見出し画像

人生という画用紙に描き続ける仕事がいまだに終わらない

秋日和の一日、

とある田舎の宝さがし(町起こし)に集まった面々

画像1

映像カメラマン ライター プロデューサー 建築家

農家の主 農園経営者 ピザ窯オーナー 等など

画像2

その町は東京から1時間ほどの距離にある。

お宝さがしは今回で二度目の集合

画像3

果たして、お宝となるのだろうか・・・

画像4

画像5

里の秋は何とも言えない風情がある

人がいなくなっても

暮らしていていた様子は手に取るようにわかるものだ

やぶの中からひょいと誰かが出てきそうな気もする

画像6

誰もいなくなってしまった農家や

廃校になった分校もある

画像7

子供たちの声が聞こえてきそう

農家の納屋では、

近所の人達が集まって

採れたて野菜の袋詰めをしている

画像8

それは日常の当たり前の風景

そこには大きな笑い声がある

お昼は大きなピザ窯で

ピザを焼いて食べるロケハンチーム

画像9

もちろん粉からこねての手作り

あ、このピザは地元の方に焼いていただいたもの

時間や労力をたくさん使っても

カタチにならない仕事というのがたくさんある。

いや、むしろそういうものの方が多いのかもしれない。

最近、

仕事とは何だろう・・・と考える。

色々な場面で仕事をしてきているけど、

私にとっては

その場その場がドラマチックな場面であり

自分が描く世界のひとつのシーンなんだと思うようになってきた。

何かを伝えたい!

ある場面に行けば、それは小さな感動でもなんでも

自分の目を通して伝えたい!

自分の感性を通して伝えたい

たとえそれが私の拙い言葉のチョイスであってもね

ジレンマはあるけれど。

私が時間を忘れるほど心地よい時間というのは

自分の世界を作っている時なのだと

最近思うことが多くなった

私は大きな大きな

いつの間にか時間とともに巨大化した画用紙の中で

自分の世界を描き続けているのかもしれない

仕事というクレヨンでね

そう思うと、まだまだ終わらない気がする

どうしようかしら・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?