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表裏の縁Ⅲ:参

 久々に家に帰れるな、と思ったが一度、グリダニアの宿である止まり木に寄って身なりを刹に戻しておいた。普段よりも長く白髪でいたから黒髪が久々だ。ずっと《静観していた内側の絶影》もようやっと一息つけそうかとため息をついている。今回は俺自身が《絶影の演技》をする形での仕事中に起きた事件だったから片が付くまで俺が表にいたわけではある。が、《彼の方》も緊張と警戒をしながら過ごしていたから疲れたらしい。悪い事をした。装備の類も一通り着替えて背負い袋に放り込む。それから忘れ物や落し物がない事を確かめて、一度借りた部屋のドアを開けて札を下げておく。冒険者連中がよくやるが宿の部屋からでもテレポは発動できるので、部屋に入ったまま出ずにテレポで立ち去るためだ。この札を下げとけば、テレポで去ったから掃除に入って次の客に回して大丈夫であるという合図になる。たまに札を掛け忘れて出ていくあわてんぼうもいるようだが。札をきちんと下げたことも確かめるとドアを閉めて、自宅の簡易エーテライトにテレポをする。既に真夜中だから雷刃たちにも連絡はしていない。入れたら起こしちまうからな。俺の自宅なんだから家の鍵は当然持っているし彼らが起きて居なくても困るわけでも無い。見慣れたシロガネの家の前に飛んできて、自然とため息が出る。野宿は好きだが、負傷した状態で凌ぐのはそこそこに疲れたな。ようやっと自室のベッドで寝れそうだ。鍵を開けて静かに中に入る。外から見えていて分かっていた事だが室内は暗い。ぼんやりとした卓上の灯りが申し訳程度についているだけだ。無意識に探った気配からして、どうやら俺以外在宅で皆寝ているようだ。栗丸は多分、ロットゲイムかレンの部屋で寝てるだろう。階段を静かに降りてから、荷物をざっくり整理して風呂場に向かう。篭の中に洗濯ものを放り込んでおいて体をシャワーで洗ってから湯船に入る。腹の傷はきちんと手当されたから跡は残らなかったようだ。それ以外に昔負った傷の跡がそこら中にあるからあったとしても分かりづらそうか。今更一つ二つ傷痕が増えてもな、という感じでもある。というか既に腹に傷痕はあるんだよな。いつの負傷かはもう覚えてない。身体のあちこちにある傷痕が、いつ出来上がったモノなのかいちいち覚えて居られない。記憶として印象深い負傷だったのは流石に覚えているがそれも1~2か所か。印象深い負傷ってのも変な表現だが……。身体の正面に斜めに大きく入った傷痕だけは忘れようがなくコイツはゼノスにラールガーズリーチでバッサリ斬られたときの奴だ。何に驚いたかと言えばあまりに綺麗に斬れていた事だ。ブレもなく肉体の凸凹に引っかかることもせず、サラリと撫でたのかと言うような切れ方。もちろん負傷に違い無いから体には負担だったが俺は怪我の治りだけは早いからすぐにふさがった。のだが、傷痕は残ってしまったわけだ。由来が由来なだけにこの傷だけは若干気持ち悪いと思う。まあ消しようがないから仕方ないんだが。全身の汗やら埃やらはざっくりシャワーで落としてあったがゆっくり湯船につかって置きたくて考える。俺でこれほど傷が残るのなら、タンク役やってる連中はどうなってんだろうな……?ある程度温まってから、湯船から出て手早く着替えを済ませる。どうせ直ぐには寝付けないが、ベッドに横になって休めるのはやっぱりいい物だ。部屋に戻る前に台所で水を飲んで、部屋に戻るとつい癖で栗丸のベッドを覗いてしまったが……今日は居ないんだったな、と苦笑する。先に休むと《引っ込んでいった絶影》に挨拶を返して灯りを極小さくする。ベッドにもぐりこんだ途端にため息がまた出た。警戒をしなくていい場所で、ちゃんとした寝具で横たわれるというのは良い物だ。寝付くのがどれくらい後か分からないが、とりあえず休むとしよう。

