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会社を休んだ日に

今朝どうしても体がだるくて、嫌で悲しくてどうしようもなかったので、会社を休みました。3連休のあとたった3日出勤すればまた3連休だというのに、その1日目が耐えられなかったんです。
先日検査した結果を聞きに病院には行かなければならなかったので、半休か時間休を取らせてもらおうとは思っていました。でもまさか1日休むことになるとは思っていなかった。情けないし、惨めな気持ちだし、悔しいです。
罪悪感でいっぱいになります。


でも友達が、休めて偉いと言ってくれる。


無理だと感じた自分の状態をきちんと受け止めて、大事にして、偉いと言ってくれるんです。みんな優しすぎて神様かと思った。

確かにわたしも、友達が会社に行きたくなくて苦しんでいたら「よし、休もう!」と言うでしょう。しかし自分には適用されない言葉でした。
ずっと昔、子供のころに、学校に行きたくないという気持ちを大人に受け入れてもらえなかったわたしは、休むことを「悪」だと感じてしまうのです。他人が休むのは何も気にならないのに、自分が休むのは悪いことなんです。
それも、精神的な不調ならなおさらです。

わたしが子供のころ、「子供のメンタルケア」なんてものはありませんでした。大人から見て、客観的に「体調が悪い」と判断されない限り、休むことはおろか保健室に逃げることも許されませんでした。熱がないなら教室に戻りなさい、と追い返されたことを今でも覚えています。
どうにか親に訴えて休ませてもらっても、家の中は冷めた空気でいたたまれなかった。自室で息を潜めて過ごしました。親兄弟の一挙一動に怯えていました。白けた空気の中で食べる食事の味のなさといったらありません。
最終的に登校拒否になったわたしは、家族の中で持て余されていました。

だからずっと、休むことは悪いことだった。


でもどうやら、自分の心が辛いときに休むのは偉いことらしい。


わたしは今、会社を休んでもいいらしい。


実際のところ罪悪感は消えていないし、何をしていても会社に行かなかったことが気になって心は休まらないし、食欲もなくすほど精神は不安定です。
それでも、わたしが今日無理をしなかったことは褒められていいらしい。
友達に「よし、休もう!」と言うように、自分にも声をかけていいんだと。
何度も、教えてくれます。


子供の頃の怯えを未だ引きずっている自分を、もう許していい。
もう解放されていい。
「仕事も会社も上司も、あなたの人生に責任は取ってくれない」
だから無理はしなくていい、と言ってくれた人もいました。
親だってわたしの人生に責任は取ってくれない。
だからもう心に刺さった記憶に怯えなくてもいい。

今すぐには到底無理ですが、ゆっくりとそれを分かっていきたい。



今日のわたしはベッドでしばらく休んでから病院へ行き、気を紛れさせたくて絵を描き、それもできなくなってこの記事を書いています。
「有給取って友達とゲームしてました」って言ってた同僚みたいになるのが目標です。……ずいぶん先は長そうですが。

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