

12115
伝言が記録された電話が渡される
12118受け取る
あの…鈴原です
碇…いやシンジと呼ばせてくれや。
シンジ、頼むで!

えー、相田です。碇、頑張れよ!
12139シンジは微笑み、ミサトも微笑んでいる。

ここで受け取った言葉が第六の使徒戦において重要な位置を占めていたことを思い出さなければならない。一射目を外し、使徒の攻撃に恐怖した碇シンジが操縦桿を握り直した時、何を思い出していたのか。

12907
握り直すシンジ
12912シンジ、頼むで!
碇、頑張れよ!
12930

ここにおいて、碇シンジが戦いを続けられたのは、友人の存在があったからだと言える。碇シンジが戦う理由としてその手に掴んだものの一つとは、通信機器、そして友人との繋がりである。

壱の肆 眼鏡ケース〜綾波レイの戦う理由〜


序における碇シンジの物語を全てさらったわけではない。つまり、碇シンジの戦う理由として描かれたのは、友人との繋がりばかりではない。序の新規カットとしてミサトと手を繋ぐシーンが追加されていたことも思い出すことができるが、もう一つ重要なのは、いうまでもなく綾波レイとの関係についてである。
綾波レイにおいて、手がどのように描かれていたのか、そしてどのように変化したのかを確認し、本論壱の締めとしたい。

手に掴むものは戦う理由として描かれる。綾波レイにおいてそれが最初に描かれたのは、碇シンジと接触したシーンにおいてである。

5928メガネに気付くシンジ
5935「綾波のかな」
メガネに触れる碇シンジに気付き
怒ったような顔を見せるレイ5953

10121
メガネをケースに戻す綾波レイ
僅かに微笑んでいる。
10124

この眼鏡が綾波レイにとってどのようなものかを示すシーンはこの直前に示されている。

5425いかん!5436レイ!
頭を打ち付ける零号機
5455駆けつける碇ゲンドウ
5458やけど
5510レイ大丈夫か!レイ!
5417そうか

「俄に信じられないわね」

5547 エントリープラグから漏れ出した
LCLには碇ゲンドウの眼鏡が浮かんでいる。

綾波レイにとって戦う理由とは碇ゲンドウとの関係である。またしても序の新規カットについてになるが、第六の使徒との初戦闘後、手術室と思しき部屋の外で、眼鏡ケースを持って待っている描写が追加されている(11033〜11038)。また、第六の使徒との再戦前、碇シンジと綾波レイはこのような会話をしている。

12221
綾波は何故エヴァに乗るの?
絆だから。
絆?
そう。絆。
父さんとの?
みんなとの。
強いんだな綾波は。
私には、他に何もないもの
…っ
時間よ、行きましょ。

12253 月をバックにした綾波レイは眼鏡ケースが握られている。「さよなら」
12256 つよく握りしめる
12257 それに気付くシンジ「あ…」
12302 目を伏せる碇シンジ

壱の伍 他者との絆を求めて〜「in other words , hold my hand」〜

綾波レイは無機質な少女として描かれる事が多かった。しかし序においては、眼鏡ケースの描写を中心に、旧アニメシリーズ以上に綾波レイの感情面にもフォーカスが当たるようになった。
碇シンジにおいては空を見つめる描写によって空虚な気持ちが表現されていたが、綾波レイにおいては、教室の外を見つめる描写において、その所在なさが表現されている。碇シンジはその様子を見ていたが、初めは綾波レイの気持ちが理解できなかった。

10219ねえ、綾波は怖くないの?
またあのエヴァンゲリオンに乗るのが
どうして
前の実験で大怪我したって聞いたから
それなのに平気なのかなって
そう。平気。
でも、またいつ暴走して危ない目に遭うか
使徒に負けて殺されるかもしれないんだよ僕らは。
あなた碇司令の子供でしょ。
うん。
信じられないの。お父さんの仕事が。
当たり前だよあんな父親なんて。
あの、
10304
はたかれる碇シンジ
10312

しかし、眼鏡ケースを通して、碇シンジは、綾波も怖くないわけじゃないと理解したのではなかったか。

13314
熱いエントリープラグの入口を手動で開ける碇シンジ
(それはかつての起動実験時の碇ゲンドウに重ねられる)
13329綾波レイ、手に持たれていたメガネを落とす。