 さすがに疲れが溜まっていたのか、俺にしては珍しく早めに寝付いたらしい。目が覚めたのが午前10時前で驚いた。普段なら11時くらいまで平気で起きないからな。早く起きたのを知ってか知らずか、俺が帰ってきているとどこで判断したのか分からないが目を覚まして程なく栗丸がすっ飛んできたのも分る。小さな専用のドアから入って来て旦那旦那と元気よくベッドに飛び乗ってくる。起きたばかりで目を開けていない俺を確かめながら、おかえりなさいとぽんぽん跳ねているのが分かる。ただいまな、と声を掛けて頭を撫でてやると機嫌良さそうな気配になるのも分った。暫く家に居なかったから、栗丸と顔を合わせるのも久々だな。

「良い子にしてたか?」
「!」

栗丸はいつだって良い子だぞ!と栗丸がふんぞり返る。見えて居なくても分るほどにはこの子と過ごしたんだなとふと思う。栗丸のほうも俺の目が悪いのをきちんと理解していて、こうして目を閉じている時なんかは手が触れる位置やら脚の上やらに乗っかって来てくれる。そうすると接触した部分で栗丸の動きがより理解しやすくなる。跳ねているのか、ふんぞり返ってるのか体が触れていると分かる事が増える。色々教えたわけでもないのにそうして行動するようになったのだからこの子は賢い子だろう。良い子にしていて偉かったなと撫でまわしてやると嬉しそうにぴとっと俺の腹にくっついたのも分った。相変わらず温かい。風呂へ行って着替えてくるから、上で待っててくれと言うと元気よく分かったぞ!と返事をしてぽてぽてと音をたてながら部屋から出て行った。そのまま景気よくポンポンと階段を上っていく音も聞こえてくる。ともかく着替えようと目を閉じたままアレコレと済ませる。絶影はどうやらまだ休んでいるようだ。まあゆっくり休んでもらっていい。暫く強引な野宿をしてて彼も警戒し続けてくれていたから。

 風呂と着替えを済ませて居間へ行くと、同居人も家族たちもみんな揃っていた。おはようと挨拶をするとみんなで挨拶を返してくれる。それから雷刃がすぐに朝食を持ってまいりますねとお辞儀をしながら台所へ降りて行った。暫く戻らなかったけど大丈夫だったか?と兄貴に問われて苦笑する。ちょっと厄介はあったとだけ答える。案の定、皆に心配そうな顔をされたが仕事の内容に触れてしまうから詳しくは話せないと説明すると納得はしてくれたようだ。どうせアンタの事だから怪我もしたんでしょうし無理せず家でゆっくりしてればいいわよとレンに言われて、そうするつもりだと答えた。暫く、野宿はしなくていい。ベッドでゴロゴロする日が数日欲しい所だ。休んだら……出来たらジゼルとレディに改めて礼をしに行きたいところだな。それこそジゼルには無事だと一報入れたほうがいいかもしれない。変に畏まるとジゼルは委縮させてしまうしレディは水臭いと笑うだけで済ませられてしまうからまあほどほどの感じで。何か考えておこう。

 数日、家で過ごしている間にジゼルには雷刃経由で手紙を出してもらった。俺名義でもよかったが念の為と言う奴だ。厄介な目にあったところを助けられたのは俺では無くて《絶影の姿の俺》だったわけだから、俺からの手紙で無事を知らせるのは多少ながら危険ではあると判断してだ。《別に俺は大怪我はしてない》わけだからな。雷刃の名義を借りながら、手紙そのものも雷刃に書いてもらってある。彼の方が文字を書くのは早いし、やや客観的な文章となるので他人事な感じも少し出る。内容に関しては俺にも確認を取りつつ書いてくれたので伝えたいことはきちんと認めてある。無事であることも、そのうちに礼をしたいことも。もしこの手紙に返事をと思ったのなら名義通りの雷刃宛ての体で返事をくれ、とも。例によってモーグリがポストから回収してくれてそこから配達となるから、1~2日後に届くだろう。

