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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第116回(最終回)

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載116回(最終回)辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

「軍人は傘を差してはならない」

雨傘の本場といえば、雨の多い英国である。英国紳士は十九世紀後半から、ステッキの代わりに傘を携行するようになった。雨傘は英語でアンブレラだが、これはラテン語で影を示すウンブラumbraが語源とか。つまり、元々は雨用の傘ではなく、日傘を基本としていたことがわかる。
実際、古代のペルシャやエジプト、中国などで発祥した傘はおおむね王侯貴族のための日傘であるとともに、権威の象徴だった。日本にも古墳時代に中国から傘が渡来したと言い、室町時代には雨傘として使用する習慣が生まれていた。
欧州人にとって直接の影響はというと、十六~十七世紀に中国や日本で布教したイエズス会士が欧州に持ち帰ったものだという。つまり東洋が起源である。そして、徐々にイタリアやスペインなど日差しの強い地方を中心に、日よけとしての使用が始まった。
フランスでは十七世紀、イタリアのメディチ家からフランス王家に嫁いだ姫君カトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだとされ、驚くなかれ、十八世紀には不潔きわまりないパリの市街で、高層建物の上階から無遠慮に投げ落とされる排泄物を避けるために、貴婦人の必需品とされたという。
雨をしのぐための道具として傘を携帯し使用した最初の英国人として記録されているのが、ジョナス・ハンウェイ(一七一二~八六)である。交通が不便だった十八世紀に、ロシアからペルシャにかけて大旅行をした旅行家であり、マグダレン病院の創立者としても知られるハンウェイは、苦しかった冒険旅行の経験と医学上の観点から、遅くとも一七五〇年代には雨傘の使用を始めたようだ。しかし、当時は周囲から奇異の目で見られた。
だが、この世紀の最後から十九世紀初めには急速に一般に普及し、雨傘はロンドン名物となった。ナポレオン戦争当時、ウェリントン公の英軍では「軍服着用時、雨傘の使用は禁止する」という通達を出している。それだけ雨傘が一般化していたことになる。また、軍服着用時の軍人は原則として傘を差さないという伝統もこのときに始まったことになる。

パラシュートから生まれたナイロン傘

一八六八年にロンドン金融街シティでトーマス・フォックスが創業したフォックス・アンブレラは金属製のフレームをU字加工した現代型の傘を初めて製造した。軽くて細い金属骨の傘は従来の鯨骨のものよりずっと細く巻くことが出来、持ち運びにも便利で、これ以後、英国紳士がステッキ代わりに常に携帯する必需品となった。
同社はまた、第二次大戦中に英国陸軍空挺部隊にパラシュート(落下傘)を納入し、軽くて丈夫なナイロン生地の研究で経験を積んだ。この延長で一九四七年にナイロンの傘を発表し、傘の世界の革新に貢献している。
もう一社、英国の傘ブランドというとスウェイン・アデニー・ブリッグだ。一七五〇年にジョン・ロスがロンドンのピカデリーで鞭製造業者としてスタートさせ、経営を継いだジェームズ・スウェインが事業を拡大、一七八〇年には国王ジョージ三世の指定を受けてロイヤル・ワラント・ブランドとなった。一八四五年にエドワード・スウェインが親戚を経営に加えてスウェイン・アデニーと改名した。ということでこの会社自体は高級皮革製品ブランドとして今日に至っているが、第二次大戦中の一九四三年に傘作りの名門トーマス・ブリッグスと経営統合し、スウェイン・アデニー・ブリッグとして傘のブランドともなった。一八三六年創業のトーマス・ブリッグ・アンド・サンズ社はヴィクトリア女王やエドワード七世の傘を納めていた会社である。
この会社の傘は、一本少なくとも五万円以上で、十万円を超えるものも珍しくないが、確かにそれだけの重量感と高級感に満ちている。清水の舞台を飛び下りた気持ちで買ってみるのも洒落者の心意気だろう――ただし、どこかに置き忘れでもしたら、泣くに泣けないことになるけれど。
そんな高級傘の対局にあるのがビニール傘。一九五八年に日本のホワイトローズ社が開発した。元々、布製の傘のビニールカバーを製作していたものの、フォックスのナイロン傘が流行して仕事が激減、そこでビニールで作ってしまえ、ということだった。最初は見向きもされなかったものが、七〇年代ごろから大人気を得て今日に至り、海外にも広まった。元々は「透けて見えるおしゃれな傘」として人気が出たものだった。
だが、近年では皇族や政治家も顔がよく見えるビニール傘を使用する例が増え、非常に高価なモデルも登場しており、ビニール傘=使い捨て、とは一概にいえなくなっているようである。
                        (改訂版 完)

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