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【つながる旅行記#147】江戸東京たてもの園巡り~茶室・別邸・交番・化粧品~

前回は「江戸東京たてもの園」の高橋是清邸にお邪魔してしんみりした。

では、引き続き園内の他の建物も巡っていくとしよう。


ここは会水庵という茶室だ。

にじり口

めっちゃ小さい引き戸を発見。

たしかこの小さい場所から出入りをするというのが大事だった気がする。

天下人であろうと頭を下げないと入れないのがうんたらかんたらとかで。

にじり口から中を覗く

国際交流でわりと使えそうな文化だと噂の茶道

もしかしたら自分も将来ハマったりするのだろうか……?


続いて、こちらは西川家別邸

製糸業で財を成した西川伊左衛門が、接客用&隠居所として作った建物らしい。

(家って目的別にいくつも建てるんだな……)

これも由来があるのだろうか?

そしてこの廊下の長さよ。


いやはや、これはまさにお金持ちの家って感じだ。

……あ、そうだ。
風呂とトイレもチェックしないと。

昔の設備ってどんな感じだったんだろう……?(ここは1922年建築)

おお!!なんだか変な見た目の小便器!!


これが1922年当時のままなのか、住んでるうちに新調したのかは不明だが、自分の知っているものとは確実に違ってテンションが上がる。

さて、風呂はどうだ……?

おお!!これまた時代を感じる風呂!!

そしてまさかの円形

いやしかし考えてみれば、風呂の形といえば昔は五右衛門風呂のように丸かったのが普通だったのではないだろうか。

一体いつから今のような長方形風呂になったのか。

これも歴史を深掘りしたら面白い案件かもしれない。


いつかやろう…!
 (←やらないパターン)



こちらは万世橋交番
まさかこんなものまで移築されているとは。

建築年は震災後の再建など色々あって不明なようだが、明治末期くらいとのこと。

当時の交番の中はどんな感じなんだろう……?

申し訳程度の机と椅子を発見。作業効率は相当悪そうである。

(というかめっちゃドアに圧迫される設計だな…)

そしてなんと寝る場所があった。

えっ、交番って住む場所だったの……?


人類の叡智が集うヤフー知恵袋によると、今の警察もそんな感じらしい。

全然知らなかったな……。

流しとコンロ?

当時はこの交番に常駐して地域の治安を守っていたのだ。

勉強になるなあ。


望楼(火の見櫓)の頂上部分

さて、こちらは村上精華堂

化粧品を扱っているお店らしい。(建築は1928年)

江戸時代以降、都市の住民の間では口紅や白粉などの化粧文化が広まっていき、結婚すると歯を黒く染めるお歯黒なんかも始まった。

アイヌ文化にある「結婚したら口の周りにヒゲのような入れ墨を入れる」というのもなかなか衝撃だったが、お歯黒も相当奇妙な文化だなと思ってしまう自分がいる。

アイヌの入れ墨

wikipediaによると、お歯黒には口臭・虫歯予防などのメリットもあるらしく、相当古くから皇族や貴族に関しては性別に関わらず行っていたらしい。


江戸時代に庶民がやっていた手順としては、まずは鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした溶液を楊枝で歯につけ、そこに五倍子粉(ふしこ)と呼ばれるタンニンを多く含む粉を上塗りすることを交互に繰り返す。

これによって酢酸第一鉄がタンニン酸とやらと結合して黒変するらしいのだが、これを毎日から数日に一度行って、染め直さなければならなかった

めんどくさすぎる……!!


ちなみにお歯黒文化は日本だけではなく、中国・ベトナム・ラオスなどにもあるとのこと。

他の国でもこんなことをしていたとは……。


だが明治時代になると、お歯黒や眉剃りは政府によって廃止される方向に動いていく。

欧米人から見るとそれらの習慣は野蛮に見えたようで、欧化政策を必死に進める明治政府としては、これらの化粧文化をどうにかしたかったようだ。


ちなみに村上精華堂では、自分たちで化粧品を製造して売ってもいた。
当時は化粧品の種類も少なく、工程も簡単だったのでわりと作れたらしい。

西洋風でオシャレに仕上げた(イオニア式ファサード)

いや~……楽しい。


こういう昔の建物いっぱいある系の場所、やっぱり好きだな。


さて、次は一体どんな建物が……?


次回へ続く…!


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