月は飛翔する

表現家。 持論 疑問 論文 小説 その時の思い付きを つらつらと

月は飛翔する

表現家。 持論 疑問 論文 小説 その時の思い付きを つらつらと

最近の記事

しろ

静寂のなか、 白い水面に白い水音、 心地の良い律動、 白い裸足、 つーと伝うは、 黒い血液、 ぽた、ぽた、と、 白に黒が混じってく、 広大な白に、 混じる黒は、 直ぐかき消される、 瞳の奥から、 流れ出る黒い血液は、 止まない、 裸足の上は、 脆く朽ちて、 ぽろ、ぽろ、と、 白に落ちていく、 白はすべてを、 呑み込んでゆく、 ゆっくりと、 ただ、ゆっくりと、 裸足の下まで、 沈んでいった、 やがて、律動は、 静止した、 水面の柔らかさは、 大理石のように、 固くなった、 今

    • 【情が移った時点で、肉ではなくなる。】

      以前から気になって いたことなのですが、 教育と言って学生たちが 愛情かけて育ててきた 豚や鶏を屠殺するのは、 ちょっと違うかなと 私は思う。疑問に思う。 その豚や鶏は、 いつも食べている豚や鶏とは 違うということだ。 それは、 愛情をかけてきた犬や猫を 殺して食べるのとあまり 変わらない。 「食べる」という行為は、 対象に情が移ると、 とてもし難い行為へと変わる。 逆に情が移っても「食べる」という 行為ができる人は野生的であると 言ってもいい。 畜産業の人たちは、 ペ

      • 「輪廻転生、しないとしたら?」

        人は、死後の世界に救いを求める。 生まれ変わったら、次はこうなりたい。 そう希望を抱いて今ある人生を 蔑ろにしてしまいがちだ。なぜ、死後に転生すると確信できる? 輪廻しているのならば、 転生する前の記憶や癖が思い出せる 人がもっと沢山存在しても おかしくないのではないか。 筆者が考える「輪廻転生」とは、 自然界の循環に類似していること。 然し、再利用であるだけで、 全く同じ存在は循環することは無い。 恐らく自然の摂理とは、 人間が想像している程、 慈悲深くはない。 生き

        • 肉と商品と愛玩動物

          肉は、主に、鶏、豚、牛、猪、鴨、魚。 あとは、スッポン、馬、蛙、兎など。 商品とは、此処では動物の部位を使った物 のことを指す。肉はこの文章では商品には 含ませない。リアルファー、馬油、象牙、 ペットのおやつ、乳製品、ゼラチンなど。 愛玩動物は、人間が好んで世話をする 生き物である。犬、猫、ハムスター、 兎、モルモット、小鳥、フェレットなど。 これら3種は、残念ながら等しい性質を 持っている。 「いのちの食べ方」という書籍や、 動物愛護など、犬猫の殺処分、 家畜、競走

          価値あるもの

          物の価値とは不思議なもので 時と場合に応じて変動するものだ 解りやすい例として、 使い捨てマスクの価値が 跳ね上がっている現状。 使い捨てマスクの場合は元々それなりの価値 があったけれど、今は使い捨てマスクを買う のに抽選までしないと買えない状況になって いる。 お金の価値が無くなるとか、 金塊の価値が無くなるとか、 つまり、こういう事だ、 有名な値段の付かない程の絵画も 需要がなければ只の塵と化し、 有名な歌手のチケットも 需要がなければ只の紙切れで、 希少な珍味

          価値あるもの

          優 し い 子

          優しい子が産まれたよ まるでほんとうに天使かと思うくらい 引っ込み思案で 真面目でおとなしい わるく云われるなら強いて 他の子に比べて学習力が遅めなことか 笑顔も愛らしい優しい子が あなたは優しいからって いつでも云われたかな その優しいって言葉は 呪文 優しい子は優しい子じゃなかったの まわりの人たちが優しい子に 染め上げた 優しい子になろうと頑張った 優しい子への期待があったから ある時優しい子は疑問に思う 優しいって何だと いつでも微

          使い捨てマスクより手作りマスクを購入する方が効率がいい。

          テレビで観た。 善意でマスク配布をした人に怒鳴る男性。怒鳴るって行為がどれだけ恥ずかしい事なのか その男性は知るよしもないだろう。 アベノマスクと揶揄されたあのマスク二枚も、 使い捨てのマスク二枚よりは随分使えるんじゃないかと私は思う。首相を褒めているのではなく、単純に考えてそう思う。 使い捨てマスクはゴミも増える。 物を大事にする気持ちも薄れる。 裁縫が得意な人はマスクを手作りする。 裁縫が苦手な人は裁縫が得意な人が作ったマスクを買えばいい。一箱3000円にまで跳ね上

          使い捨てマスクより手作りマスクを購入する方が効率がいい。

          死への現実論

          輪廻というサイクルが無かったら 単に物質としてのサイクルだったら 意味を追求してしまう人間には きっと酷な事だろう 燃え尽きてしまえば 腐って溶けて無くなってしまえば ただの塵と化すのだろうか この思考回路も 一時的に構築されたもので この時間が終われば 全部崩れ落ちて塵になる 塵になったら その塵が再構築されて 別の物質をつくって 別の誰かをつくって 別の誰かの思考回路の 材料になる 自分という自我は 産まれる前の記憶の無い頃に 巻き戻されて空気になる 死後はただの物質に戻

          死への現実論