自分には他に何もないってそんなこと言うなよ
別れ際にさよならなんて悲しいこと言うなよ

何、泣いてるの
ごめんなさいこういう時どんな顔すればいいのかわからないの
笑えばいいと思うよ。
13431 シンジが差し出した手と、綾波レイの手が触れるかどうかで画面は切り替わる。

13434零号機のエントリープラグを握る初号機のカット

綾波レイが、戦う理由としてその手に掴んだものは第一に碇ゲンドウの眼鏡であった。しかしその後、碇シンジと手を繋ぐという形で、新たな絆を得る。綾波レイの物語は、碇ゲンドウ→碇シンジへと移行していく。

本論弐 代替の愛、あるいは「勝手な思い込み」

本論壱までで序について大枠振り返る事ができた。粗くではあるが描写の意味するところをスケッチできただろうと思う。

序論で明らかにした通り、絆こそが戦う理由であり、人同士の繋がりの尊さがテーマの一つにあるとする。しかし恐らくそれではエヴァという物語を本質的に語る事が出来ないだろう。
序のサブタイトルは「YOU ARE(NOT)ALONE.」であったが、「あなたは孤独だ」なのか「あなたは孤独じゃない」なのか、対照的な翻訳をし得る題となっている。どちらかに決定できない不安定さこそがエヴァという物語であったはずだ。

序においてもその点には注意が支払われていたと思われる。綾波レイと碇シンジが手を繋ぐ直前でカットが切り替わる点や、通話ではなく留守電という形で繋がりを象徴した点など、留保付きの繋がりとして描かれる。

加えて、これまでの本論で取り上げた戦う理由としての表象は、そもそもは存在の代替物でしかない。すなわち、葛木ミサトにとっての十字架の首飾り、碇シンジにとってのカセットテープは、父親との繋がりを象徴するものではあるが、それは象徴でしかなく、存在そのものの代理、赤ん坊にとってのおしゃぶりのようなものだ。
絆があった“かもしれない“、しかし、それは「勝手な思い込み」“かもしれない“。ここからは、序で描かれた数々の存在の代替物が破においてどのように扱われていくか、検討していきたい。

弐の壱 ASUKA手人形とアスカキック 〜アスカの物語①〜

まずは役者を揃えよう。序に引き続き、登場人物が何を持っていたのか、という点に注目していく。それは本論では、その人物が戦う理由はなんだったのか、という物語を読み込む作業となる。アスカについて。

1759あいつらともちがあう♡
私は特別♡
だから、これからも
一人でやるしかないのよ。アスカ。
1810

自分と同じ名前の、子供用赤ちゃん人形をあやすアスカ。言うまでもなく、自分のために戦う、という表象に他ならない。他者との絆のために戦う、という側面があった他のチルドレンと比較すると、自分一人で完結しており、他者を必要としない。その側面を補強する要素として、アスカは他者を積極的に遠ざける描写が多く存在する。それは蹴り(アスカキックと呼称する)によって表現される。

1037アスカキック
1052殲滅

1215(アスカキック)
おまけに無警戒。
エヴァで戦えなかったことを恥とも思わないなんて
所詮、七光ね。
1226

1731(アスカキック)1734
このえっち!バカ!変態!信じらんない!
二人とも素直になってきて、いい傾向じゃない?
ね、ぺんぺん?
1745

1949アスカを見るシンジ
1950近づいてきたオタクくんにアスカキック
ゲームに戻る。
1955それを見つめて何かを思うシンジ1958

新劇場版において、手は他者との繋がりを象徴するものとして描かれた。その対比として、足は他者拒絶の側面としての位置を与えられていたと考える。

弐の弐 チルドレンの孤独と他者理解 〜アスカの物語②〜

寂しさは視線に現れる。最も端的な例として「知らない天井」という言葉に象徴される、居場所のなさである。本論壱の中では、空を見つめる碇シンジ、窓の外を眺める綾波レイにも所在なさを読み込んでいた。アスカにもその側面がある。

3841
アパートのカット
天井のカット
アスカの下半身のカット
3908カーテンの隙間から空を見ている
「ずっと一人が当たり前なのに
孤独って、気にならないはずなのに」
3914