 後日、ジゼルと数回の手紙のやり取りをして会う日にちを決めた。彼女の方の予定やらと合わせてまだ数日猶予があるとなったので先にレディに礼をしてしまう事にした。俺からジゼル経由で救助に来てもらったというのは依頼と見なしてお代を払う予定でいる。本来なら物品も何か手渡したいところだが同僚同士で贈り物やらのやり取りをするのは有らぬ噂を呼ぶのであまりしない方がいい。レディのほうも嫌がるだろう。物自体は喜んでくれそうではあるが。ともあれ、雷刃に支度を手伝ってもらって栗丸を預けてから店に顔を出しに行く。丁度負傷明け扱いしてもいい頃合いだし、その報告も兼ねよう。

 店に入ると店員の出入りを管理している門番係に久しぶりだ、と歓迎される。ヒョロリとした背の高いエレゼンの彼もこの店の古株だ。緑を帯びた灰色の肌はシェーダー族らしい肌色だろう。フォレスター族はあまりこういう色の肌の奴がいない。

「あ~絶影、元気になった?ちょっと待ってボス呼んでくるからさ。」
「シバ、自分で行くぞ。」
「いいじゃん、俺がいない隙だけ此処いてよ。」

絶影戻って来て嬉しいからさ、報告させてよーとシバがニヘっと笑って見せてから去っていく。結構なオッサンになっているはずだが相変わらず口調が軽いし、そこそこに強引だ。レディに言わせると《チャラい》そうだが仕事の腕前は確かで、不真面目と言うわけでもない。普段はああいう軽い口調と挙動が多いというだけだ。なにより長い事ここに勤め続けているという事は元締めからの信頼もあるし、失敗も少なく、裏切りもしてないという事だ。年齢が上がってきているからこそ難度の高い依頼は受け無くなってきたが今でも情報収集能力も高いし、裏口から出入りすることになる店員達を出迎える門番もこなしている。うかつに《余所者》が入らないようにと見張る役は、結構大事な役目ではあるので古株の彼が立ってるのは元締めにも安心なんだろう。たまにだが俺もここに立ってることはある。

「おまたせー。」
「よう、顔色良くなったな。復帰扱いして良さそうか。」
「ああ。店に詰めてない時間は例によってあるが連絡くれれば顔出せる状態になった。」
「OK。じゃあ復帰としよう。今は振れる仕事もねえな。」
「昨日のうちにスカーが請け負ったしねー。別件もあったけど別の子たちが受けたし。」

どうやら俺がいない隙に、何件か仕事の分配はあったようだ。例によってしょっちゅう店に詰めているスカーが一つ請け負い、他の依頼も《同僚》たちに割り振られ済みのようだ。レディは居るだろうか。

「あー、顔見て安心した。今回は災難だったとはいえ気をつけなよ?絶影。」
「そんなに俺に会いたかったのかシバ。気を付けるよ。」
「んー、付き合い長い子が怪我で離脱するとやっぱ心配で?スカー達も心配してたしねー。」
「そいつは悪かった。心配には感謝するよ。」

なんか分かんないけど絶影は居たほうが安心すんだよねえとシバがまたヘラっと笑うのが分かる。なんだかよく分からないが昔から気に入られている。彼に限らないがスカーやレディも俺をいい意味で構いたがるんだが、なんなんだろうな?突っかかられるより良いからそんなに気にもしないが。それこそブレイズみたいにいちいち喧嘩腰みたいに絡まれるのよりずっと良い。俺とシバのやり取りを聞いていた元締めが苦笑いを浮かべつつも、シバのほうに同意している。

「《救助依頼の対価》を払いたくてレディ探しに来たんだが、居るか?」
「ラッキーだねえ、昨日一仕事終わって戻ってきたトコだよ。」
「ああそうかお前は対価を払う事に拘るもんな。俺が声かけとくから先に部屋に行っとけ。」

