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【つながる旅行記#57】鉱山探索と徒歩で山を下る記録

前回のあらすじ:
別子銅山の東平ゾーンへ向かったのはいいが、バスで昔のトラウマが蘇る。
でもたどり着いた先の景色はマチュピチュであった。
まだまだマイントピア別子の見どころはある。次は観光坑道だ。

さあ、観光坑道に入っていこう。

鉱山の中は思った以上に整備されていた。
足元見えなくて転ぶとかはなさそうだ。

さっむ
別子銅山発見者の像

この観光坑道、文字だけでなく人形で説明してくれるのでめちゃくちゃわかりやすい。かなりお金もかかっていることだろう。

上の画像は、かごを背負っているのが運搬係の負夫(おいふ)。
採掘夫である堀子(ほりこ)とともに坑内へ向かう。
サザエの貝殻で作った灯りを手に持って。

……いや恐怖でしかないわ。

もちろん手作業で掘る
水を坑外へ汲み出す

鉱石を掘っていていると水が溜まって採掘が難しくなるらしい。
なので、こんな感じで坑外へと水を汲み出す作業を昼も夜も行っていたようだ。

過酷!!

どんだけ人員が居るのか…

鉱山を出ると、すぐそこに共同浴場があったらしい。
みんなそこで一日の疲れを癒やしたという。
(この再現を見るに混浴……?)

砕女小屋(かなめごや)の風景

運び出された鉱石は砕女(かなめ)と呼ばれる女性たちによって3cm角の大きさに砕かれて、色の濃淡で選別された。
女性もしっかり肉体労働である。

銅の製錬
ジャパン・カッパー
幕府に税金として13%の銅を納めなければならない

やっぱ江戸時代ってヤバいわ……(労働環境的な意味で)という感想を抱きつつ進んでいく。
すると展示は近代へと移り変わった。

このジオラマは可動式だ

さすがに近代ともなると爆薬を使っていたらしい。

ん……? 旭化成……?

爆薬を作っていたのか……!?

社史を見ると、いくつもの会社が合併して旭化成になったようだが、
その中にダイナマイトを作っていた日本窒素火薬株式会社も含まれていた。

旭化成の今のイメージからは爆薬は遠いように感じるが、
会社にも色々な歴史があるのだ。

遊び場

観光坑道、良い展示だった。
自分はジオラマや人形に惹かれるのかもしれない。

でも鉱夫は自分には無理だなと思った。
江戸時代の人、すごいな。
正直、近代ですら相当だけど……。

水路だったのか
いよかんソフト(食べかけ)
これも割引するだと…?

さて、トロッコに乗って帰ろう。
これで本当に終了である。

別子銅山、しっかり一日楽しめたな。

何度読んでも”とうなる”が頭に定着しないのはナイショだ

マイントピア別子、良い観光地だった。

……そして今何をしてるのかというと、歩いている

バスで下りるのもなんだかあれなので、もう下まで歩いて帰ろうというわけだ。(完全に石鎚山さんぽの影響が出ている)

とはいえ言うほど距離があるわけではない。
3kmほどだし、下りなので全然歩ける。
行きはともかく、帰りならアリだ。

そしてなにやら歩いた先に記念館もあるようなのだ。
せっかくだし、さらに別子銅山の知識を仕入れよう。

あぶい!!

歩いていると「危い!!」に出くわした。

本当にこの表記を見ると送り仮名をしっかりしてくれよと思う。
本来なら「危ない」と表記するべきなのだ。まったく……。

QuizKnock「”あぶない”?それ完全に間違ってますよ?」



えっ……!?


まさかのあの高学歴クイズ集団が「危い」に関する問題を出していた。

そんな馬鹿な……!!

危い」は、ただの送り仮名の間違い(あるいはペンキの節約)というわけではないのか……!?

こわい!!

間違えた。


どうやら「たかい」と読むらしい。

たかい!!

まあこれが「たかい」だとすると意味がわからん感じになるので、
普通に「あぶない」という意味で使ってるんだろうけども。

また新たな知識を得てしまったようだ。(使う機会はあるのか)

アオサギ
杖無料レンタルだと…!?
生子橋
製錬夫

そして無事に別子銅山記念館にたどり着いた。

問題なのは、閉館が午後4時であり、今の時刻は午後3時25分ということだ。

音速で見て回ることにする。



音速で見てきた。

音速なので写真はない。

内容は、キミの目で確かみてみろ!

(坑道がアリの巣みたいになってるのがわかる展示がおもしろかったです)

まあ今日はマイントピア別子だけ見れればいいと思っていたのでこういうこともある。

ぶっちゃけギリギリで博物館系に入るの何度目だよという話だけど。

これからは開館している時間をしっかり把握してしていけたら良いなと思う。思ってるだけで、実行に移せるかは別として。

別子1号機関車
坊っちゃん列車の盟友

しかし今日1日で別子銅山についてしっかり満喫できた自負がある。
この新居浜という場所も思い出深いものになった。

さあ帰ろう。


そして、次はどこへ行こうか。


(別子銅山が住友にとって非常に重要な場所であり、住友が紋別(#6)での鉱山事業にも関わっていたことに自分が気づくのは、遥か未来の話……)


次回↓


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