「一人では何にもできなかった」ことに無力感を覚え、寂しさを感じるようになるアスカ。そこで初めて他者=碇シンジとの接触、相互理解を図る。

4015 (二人の裸足の足が近くにあるカット)
自分のためよ。エヴァに乗るのは
あんたはどうなのよ。
よく、わかんない。
。。。
あんたばか?そうやって責任逃れしてるだけなんでしょ
父さんに褒めて欲しいのかな
(見るアスカ)
今日は、初めて褒めてくれたんだ
初めて褒められるのが嬉しいと思った
・・・?
4044
父さん、もう僕のこと認めてくれたのかな
(手を緩くにぎにぎするシンジ)
ミサトさんの言ってた通りかもしれない
4050(拳を握るシンジ)
4053
シンジを横目に見ているアスカ
あんたって、本当にバカね。

碇シンジは、既に戦う理由を掴んでいる。それは「父さんに褒めて欲しい」というごくごく子どもじみた理由である。「責任」を抱き「自分のため」に戦うアスカとは対照的である。
そしてこの時、二人の足が並べられたカットは重く見たい。アスカにおいて足とは、他者を拒絶する表象なのであった。であるならば、これはアスカの転換なのだ。
足は互いに反対方向を向いている、すなわちそれは他者が違う考えを持っている、他者が他者である表現に他ならない。しかし、拒絶をしない。ただ近くにいることを許す、という転換がここでは描かれている。

補論A まごころを君に。 〜工業生産品と色彩豊かなお弁当〜

アスカの物語を読解している途中ではあるが、アスカ転換の後に挟まれる重要な要素について触れておきたい。
破において、他者と繋がるという点で最も重要な役割を果たしているのは「お弁当」の要素である。これは序と比較する形で、意図が明確になると思われる。
序においての食事はレトルト食品と酒、そして第六の使徒再戦闘前のパッケージされたNERV食(色彩度が低い)である。言うなれば、工場で大量生産されているだろう品である。
一方で破で描かれた「お弁当」とはどうだったか。

意外、美味いわね
ああ、見事な焼き方と味付けだなあ
あの九割人造肉が調理しだいでこうも美味しくなるとは
まさに驚愕だよ

この世界にはそもそも大して肉も野菜もないのだろう。「九割人造肉」という言葉からも窺えるように、無機質な工業製品で生活していると思われる。その中で碇シンジの手作り弁当は美味しい。何故かといえば工夫がみられるからだ。そしてそれは単なる味付けの工夫ではなく、他者に対して個別の配慮として描かれる。

4126タコさんウィンナー焼いている

4137四つの弁当がある
大きめの四角、丸ふたつ、四角ひとつ

4140
色彩豊かな弁当。
タコさんウィンナー(目つき)
卵焼き、トマト、ブロッコリー
コロッケ?わかめご飯と桜でんぶ

端的に言ってしまえば、ここにおけるお弁当とは、まごころ、とでも言うべきものだ。単なる栄養補給なのであれば、タコさんウィンナーにする必要性は全くない。色彩を工夫する必要もない。また、ミサトには大きな弁当を、という個別対応も工業品にはできない。そして、食事を取らない綾波レイにもお弁当を与えている。描写はないが、肉を食べない綾波レイのお弁当にはウィンナーを入れてないのかもしれない。

この碇シンジのまごころは物語においてどのような意味を持つか。

補論B お弁当の価値は 〜レイの場合〜

レイについて。食生活の希薄さから整理していこう。

1643
壊れた団地 重機が並んでいる
(シンクにはガラスのコップだけ)
部屋に一人の綾波レイ
1658
ややしかめ面で何かを見ている。
1700(見ていたのは、薬)
はい、みんなで一緒に〜
1702
1703ごちそうさまでした(シンクには鍋と食器の数々)
やっぱひとっぷろ浴びた後のビールは最高ね〜!
1731

ミサト宅とレイ宅の比較は残酷である。
序の戦闘後にレイ宅は壊れたのかもしれない。外壁は崩れている。部屋には一人。そして、薬を飲んでいる以外の痕跡がない(食事を摂っていない)。一方でミサト宅は変わらずの姿で(その後も同じ画角で外観が描かれる)、複数人で賑やか、手作りの食事を食べている。この点のレイの解釈は極めて限られるだろう。ここでは他者との隔絶、とでも言っておく。
一方で、そのレイにとって碇シンジのお弁当はどのように響くものであったか。

2452
じゃあ味噌汁はどう?
あったまるよ
2459
差し出される味噌汁
受け取る手が触れる直前でカット
2500
2507美味しい2510

4119(窓ではなく、弁当の件で争うアスカとシンジを見ているレイ)
4121なんや、また夫婦喧嘩かいな!
あはははは
違うわよ/違うよ!
4126

4204教室の外を見ているレイ
はいこれ
え(シンジの方を向くレイ)
いつも、食べてなさそうだったから
4214ありがとう(僅かに照れるレイ)