どうやらレディは仕事から戻ってきたばかりのようだ、タイミングが良くてなによりだな。元締めが手渡してくれた鍵は猫目石の部屋の奴だったので、シバに挨拶してその部屋に向かう。ボスはと言えば控室へ向かってレディを呼んでくれるようだ。シバが時間ある時にゆっくり話そうよーと言いつつ見送ってくれる。分かったよと言う意味を込めて片手をあげて応えておく。暇な時間に《同僚》達で雑談すること自体は元締めも禁止しちゃいないので仕事がない時は控室であれこれと雑談することも多い。その場に一緒にいれど得物のメンテナンスをしていて無言の奴や、筋トレしてるだけの奴、お喋りする奴、本を読んでるやつと好き勝手にしているがシバはお喋りが好きだから誰かしらと話してる印象だな。俺ともまた話したいらしい。そのうちゆっくり店に詰めとくとしよう。猫目石の部屋について中に入ると、奥のソファに座り込む。少し待っていると元締めがレディを伴ってやってきた。お茶も淹れてくれたらしい。俺にはコーヒーで、レディには紅茶を。じゃあ後はお前達で良いようにやっとけ、とお茶だけレディに渡して元締めは店の方に戻っていく。どうやら今日は今のところ普通の客しかいないのか元締めの《仕事》は少ない様だ。まあ俺達は暇な方が良いのは間違いない。レディがテーブルにお互いのためのお茶を置いてから向かい合う位置のソファに座り込んだ。

「顔色、良くなったわね。もう大丈夫かしら。」
「ああ。手間と心配をかけたな。それで、ジゼル経由で頼んだ救助依頼の対価を払いたくてな。」
「?ああ、仕事と認識してなかったから何の話か一瞬分からなかったわ。律儀ね。まあくれるならもちろん喜んでもらうわよ。」

どうやらレディのほうに仕事として受けた感覚が無かったようだ。まあ状況が特殊だったし、要人やら誘拐された被害者の救助こそ依頼を受けることがあれど同僚同士での救助依頼というのは無いと言っていい。人手が足りそうにないから、という救援要請はたまにあるが。俺は今回の事でジゼルからレディへのリレーで命拾いしたわけだから、二人ともにきちんと礼を払っておきたい。そうでないと筋が通らないからな。

「救援時の額と同じで良いか?」
「結構に太っ腹な金額だしてくれるのね。私は貰えるならいくらだろうと嬉しいし、アンタの判断に任せるわよ。」
「ならそれで。」

事前に用意しておいた金を入れた封筒をテーブルにおいてレディのほうへと少し移動させる。彼女が手に取って中身をきちんと確認する。俺が提示した通りの額が入っているのをしっかりと確かめてから確かに受け取ったわね、と彼女のカバンにしまい込んだ。これで一つ、気にしていたことを消化出来た。気がかりがあるのは気持ちよくないから一つでも減らせたのは何よりだ。

「いつも思うけど本当にアンタは律儀ね。」
「相応の働きには相応の対価を払うモノだ。今回の問題は《店》にも影響が出そうだったしな。」
「まあそうね。放っておいていい問題じゃなかったのは確かだわ。それも《片した》から憂いも無いわね。」
「全く面倒な目にあったな。レディにも迷惑かけて悪かった。」
「迷惑だったのはブレイズだからアンタが気にすることないわよ。」

ブレイズが妙なことをしなければアンタは怪我もしてないし店の皆で始末するだなんだなんて事にはならなかったんだから、とレディが苦笑する。解決したとはいえ、店員達にもいくらか影響が出てしまうだろう。裏切り行為が行われるというのはどうしても相手を疑うきっかけになる。波風を絶たせぬように余計な不和が起こらぬように皆、気を付けているのにそれをブレイズは台無しにしたわけだから。最もアイツがやらかした事件が初めての事案というわけではない。今までもたまに、小さな裏切りや波風が立つような出来事はあった。レディも被害者として当事者になったことがある。彼女の場合も嫉妬で遠回しに排除しようとしてきた奴がいて、最終的には今回の俺のように首謀者を《片して》終わった。元締めがその当たりきちんと記録を取っているから、今回の事件もしっかりと記録して再発防止の教訓にはするだろう。最も、元締めがどんなに気を付けてくれても店員達は自分達の意思で動いているわけだからやらかす奴はどうあってもやらかすんだが。裏切りの末に待つのが死であっても、自分の欲望だとか渇望に勝てない人間というのは結構にいるものだ。俺は嫉妬心というのが良く分からない質だから嫉妬故に相手に害を為すという感覚も理解できないが。羨ましいは分るんだけどな。

