少子化を無自覚に推し進める、我々という集合体について

少し前Twitterにて、出生数が大きく減少しているというニュースが話題になっていた。

去年の出生数が初の80万人割れで過去最少 磯崎副長官「危機的な状況であると認識」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

個人的には人類が子どもを作ることを肯定的に受け止め切れていないのでいいのだが、こうなっている原因については多くの人が無自覚なのではないだろうか。
もちろん政策的に問題がある点は沢山あるだろうが、大きな側面として我々の心の中にある「子どもを産んでいい人」についての意識の問題があるように思う。

昨年末このようなニュースが話題になった
グループホームが障害者の結婚に不妊処置を提案 北海道 江差町 | NHK | 北海道
とてもありえないことだと思うのだが、Twitter上では一部
「でも当事者が育てられないと思ったのなら仕方ない」
というような反応が見られた。

このような考え方がそのまま現代の少子化を招いているのではないだろうか?

このニュースについてある程度肯定的な意見を持っている人間というのはつまり、ある資格を持った人間しか子どもを産んではいけない、という意見を持っていることであり、それは自分自身を、日本を殺しかねない思想だ。

例えば障碍を持っている人が子どもを産んではいけないのだとしたら、どのような人間であれば子どもを産んでいいのだろうか?
年収が〇〇万ほどあれば?大学を出ていれば?有名企業に勤めていれば?
このことについて考え始めた時、人間は正気ではいられないのではないだろうか。
近年では「毒親」や「親ガシャ」というワードも流行しているように、よくない親についての解像度が上がってしまった。
人間というのはそもそもよくない生き物なので、人間のダメな部分について考え始めたらキリがない。
なのに自分に子どもを産む資格があるかについて考えてしまえばそこに答えはない。

人口回復を目指すのであれば我々が進むべき未来は「どのような人であっても子どもを作ることが肯定される」未来だと思う。
社会の制度が変わらなくてはいけないのと同時に、何より我々が変わらなくてはいけないのではないだろうか。

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