「お弁当」の意味するところとは第一には、他者との繋がりであろう。そして注目すべきは、「お弁当」を受けて、どのように行動が変化したか、である。
このお弁当シーンに付随する要素として、教室の外ばかりをみていたレイが、教室の内側を向き始めるという点があり、後の“教室で挨拶をする綾波“にも繋がる(5109〜5137)。また、碇ゲンドウを含めた食事会をも企画し始め、自分から積極的に他者との関係を持とうとする。何故、綾波レイはこのような行動をとるようになるのか?答えは非常にささやかな理由である。

4315壊れたままのレイの家。
洗った弁当箱
4327うつ伏せになっているレイ
4330ありがとう。感謝の言葉。初めての言葉。
4335あの人にも言ったことなかったのに。
(一瞬メガネと、「The Happy Prince and Other Tales」という本が映る)
4341

眼鏡と「The Happy Prince and Other Tales」(邦題「幸福の王子」)に注目したい。「幸福の王子」は自己犠牲と博愛の物語である。眼鏡=碇ゲンドウに並ぶ本こそは碇シンジの象徴であり、碇シンジこそが自己犠牲の王子だ、と言ってしまうのが簡単である。つまり、綾波レイが他者に目を向け、他者のために行動し始める理由とは、他者のために行動する碇シンジを見て、模倣した結果、と見ることができる。まごころは連鎖していくのだ。

5146変わったわね、レイ
そうね、あの子が人のために何かするなんて
考えられない行為ね。何が原因かしら
愛、じゃないの?
まさか。あり得ないわ。
5159

もちろん、「愛」と言ってもいい。

補論C お弁当の価値は。 〜アスカの場合〜

アスカについても、補論Bで検討した内容と同じことが言える。

4143「いただきまあす!」(トウジ)
(一人で食べるアスカ)

うーん今日はまあまあね。
サボった分味は落ちてるけど。
4151あの、アスカさん?
一緒に食べても…いい?(視線を逸らす)
4156
いいけど、弁当は分けないわよ?
4200
420(いい笑顔の委員長)可愛い
4202(なんか照れるアスカ)可愛い
4204外を見ているレイ
はいこれ

いつも、食べてなさそうだったから
4214ありがとう(僅かに照れるレイ)可愛い
4215良かった思い切って声かけて
(シンジを見ているアスカ)
ヒカリ、だっけ?残り、食べていいわよ
え…(ヒカリ、困惑)
4222

アスカはこの時何故、ヒカリに弁当を寄越したのか。もちろん、碇シンジが綾波レイにお弁当を渡しているのを見て、それを模倣したのだ。行動としてはただそれだけのことだ。しかし、中身としては何を模倣して、何故、模倣したのか?
関係性を整理しなければならない。シンジとアスカが話している時、レイはその様子を見ていた(4119「夫婦喧嘩かいな〜!」4121)。レイとシンジが話している時、アスカは見ていた(4215〜)。この視線が意味するところとは無論三角関係だ。であるならば、アスカが模倣したものとは、好意の伝え方である。
アスカの行動の思考回路とは恐らく、碇シンジは綾波レイに好意があるから弁当を渡している→人に好意を伝えるというのは食べ物を渡すことだ→話しかけられて嬉しかったから食べ物を渡そう、というものだ。コミュニケーションの乏しさからか、原始人並みの行動だが、単純に子供なのだ。「大尉」という大仰な肩書きがあろうとも。

弐の参 繋がる電話、何故エヴァに乗るのか 〜アスカの物語③〜

アスカが通話をするシーンが三つある。
・起動実験のパイロットとして志願する時(10258〜10314)
・綾波レイからの感謝の電話を受け取った時(10343〜10443)
・ミサトへの守秘回線での電話(10604〜10743)

本論壱の中でも、電話は人との隔たり、そして繋がりを象徴するものとして読んできた。その中で、アスカの電話は繋がる。そこでレイとミサトから「ありがとう」という言葉をもらう。

10410はい、レイ、話していいわよ。
はあ…………?……………ッチ!
「ありがとう」
!微笑むアスカ
10430ふん!ばっかじゃないの!
私がエヴァに乗りたいだけなのに!
10434(外を見ているアスカ)
三号機、私が気に入ったら赤く塗り替えてよね。
10442それを微笑んで見ているミサト10443