「アンタどうせジゼルちゃんにも何かしらお礼するんでしょ?おかげで店の厄介が片付いたって伝えておいて。」
「ああ……分かった、伝えておく。」
「この仕事じゃなきゃ仲良くしたかったわね。縁があれば表向きでも会えるかしら。」
「縁ってのはそういうもんだからな。」

裏の方で縁があるより、表向きの顔で縁があるほうがずっといい。俺はジゼルと裏でも縁があるのにやや頭を悩ませているが今回はそのおかげで命拾いしたのも事実だな。ちなみにだがレディの表の顔は俺も知らない。彼女の方も俺の表の顔を知らないだろう。店の店員たちはお互いの素性を探らない事がルールの一つにあるから調べる技量を持っていたとしても、誰も調べないはずだ。こっそり調べて居たりしたのがバレればそれこそまた《お片付け》の対象になるだけだ。最もこっそり調べて知った内容を誰にも漏らさなければそんなことにもならないが。だからもしかしたら、レディは俺の表向きの姿を知っているかもしれない。確かめようとも思わないし、知られていても触れてこないのなら問題視する必要もない。表だろうが裏だろうが、お前が明かしていない秘密を知っているぞなどと脅してくる訳でないのならば放っておくに限る。逆を言えば、無駄に絡んで来ようものなら相応の対応をすることになる。幸いにして今のところ、同僚達にそのへんの対応をしたことは無い。

「もうすっかり跡形もないでしょうしね。」
「ブレイズがか?まあ《掃除屋》が持ってったからな、もう綺麗さっぱりだろう。」
「見事な掃除ぶりだからいつも頼るけど、《掃除屋》のお爺はどうやってあんなにきれいに片すのかしらね。」

レディが何となしに呟いた言葉に、マスクごしの俺の眉間にやや皺が寄る。あの《掃除屋》は本当に、あまりにも綺麗に遺体を片すので店に所属している《掃除屋》の中で一番人気だ。もちろん、頼むときには相応の金を支払う事になるし稼ぎも彼がトップだろう。ほかの《掃除屋》たちも仕事は丁寧なのであの俺を坊やと呼ぶ彼じゃなくても、心配は無いんだが……。まあそれでもその腕前と評判を見ていると、彼に頼みたくなるのも分る。俺自身、後片付けが面倒な時は彼に任せることがあるくらいだ。基本は自分でどうにかしているが、疲れた時や数が多い時なんかは頼らせてもらっている。

