俺は仕事中にTwitterで見たくもないものを見ている(日記)

Twitterの暗黒面だなって勝手に思っているんだけど、自分の顔の似顔絵アイコンの、起業系・副業系(+ライター系・ダイエット系)のツイートを見ると、めちゃくちゃ息苦しく感じてしまう。ツイート内容は自己啓発っぽいもので、「今すぐ行動する」とか誰でも言えるような詰まんない内容。この世に流通しがちな自己啓発ってそういうものなのかもしれないし、別に、自己啓発そのものを嫌ってはいないんだけど、俺の嫌悪感をそのままに書けば、綺麗事というか、前向きになってるフリというか、嘘が嫌。

端的に嘘だと思っている(○○代から始めて△△が出来た、とか事実の面でも)。自己啓発っぽいけど、自己啓発とも違うような。邪推すると、何らかの詐欺のセミナーの被害者あたりを想像しているが、可哀想な人達だなと憐れんでるわけではない。趣旨はそこではない。俺自身が苦しいと感じ、何なら少し怒りを覚える理由について考えている。

ちょっと前にInstagramの界隈で問題に?なっていたけど、若者たちが自分の人生のキラキラした部分を切り取り過ぎて、自殺者が増えたんだとか。ただの日常を生きている、Instagramの仕組みに馴染めなかった若者が、キラキラしている人と比べて、自分の人生がひどくつまらないものに見えるようになったとか。それで苦しみが生まれ、しんじゃう人が増えたとか。

そんなのを見た気がするけど、それみたいな気持ち。起業して/副業して/ライティングやダイエットをして、人生が劇的に変わったフリ。嘘。まやかし。Instagram的なTwitterの利用に怒りを覚える。事実かどうかは、いっそのことどうでもいい。九分九厘は嘘で、実際に変わった人もいるのかも知らんけど、嘘をばら撒き、嘘を信じたがる心の弱い人間同士で傷を舐め合うコミュニティが苦しい。明るく振る舞っている分、もっと苦しそうに見える。

人生が劇的に変わるのなら、と一発逆転を願う気持ち。カイジで描かれる大衆のようだ。何か変わったような気持ちになっていても、何も変わってないし、これからも変わらない。九分九厘、一発逆転なんてない。同じレールの上でこれからも生きていくだけだ。だから、自分の人生を愛し(愛せなくとも)、何とか笑って生きていける方法を探していくしかない。(というか、笑って生きて欲しいという個人的な願いだ)

少しでも笑って生きていくための方法が、Twitter上で、自己啓発っぽい話で人生を誤魔化して、いいねを貰い合う仕組みの中で他者との触れ合いを演じる事なのか、それとも、やはり現実の中で光を見つけて生きる事なのかは、正直わからない。虚構を否定して現実を生きろ、は正論だが、生きるには現実は辛すぎる。虚構と現実の二元論もいい加減古いけども。

Twitterは素直に物言える場所じゃん、
嘘つくなよっていうお気持ちがある。まず。
今は、あまりにも剥き出しな本音は
歓迎されにくいかもしれないけどね。前と違って。
でも、今も昔も、字数とかの制限の中で、
どれだけ言いたい事を言えるかを探る
そういう遊び場だと思ってるから、
嘘で埋め尽くす人に苦しみと
怒りを感じたのかもしれない。

俺たちの海を汚すな、山を汚すな、
みたいな気持ちなのだろう。

以上、Twitterで言う必要のない事を思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?