10604
守秘回線?アスカから。どうしたのアスカ。本番前に。
なんだかミサトと二人で、話をしたくってさ
そう。今日のこと、改めてお礼を言うわ。「ありがとう」
礼はいいわ。愚民を助けるのはエリートの義務ってだけよ

10634アスカ人形の隣に置かれた携帯。10636

アスカは素直ではないが「優しさ」ゆえにエヴァに乗ることは登場人物にとって明白である。そして、表現としても、ASUKA人形の隣に置かれた携帯電話(ミサトと通話中)が、エヴァに乗る理由としての位置を与えていることがわかる。
繋がりはある。それが戦う理由にもなり得た。しかし、その幻想は打ち砕かれる。より巨大な次元で。すなわち使徒という大きな現実によって。

弐の肆 捨てられたカセットテープとメガネに抱いてきた幻想

11912電車のシーン
碇くん、いつもそれ聞いてるのね
うん
これ昔父さんが使っていたものなんだ
綾波のメガネと同じだよ
けどもういらなくなって置いていったものなんだ
僕と同じだよ
先生のところに置いてあったのを
僕がもらったんだ
耳を塞ぐと心も塞がるんだ
嫌な世界と触れ合わなくて済むからね
嫌な世界?
そうさ。
嫌いな父さんのいる世界
怖い使徒やエヴァのいる世界
辛いことをやらされる世界
ダミーがあれば父さんが僕をいらない世界
僕の友達が傷つく世界

でもいいこともあったんだ
けど結局は壊れてしまう
嫌な世界さ

もう捨てるんだ。
これしてると父さんが嫌な世界から
僕を守ってくれると思ってたんだ
僕の勝手な思い込みさ

碇くんは、解ろうとしたの?
お父さんのことを
解ろうとした
何もしなかったんじゃないの
解ろうとしたんだよ
悪いのは父さんだ
僕を見捨てた父さんじゃないか!

そうやって、嫌なことからまた逃げ出してるんだ
いいじゃないか!嫌なことから逃げ出して、何が悪いんだよ!
12041天井の描写
またここだ。もう嫌だ。
12052

碇シンジはカセットテープに「嫌な世界」から「守ってくれる」「父さん」という願望を投影していた。しかしそれは「勝手な思い込み」でありその願望は「結局は壊れてしまう」。そして、再度碇シンジは「知らない天井」という所在なさに回帰してしまう。
それだけではない。間接的にではあるが「綾波のメガネ」も否定されている。碇ゲンドウは確かに綾波レイに対して優しい側面がある。しかし、序で意図的に碇シンジと接触させるなど、自らの目的のために利用している側面もまた描かれている。破の時点である程度示唆されているが、そもそもレイとは、碇ユイの代替なのであった。

本論参 書き途中

12133手が拘束されている碇シンジ
命令違反、エヴァの私的占有、稚拙な恫喝
これらは全て犯罪行為だ。何か言いたいことはあるか
はい。僕はもうエヴァには乗りたくありません。
そうか。ならば出ていけ。

また逃げ出すのか。
自分の願望はあらゆる犠牲を払い
自分の力で実現させるものだ
他人から与えられるものではない。
シンジ、大人になれ。

僕には、何が大人かわかりません。
12218

12232
レイ、シンジくんを引き止めなかったですね
最近変わってきたから、期待してたんだけどなあ
あの子たちの距離感、図りかねるよ
しかし、これでまたパイロットは一人きりだ。
振り出しに戻る、ですね。
12248
荷物を握るシンジ
わかってると思うけど、ネルフの登録を抹消されても
監視は続くし、行動にはかなりの制限がつくから
忘れ物、鈴原くんと相田くんから何度も留守電が入ってる
(電話を渡す)
心配してるのよ
別に入りません。置いてったものですから
レイやアスカのことも聞かないのね
本当はね、私だって人類や世界のことなんて
どうだっていいのかもしれない

結果として今こんな立場になってるけど
最初は死んだ父に少しでも近づきたくて
ネルフに志願しただけなの(アスカ人形が箱に入れられている)

あなたが碇司令に必要とされたくて
エヴァに乗ったのと同じように
12343ペンペンのカット(必要とされたかった)
だから、私はあなたに自分の思いを重ねてしまった
それをあなたが重荷に感じていたのも知ってる
今あなたがエヴァを乗る目的に
失望してしまったことも知ってる
けどそれでも私はあなたに
12400ミサトが掴み損ねる。