「……知らないままでいたほうがいい事もある。」
「あら、何か知ってる口ぶりじゃない?それでいてその声音じゃ本当に知らない方が良さそうね。」

アンタが一切の抑揚を込めずに棒読みみたいに喋る時は怖いのよね、とレディが苦笑する。そう言う意味合いでわざとそう言う声を出しているのは確かだ。踏み込まない方が良いというのを、態度だけで示してしまえるから。恐らくはあの《掃除屋》の秘密を知っているのは元締めと俺だけだろう。元締めが知っているのはブレイズの時にそうだったが、彼のアジトへ立ち入ることが度々あるからだ。人間の遺体を処理するというのは言う程、簡単ではないから彼のアジトには恐らく《そのため》の道具やらが色々と用意されている。元締めはその道具類を見ているし、彼が遺体をバラすその仕事そのものも見たことがあると話していた。現地までいってあれこれ直接見ているからこそ、元締めは彼の秘密を知っている事になる。が、一切、口外したことが無い。当然と言えば当然だ。ではなぜ俺も知っているかというと、彼から感じ取った独特の匂いのせいだ。基本、《掃除屋》連中は死臭が染みついてしまうのでその匂いが分かるのだが、あの凄腕の《掃除屋》からは非常に特徴的な、死臭とも違う匂いがする。最初の頃はそれが何なのか分からないでいたのだが……。人を食用目的に攫うという一団を捕縛する仕事の時に同じ匂いを感じ取った。その一団全員から、《掃除屋》とそっくりな匂いがしたのだ。人を喰う連中からする特徴的な匂い。つまるところあの《掃除屋》は俺達が片してくれと任せた遺体を、ただ処理するのではなくいくらか自分の《食い物》にしている。文字通りにだ。気が着いた時は驚いたが他人の趣味嗜好に口を出すのは俺の流儀ではないし、所詮俺達人間も動物の一つで共食いが起きているようなもんかと消化してしまった。俺としては人間を食いたいとは思わないが、彼は食う事を喜びにしているわけだ。普通の人なら嫌悪感を抱くだろうし、もしかしたら殺すのよりもはるかに嫌悪される行為なのかもしれないのだが……俺の中では大した嫌悪感を抱かない辺り、このへんの認識がズレているんだろうとは思う。どちらかといえば味がちょっと気になったり、人体を食える状態に処理する手間なり、そう言うモノが気になってしまうから俺も大概におかしな人間だ。好奇心だとか探求心だとか、そう言うモノがあらゆる方向に向いてしまうのも考え物だな。悪趣味と言われても致し方ない。《掃除屋》本人も、おおっぴらにする事ではないと思っているであろうと予測は出来るし、迂闊に人間は美味いのか?などと聞いてしまっては片づけを請け負ってくれなくなるかもしれないので俺からも話題に出したことは無い。下手したら秘密を知られたと俺が食われちまうかもしれないしな。それは勘弁願いたい。最もアウラ族である俺は鱗だとか角だとかが処理に邪魔で面倒だからと食われないかもしれないな……。ともあれ、あの凄腕の《掃除屋》の秘密には触れないに限る。

「店に詰めに来る時間はあるのかしら。アンタは店内に居ない事も多いけどシバ達も心配してたから何日か詰めてくれると嬉しいわね。」
「シバにも似たようなこと言われたな。ゆっくり話したいって。」
「アンタが大怪我で欠けるのが珍しい上に今回は内部からの事案だから心配してたのよ。」
「……そうだな、来週になら何日か居られるはずだ。」
「そう、ならその辺りを楽しみにしておくわ。多分、シバやスカーも喜ぶわよ。」
「仕事でそっちが居なかったりしてな。」
「あり得るわね。私は昨日終わったばっかりだし、ちょっとお断りしようかしら。」

来週、数日きっちり店に詰める事を約束する。これといった用事はさっきの支払いで終わってしまったし、なら来週またゆっくり話をしようかと部屋を出ることにした。本当ならそのまま裏でゆっくりしてもいいのだが、次に礼を払いたいジゼルに会う準備もしておきたい。レディもそれを察してくれているらしく、どうせなら今日ゆっくりしていけばいいのにと引き留めようとはしてこなかった。この辺の察しの良さはそこそこの時間、バディを組んだりして過ごしてきたおかげだろう。非常に仕事にストイックな女性だがその分、無粋なこともあまり言わないし、しない。用事の支度に帰るんでしょうけど、シバ達に顔見せてからにしなさいよ、とレディに促されてそうするよと返事をした。シバにはちょっと文句を言われそうだが用事があるのは本当なので仕方ない。先にスカー達、普段俺達が控えている裏のリビングみたいな場所へ行くと殺しの店員達へ軽く挨拶をしておいた。迷惑をかけた事の謝罪と、きちんと片を付けるために協力してもらったことの礼を改めて告げておく。スカーは仕事を請け負ったばかりとシバが言っていたがその通りのようで姿が見えなかったが、ほかの店員達には伝えられたから良しとしよう。レディもそのまま控え部屋に残るというのでそこで挨拶を済ませて裏口へ向かった。シバが退屈そうにしながらも出入り口をしっかりと見張っているのがわかる。俺の姿に気が着くと、にへっと笑うのも。彼は1人でいると結構に鋭い顔立ちをするのだがこうして誰かが近くへやってくると人懐っこい笑顔に変わる。これは多分、素でもあり、演技でもある。彼は非常に情報収集能力に長けるのだが、この愛想の良さが圧倒的な武器になっている。初対面の相手であろうと、警戒心を解くのが巧いのだ。無害であるとアピールをし、友好的であるという態度を見せてするりと懐へ入り込むと言葉巧みに情報を引き出していく。間者やシーフ達のする情報収集の基本は誰かとの会話なのは、昔から変わっていない。もちろん忍び込んだ先で機密書類を持ち出すという情報収集の仕方もするが、基礎は聞き込みなのだ。