ミサトは何を掴み損ねたのだろう。
それを戦う理由と考えてみる。
ミサトはシンジを可愛がっていた。
ただパイロットとしての側面のみを求めていただけでなく
シンジが父親と和解し、幸せになることを望んでいただろう。
それは、自分にはできないことだからだ。
ただ言われた通りにエヴァに乗るシンジを叱り続けた。
その理由は、その苛立ちは、自分の意思で戦うことも
大人だからこそ、できなくなってしまったからだ。
ミサトは、気持ちを育てたかった。
日常を守ることはミサトにとっても
戦う理由になっていたのではなかったか?

12405手を下ろす
あの日、レイは碇司令も呼んでいたの
シンジくんにお父さんと仲良くなって欲しかったの
一緒に笑って欲しかったのよ

僕はもう、誰とも笑えません。
12424

12429
また電車に運ばれている
心は閉じられてしまった。
12453使徒だ

12515
地球に手を伸ばし、遠近法により手で覆われる。渚カヲルのカット
時が来たね
12521

12607
第十の使徒、最強の拒絶タイプか

12613
電話はしがらみであり繋がり
大人にとってはしがらみ側面が強い

12743
良い匂い
他人の匂いのするエヴァも悪くない
12743

12752
速攻片付けないと本部がパーじゃん!
馬鹿げているが、理由を手に掴むグーと対比のパー?
人々の願いや祈りや希望が失われるという意味で。

13149
碇くんが、もう
エヴァに乗らなくて、良いようにする
13156だから!!(カセットテープが傍にある)

13234逃げて!二号機の人!
ありがとう13241

13341
僕は…僕はもう乗らないって決めたんだ
13346
手に二号機の血がつく

エヴァに乗るかどうかなんて
そんなことで悩む奴もいるんだ
なら、早く逃げちゃえば良いのに
ほら、手伝うからさ。
もう乗らないって決めたんだ
乗らないって決めたんだ
乗らないって決めたんだ
だけど、そうやっていじけていたって何にも楽しいことないよ

13422
手の上でネルフ本部の崩壊を目の当たりにするシンジ
スイカも焼けてる
13445零号機食われる=綾波レイが食われる

13520
君も死んじゃうよ
早く逃げなよ
13524(血に染まった手のカット)それは序の時と重ねられる
13526手を見つめるシンジ
前に向き直る
13534

13631
乗せてください!
僕を、僕をこの初号機に乗せてください
なぜここにいる
13644手をにぎにぎ
握る13645
父さん、僕は
エヴァンゲリオン初号機パイロット
碇シンジです!
13653

13713
迫る使徒に対して
十字架を握っているミサト
エヴァ初号機!
シンジくん!
13725

13845
綾波を
返せ!
13849

14005
僕がどうなったっていい
世界がどうなったっていい
だけど綾波は
せめて綾波だけは、
絶対助ける!
14016

14030
いきなさいシンジくん!
ミサト!?
誰かのためじゃない!
あなた自身の願いのために!
14041
14043手をコアに伸ばす初号機
14049

綾波、どこだ!

14054
ダメなの
もう、私はここでしか生きられない
綾波!?
いいの
碇くん。私が消えても、代わりはいるもの。
代わりはいるもの
違う!綾波は綾波しかいない!
だから今、助ける!
14112
翼をください
今、私の願い事が
14130
そんな…形状制御のリミッターが消えています!
解析不能!
人の域に留めていたエヴァが以下略。

純粋に人の願いを叶える、ただそれだけのため!
14205

14208両手ともに伸ばす初号機

14309 イメージ内の碇シンジも綾波に手を伸ばし、壁を突破する

綾波!手を!
皮膚が破ける
白くなっている
来い!
14329
伸ばした手を自ら掴むシンジ
14336綾波のもう一つの手には
カセットテープが握られている
14338

形象崩壊した第十使徒を綾波レイの形に書き換える

14417カセットテープのカット
綾波、父さんのこと、ありがとう。
ごめんなさい。何もできなかった。
良いんだもう。これで良いんだ。
14440真っ白になっていく

14525個の世界の理を超えた新たな生命の誕生
代償として古の生命は滅びる
14539
翼…十字架を握る
15年前と同じ
14544そう
セカンドインパクトの続き
サードインパクトが始まる。
世界が終わるのよ14554

結論 空白


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