「話、終わったのー?なら俺とも話してよ。」
「そうしたいとこだが用があってな。」
「えー?せっかく顔出したのにもう帰るんだ?残念。」
「レディにも念を押されたし来週に何日か詰めに来る。」
「お、じゃあソレ楽しみにしてるからさ、ちゃんと来てよ?」

分かったよと応えて、帰るまえに元締めに報告に行く。時折ホールに出て働いている彼だが今はホールをひっそりと一望できる《裏側》でしっかりとお客たちの様子を眺めて居た。《裏側》の部屋はホールを一望できるがホールからは《裏側》の部屋を見ることが出来ない。奇妙な仕掛けがしてあるな、とつくづく思う。見た限り、大きなガラス窓が壁についていてこっち側から覗いているとホールの御客たちが見えるのだが、ホールの方に回ってこの窓があるはずの位置を見ても普通の木の壁に見える。どういう仕掛けなのかピンとこないが、ミラージュプリズムやエーテルを応用した物なのだろう。特殊な薬品か何かを使わないと、あの手の仕掛けは見破るのが難しい。俺のようにエーテル視が出来たり、魔道士の専門家がエーテル的な力を察して調べようとした場合は例外になるがそんなことをし始めるお客なんてのはまずいない。ここのメインのお客は普通の炭鉱夫や近くの労働者であって戦闘や魔法のスペシャリストではないからな。お客達の中に仕事を頼みに来ている《変わった客が居ないかどうか》を観察している元締めに声を掛ける。すぐに彼が、緊張していた顔をいくらか和らげながら振り返った。どうやら今のところ《変わったお客》は来店していないようだ。その方が平和で良い。俺達の稼ぎが少なくなるのは多少困るが殺人が発生しないほうがよほど良いだろう。俺のほうをきちんと見た元締めに、世話になったカタギの子に礼をするために支度をせねばならないから早いが帰ると伝えると、彼は分ったと頷いた。礼を払うのは構わないが彼女にはあまりこの店の連中に関わらないように釘を刺しておけとも言われる。本来なら俺から礼をするというのも避けた方が良いのだろうが……元締めはソレを止めはしないらしい。むしろ店主も感謝してると伝えておいてくれ。と念を押された。

「本当ならこっちから関わるのも避けたほうが良いが……大きな損失を出さずに済んだのはその子のおかげだからな、俺としても感謝はしてる。」

うちの筆頭クラスの殺し屋を失わずに済んだからな、と元締めが冗談めかして言いながら俺の肩を軽く叩く。褒めてくれるのは嬉しいがどこか照れ臭いな。一応、俺は俺の技術に自信を持ってはいるが改まって第三者に褒めてもらうというのは慣れて居なくて恥ずかしく感じる。取り敢えずきちんと伝えておくべきことは伝えたし、レディへの用も済んだ。今日は素直に帰るとしよう。じゃあ、来週にと軽い挨拶をして《裏側の部屋》から辞してシバのいる裏口へ向かう。やや退屈そうに見張りを続けているシバが、俺がやってきたのを確かめると鍵を開けてくれる。気を付けて帰って来週元気に顔出してね、と見送ってくれる。パタパタと手を振るのが一応見えたので、小さく手を振り返しておく。俺よりずっと年上のはずなのだが、彼は今でも若々しいな。 真っすぐに家には帰らず、テキトウな宿に入り込んで身なりを整えなおしてから帰宅した。さてジゼルに礼をするための支度も済ませてしまわないとな。

 肆へ   弐へ

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